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第53話 新しい季節に向けてⅠ

 依然として朝晩と冷え込む日々は続いている。

 しかし、雪の降る日は日増しに少なくなり、日中は柔らかな日差しが町中を照らすことが多くなった。

 まだ町中に雪は残っているが、日差しが溶かした雪の下には草花の緑がちらほらと顔を覗かせていた。


 まもなくノードに春がやってくる。



   ◆ ◆ ◆



 青空が広がる日の早朝。

 吐く息を白くさせながらエルザは玄関先に立っていた。

 エルザの前にはララとフェルゼン、それにリーヴェの姿があった。

 リーヴェの視線がエルザの胸元に向けられる。そこには木箱(ミック)が両腕でしっかりと抱きしめられていた。


「それじゃあ、りべちん行こうか」

「はい! じゃあエルザ……よろしくね」

「ええ、任せてください」


 ララとフェルゼンが門に向かって歩きだす。

 リーヴェは振り返り、二人の後を追っていった。


 リーヴェたちの向かう先は魔道具工房だ。

 新しい杖を造るためであり、これから十数日はここに帰ってこない。

 三人が門を出て視界から消えるまで、エルザはその背を見送る。

 姿が見えなくなってからしばらく経ち、エルザがふっとため息を吐いた。


『どうした? 浮かない顔をしているな』

「いえ……なんでもありません」


 感情を悟られないように、エルザは努めて笑顔を見せる。


「これからどうされますか? 書庫に向かいますか?」


 いつもであればミックは書庫にこもる。リーヴェからそう聞いていたエルザはミックに尋ねた。

 しかし、エルザの気持ちを知ってか知らでか、ミックからの返答は予想に反したものだった。


『よし、今日は特別だ。私の研究の成果を見せよう。庭に出るぞ』

「は、はいっ!」


 突然の褒美ともいえる言葉に、気が動転したエルザは声が上ずる。

 しかし、すぐに平常心を取り戻したエルザは、尊敬するミックの魔法が見られるのだと満面の笑みで歩き出した。


 ミックを抱えたエルザは、まだ雪の残る庭の中央へと移動する。


「この辺りでよろしいでしょうか?」

『うむ、問題ない』


 腕に抱える木箱の上蓋が少しだけ開き、中から一本の黒い触手がうねうねと現れる。

 その触手が踊るようにして、空中に魔法陣を描いた。


「これは――」


 眼前に浮かぶ魔法陣を見たエルザは目を見開き、驚きの声を上げた。

 エルザは魔法を学び始めてから10年以上、ずっと魔法陣を使ってきたのだ。

 瞬時にして魔法陣の違和感に気がつく。


 ミックの作った魔法陣はエルザの握りこぶしほどの大きさで、かなり小さい。

 小ささもさることながら、特徴的なのは厚さだ。

 一般的に魔法陣は厚みがないのだが、目の前のものは手の平ほどの厚みが存在した。

 そして、もっとも重要な魔法陣の核となる刻印の形は、(いびつ)なものだった。


 目の前に浮かんでいるのは、エルザの持つ常識から大きく異なる魔法陣。


 エルザとて魔法の深淵を知ろうとする探究者の一人だ。未知の魔法陣に興味がかき立てられる。

 息を飲んだエルザは、己が持つ知識、経験を総動員させる。

 魔素の吸収効率、発動できる魔法の強さ、どういった使用目的なのかと魔法陣についての考えを巡らせ始めた。


 まばたきもせず、ひたすらに魔法陣を見つめているエルザにミックが声をかける。


『この魔法陣を使えばどうなるか、わかるか?』

「……私の持つ知識から考えれば、この魔法陣は発動しません」


 ミックからの問いに対し、エルザは即答する。

 その理由は二つある。


 一つは魔法陣の形が歪であることだ。


 目の前に浮かぶ小さな魔法陣は、まるで初心者が作ったようなもの。

 真円は楕円に、正四角形は台形に、正三角形の角は角丸に。

 魔法陣の中に組み込まれた刻印は、細心の注意を払って形を整えなければならない。

 少しでも形が崩れれば、魔法の効果は半分以下になる。

 発動すればマシなほうで、魔素や魔力を消費するだけで魔法陣が消えてしまう場合が多い。


 もう一つは魔法陣が小さすぎることだ。


 現在の魔法学において、最適な魔法陣のサイズは身長の半分程度、魔法を発動できる最小のサイズは広げた手の平ほどの大きさとされている。

 発動が可能とされるサイズよりも一回り小さい。

 魔素の吸収効率は魔法陣の表面積に比例し、魔法陣が小さすぎれば魔素を十分に集められない。


 だからこそ、エルザは発動しないという答えに至った。


 小さく分厚い魔法陣など、現在の魔法学から鑑みれば真逆のこと。

 厚みを増やしたところで魔法陣の表面積はほぼ増えず、さらに体積に比例して体内魔力量を消費する。

 だからこそ、魔法陣を使う魔法使いは、魔法陣生成の研鑽を積むことに重点を置く。

 いかに体内魔力を使わず大きな魔法陣を作るか、いかに整えた形をすぐさま生成できるか。

 そこが腕の見せどころだ。


 ただ、これはあのミックが作ったもの。深い知識を持つミックがこのような失態をしでかすはずがない。

 ミックの意図を探ろうとするが、エルザでは理解が及ばなかった。


『本に書かれていることを考えれば、この魔法陣は発動しない。そう思うのは当然のことだ』


 ミックは頷くように上蓋をカタカタと鳴らす。


『それでは次の質問だ。魔道具における不完全な刻印は魔力爆発の可能性がある。そうだな?』

「はい。仰る通りです」

『魔法陣とは刻印技術が元になったもの。魔法陣における刻印の魔力爆発は聞いたことがあるか?』

「……いいえ、ありません」


 エルザは静かに首を左右に振った。

 これまで数多の魔導書を読み、幾人もの魔法使いから教えを受けたエルザだが、魔法陣で魔力爆発が起こるなど、見たことも聞いたこともない。

 歪な刻印の魔法陣であれば、魔法が発動するかしないかのどちらかだ。


「魔法陣に厚みを持たせれば、魔力爆発を引き起こす……ということでしょうか?」


 エルザの言葉を肯定するように、木箱の上蓋がカタリと動いた。


『説明よりも、実際に見たほうが早いだろう』


 指示を出すように触手が伸びると、小さな魔法陣がすっと空中を移動する。

 魔法陣の移転は1級魔法使いでもできる者が少ない高等技術だ。

 庭の雪が魔法によって移動させられ、あらわになった地面に穴が開けられる。


 エルザはごくりと固唾を呑み、ミックの行動を見守った。


『魔法陣は雪の下、さらには地面の下だ。危険はないようにするが、音だけはどうにもならん。それはエルザに任せる』

「わかりました。問題はありません」


 魔法陣が埋められた周辺、太陽の光を反射するようにきらめく防御障壁がその場所を囲んだ。

 黒い触手がしなり、魔法陣を起動させる。



 不透明な障壁の向こう側、地面から空に向けて閃光が走った。


 けたたましい音が鳴り響く。

 たとえるなら、地面から空に向かって雷鳴が放たれたような激しい音。

 それと同時に地が揺れ、空に向かって土や雪が飛び、荒れ狂ったような突風が駆け抜けた。


 大きな音に耳をふさごうとするが、ミックを抱えているエルザは必死に耐えた。

 耳の奥底には爆発音がこびりついたように残響する。

 空からは雪混じりの土が雨のようにボトボトと降り注いだ。

 土の雨が治まると、防御障壁は光の粒となって消えた。


 エルザは魔法陣があった場所に近寄り、穴を覗き込む。

 地面は放射線状にえぐれ、穴からは焼け焦げたような臭いが漂う。

 広がった穴は爆発の激しさを物語っていた。


「これが魔法陣の魔力爆発……。あの小ささで……。すさまじい威力ですね」

『実はな、これは魔力爆発なのだが、刻印の魔力爆発とは違うものなのだ』

「……どういうことでしょうか?」


 魔道具加工の資料を作るため、エルザはララから刻印についての教示を受け、それなりの知識がある。

 特に魔力爆発は重大な事故になりかねないため、念入りに調べ上げている。

 刻印の不備によるものは魔力爆発という認識だ。

 違うと言われれば、もはやエルザの知識では理解できない。


『刻印の魔力爆発の原理はわかっているな?』

「もちろんです。魔素と体内魔力が混ざり、魔法として発現する時に、不完全な刻印を通ると魔素と体内魔力が分裂しようとして起こります」

『そうだ。その分裂の瞬間、膨大なエネルギーを生み出す。そのエネルギーは不安定であり、それが爆発という現象を引き起こす』

「魔法陣を使った魔力爆発は、どう違うのでしょうか?」

『うむ。魔法陣の場合、魔素と魔力が合わさって、まったく別のものに変わるのだ。私はこれを魔力融合と名づけた』


 ミックからの説明は続く。


『魔力融合で生まれた存在も不安定なもの。分裂するよりも莫大なエネルギーを放出して消滅する。消滅と当時に魔力爆発を引き起こし、その威力は分裂時の数倍になる。名づけるなら、魔力融合爆発といったところか』


 ミックの言葉を聞き、頭で理解する度にエルザは畏怖の念を抱く。


「こ、これはすごいです! これは魔法の歴史を変えるものです!」


 魔法史に残る実験を見たエルザは興奮し、ミックを持つ手に力が入る。

 しかし、その力は次第に弱まっていく。

 ミックを落とすことはないが、エルザは肩を落としてうなだれた。


『……どうしたのだ?』

「不甲斐ない自分が情けなく思えてしまって……」


 エルザの目の前で、ミックは魔法陣の新たなる可能性を見せた。

 リーヴェは魔法の勉学に鍛錬に身を投じ、今日からは己の杖を造るため、工房へとこもっている。

 ララは魔道具制作において尽力し、ノードに多大な貢献をもたらした。


 この冬の間、周りの者たちが前に進む中、エルザは納得できる成果を残せていない。


 ネイザーライドから戻ったエルザは、工房や刻印、魔道具に関する資料作りに追われた。

 その後は工事の実務や事務仕事だ。

 それが終われば、王国に向けた情報戦の根回しに多忙の日々を過ごした。

 昼夜エルザは働き詰めで、ようやくまともな時間ができたのは今日からだ。

 もちろん、どれも重要な仕事であるとエルザ自身もわかっている。

 しかしながら、周りに置いていかれるような疎外感があった。


 ミックの中に一種の罪悪感が湧く。


 エルザは刻印の資料作りに時間をかけていた。

 不眠不休で何度も見直し、何度も書き直したのだろう資料は、まずミックの元に届けられていた。

 エルザなりの礼なのだろう。

 しかし、エルザがやっていることは国のためのことであり、自分(エルザ)自身のためではない。

 報われることがあってもいいだろうと、ミックには思えた。


『よし、私が面白い魔法を教えてやろう。コツのいる難しい魔法だが、エルザなら問題ないはずだ』

「よ、よろしいのですか!?」

『たまには師らしいこともしなければな。教える魔法は人を強制的に眠らせる魔法だ』


 暗く影を落としていたエルザの表情が明るいものへと変わる。

 ミックを持つ手が震え、心臓は強く脈打ち、その目には力が宿った。

 しかし、原理さえもわからない前代未聞の魔法だ。


「そんな魔法を私が扱えるのでしょうか?」

『原理さえ理解できれば大丈夫だろう。空気中には魔素のほかにもいろいろと含まれているんだ。それを使えば強制的に眠らせることができる。眠るというよりも、意識の混濁といったほうが適切かもしれないが。ただ、この魔法は魔法陣では扱えない』


 魔法陣は使えないと聞いて、エルザは押し黙る。

 エルザの体内魔力は伸びてはいれど、ミックやリーヴェに遠く及ばない。

 工事の時には何度も魔法を失敗し、ミックとリーヴェに助けられたことが脳裏をよぎる。


「私の体内魔力はあまり伸びていません。それでも……大丈夫でしょうか」


 エルザの手から木箱がふわりと浮き、空中で反転したミックはエルザと向かい合った。


『まだ考察の段階なのだが、思いの強さが魔法や魔力に影響すると考えている』

「思いの強さ……ですか?」

『そうだ。思いの強さが影響するのならば、そこに才能は関係ない。エルザはリーヴェよりも強いと思っている。お前なら扱える。だから私は教えるのだ』


 エルザは頬を紅潮させ、瞳を潤ませた。

 口を少し開け、何かを言おうとするものの、言葉を詰まらせる。


『魔力融合については、後日リーヴェにも見せるつもりだ。あいつのことだ、きっと真似をしたがるだろう。無茶をしそうなら、その時は魔法で止めてやってくれ』

「――はいっ!」


 春の訪れを感じさせる庭にエルザの力強い返事が響き渡った。

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