第49話 ゲアスト魔道具工房
ノードの冬は厳しい。
冬になると、ローバスト山脈からは冷たい風が吹き下りる。
ローバスト山脈の北側は海であり、たっぷりと湿気を含んだ風はノードに大雪を降らせることになる。
降り積もる雪は道を消し、家の外に出ることもままならなくなるほどだ。
冬の間、ノードは雪に埋もれ、陸の孤島と化してしまう。
しかし、今年は違った。
降神暦416年、秋。
ノードのとある刻印技術者が、消雪の魔道具を造り上げた。
側溝と名付けられた消雪装置は降り積もる雪を解かし、雪解け水を郊外まで排水する仕組みになっていた。
これにより、ゲアストではわずかながらも人々の往来が可能になる。
その技術者はほかにも革新的な魔道具をいくつも造り上げる。た。
代表的な物を挙げるなら、振動を使った通話装置、魔道具の遠隔操作を可能にした導魔線だろう。
もし、その技術者がネイザーライドか王国にいたならば、名声をほしいままにしていたかもしれない。
◆ ◆ ◆
ネイザーライドからエルザたちが帰還したのは、秋に差しかかった頃だった。
まだ夏を思わせる強い日差しの中、ソルダート家の屋敷に馬車が到着する。
馬車の移動なれど、乗っているだけでも疲労はたまる。
疲れた顔をしたエルザとリーヴェが馬車から降りると、二人を笑顔で出迎えたのはアルバンとララだった。
二人の前には、緑のドレスを着て満面の笑みを浮かべるララが立つ。
「ララさんがなぜここに?」
「あ、こんにちは。ララ……先輩?」
ララはにんまりとした顔で、人差し指を立てると左右に振った。
「今のボクはララ先輩じゃなくて、ララ工房長なんだよね。ララ工房長って呼んでよ」
両手を腰にふんぞり返り、ララは自信満々に言う。
言っている意味がわからない。
リーヴェとエルザがアルバンを見ると、その顔には苦笑いを浮かべていた。
「エルザ、リーヴェさん。ご苦労だった。とりあえず、技術者たちは手配した宿に行ってもらおうか。ジーク! フェルゼン!」
アルバンに呼ばれたジークとフェルゼンが、すぐさま駆けつける。
泊まる宿舎を告げると、ジークたちはグンターたちを伴って屋敷を出ていった。
グンターたちの背を見送るアルバンがエルザに告げる。
「疲れているだろうが、時間がもったいない。我々は現状の擦り合わせをしようか」
エルザが顔を横に向けると、リーヴェは大丈夫だと頷きを返した。
四人は屋敷の応接室に移動する。
テーブルを囲むのはアルバン、ララ、エルザ、ミックを膝に乗せたリーヴェの四名。
「それでは、まずは私から――」
開口一番、エルザがネイザーライドであったことを二人に報告する。
品評会に参加したこと。知られてない刻印を使った魔道具を造ったこと。結果として、2位という栄誉を得られたこと。
報告を終えると、黙って聞いていたララとアルバンは唸るような声を上げた。
「え? ネイザーライドでも知られていない刻印の情報がノードにあったの? ボク、そんなの聞いたことないんだけど」
「……とある古文書に記載されていました」
「その古文書見せてもらえない?」
「損傷が激しく、見られるものではありません。私が資料としてまとめ直しますので、後日にでも」
「ふーん。まぁわかったよ。それじゃあ、こっち側のことなんだけど」
アルバンがテーブルの上にノードの地図を広げた。
ゲアストの西をトントンと指先で叩き、指先が西の国境に向かって、すっと移動する。
「国境付近に建設中の防衛拠点は、雪が降る前に完成予定だ。ゲアストの西に造った魔道具工房と魔銀保管倉庫は完成している。それから、ララさんには魔道具工房の管理責任者を請け負ってもらった」
アルバンが言い終えると「えっへん」とララはふんぞり返り、胸を張る。
「そっか、それで工房長なんですね! すごいです!」
リーヴェが拍手を送ると、ララは口角を上げ、頬を緩ませる。
そんなララの姿を、澄ました顔でエルザが見ていた。
「ずいぶんな変わりようですね」
「これでもカザーネ家の人間だからね。ノードのために何かしようと思っただけさ」
本来、天才と呼ばれるべき人は自分ではなくララのほうだ。
ようやく、その天才が国のために重い腰を上げたと、エルザは心の中で安堵のため息を漏らす。
静かな時が流れる室内。アルバンが口を開く。
「これから冬にかけて行う計画なのだが。ララさん、説明をしてもらえるか?」
「はい。まずはゲアストの大通りを中心として、消雪装置となる魔道具の設置。これはオスファより購入した魔銀で加工を行うから、秋の半ばには終わらせたい」
ララが手を伸ばし、ゲアストを十字に切るように地図の上をなぞった。
「これが消雪装置の設計図」
ララが地図の上に何枚かの紙を置く。
エルザとリーヴェが覗き込む。その紙には製造する魔道具の大きさ、重量などが記載されている。
「かなりの範囲に設置するんですね。設置工事の規模はどれほどと考えているのですか?」
魔道具の効果範囲まではわからないが、大掛かりなものになることはわかる。
「現状だと、日に数百人規模の人足が必要な工事になるね」
「……それでは工事費だけでいくらかかるか」
建設費、魔銀の購入費で財政が圧迫されるのは想像に難くない。
出ていくのは金とため息ばかりだとエルザは嘆く。
「そうなんだよね。できるだけ経費は抑えたい。だから、エルザちんにも協力してもらいたいと考えてる」
「私が協力……ですか?」
陣頭指揮を執れということかと、首をかしげたエルザは思案顔を浮かべる。
「そう。土を動かせるような特殊な魔法が使えるんでしょ?」
「なるほど……。それはいい案ですね。それにしても、あの魔法のことをララさんに教えたのですね」
エルザの目つきが鋭いものに変わる。その視線の先にいるのはアルバンだ。
土の魔法が使えるようになった際、エルザは嬉しさのあまりアルバンにも披露していた。
アルバンとて魔法使いの端くれ。他人に漏らすようなことはしないだろうと、エルザは口止めをしていなかった。
「う、うむ。しかし、今回の工事にあの魔法は最適だろう?」
「それは確かにそうですが。ただ、これだけ広範囲になると、私の魔力だけではとうてい持ちません」
隣りに座るリーヴェに、エルザが体の向きを変えた。
「リーヴェも手伝っていただけますか?」
「うん、もちろんだよ。ノードのためになるなら、私は喜んで手を貸すよ」
『なかなか面白そうな仕事じゃないか。私も手伝うぞ』
「……ありがとうございます」
エルザは二人に向け、頭を深く下げた。
二人の協力が得られたならば、何も問題はない。
後はそれぞれが邁進するのみだ。
「手伝ってもらえるようだね。そんな誰も知らないような魔法が使えるなら、もっと大々的に公表すればいいのに。ボクからすれば、羨ましい限りだよ」
「魔法は見せびらかすものではありませんので……。いつから私とリーヴェは手伝うことになりそうですか?」
「そうだね。明日の朝から工房を稼働させるから、それを見て工事の日程は詰めようか」
「今日の話は以上ですか?」
アルバンとララは頷いた。
「私は当分ゲアスト南の研究所に詰めます。用件がある場合はそちらにご連絡を」
エルザのすべきこと。
刻印の情報を紙に書き起こし、まとめるのが急務だ。
ララに伝える内容次第で、造られる魔道具が変わってくる。
目配せしたエルザが立ち上がる。
リーヴェも立ち上がり、手に抱えていた木箱を背負った。
今回の件は時宜を図らねばならない。
準備をし、一斉に動き出すのは雪に閉ざされる冬の直前。
それまでは、王国側にこちらの動向を気取られてはならない。
ノードのためにと、それぞれが動き出す。
◆ ◆ ◆
「ララ様。本当に大丈夫なんですかい? あの爺さんたち、かなりクセが強いですぜ」
「そんなの大丈夫。見てればわかるよ」
フェルゼンは隣りに立つララを不安げに見つめる。
ノードのゲアストにグンターたち鍛冶師が到着した翌日。
ゲアスト西に新造された魔道具工房にグンターたちはいた。
ここで働くために来たのだ。
11名もいる鍛冶師たちは、それぞれが注意深く工房の中を見て回る。
基本的な工具はすべて揃っているし、炉も高温を扱えるもの。
満足するまで見て回ったグンターたちは、おのずと部屋の中央に集まった。中央には作業台が置かれ、その横にはララとフェルゼンが立っている。
二人を前に、グンターたちは互いの顔を示し合わせて頷く。
ノードに来た鍛冶師たちの中で、一番経験が長く、腕も上なのがグンターだ。
鍛冶師の代表としてグンターが一歩前に出た。
「この国初めての魔道具工房だと聞いていたが、なかなか設備は揃っているようだな」
もちろん不安はあった。
未知の刻印の情報はあるが、それを扱える環境がなければ話にならない。
しかし、工房の中を見る限り、問題なさそうだとグンターたちは胸を撫で下ろした。
「で、これから一緒に仕事をする工房の代表は、いったいどこにいるんだ?」
辺りを見回すが、この場所にはフェルゼンと工房に似つかわしくない貴族の娘しかいない。
職人はあくまでも職人。依頼があれば、設計し、製造し、納入するのが仕事だ。
職人をまとめるノード側の上役がいるのが当然と、グンターは目の前に二人に尋ねた。
「ボクがこのゲアスト魔道具工房の工房長だよ」
ララが胸に右手を添え、高らかに告げる。
その言葉を聞いて、グンターたちはぎょっと目を見開いた。
互いの顔を見ると、信じられないという表情を浮かべている。
納期の管理、品質の管理、製品の管理。管理職には様々な能力、知識が問われる。
グンターたちの目の前には、20歳にも満たない少女の姿があった。
こんな者が上に立つなどありえない。飾りとしか見えない採択に不満が募る。
そんな表情を見て取ったララが、おかしそうに笑った。
「まぁそうだよね。不満なのはわかるよ。やっぱり、こんな時は論より証拠だよね」
テーブルの上に、ララが何枚かの紙を置いていく。
グンターたちはテーブルを囲み、その紙を手に取って眺めた。
「今回、最初に造ってもらおうと思ってる魔道具がそれね。それ、ボクの設計だから」
正面図、平面図、側面図。
それぞれの図面には刻印の仕様や材質、加工精度などが事細かく書き込まれている。
図面を見たグンターたちは舌を巻いた。
見ただけでわかる。
記載されているのは、生半可な知識ではとうてい書けないようなものだ。
発想は独創的。現ネイザーライドの刻印技術を独自進化させたようなものだった。
「これは、あん……失礼しました。ララ様が書いたのか?」
「うん。そうだよ。ボクは昔、ネイザーライドにいたからね。師の名はサムエルなんだけど、知らない? まだアベイテ工房にいると思うんだけど」
「おお、アベイテの専属1級魔法使い様か!?」
「そうそう。魔法を学ぶために行ったのに、刻印の腕が伸びちゃってね。困ったもんだよ」
鍛冶師たちは震える手で紙を掴み、図面を穴が開くほどに見つめる。
複数の刻印を合わせた複層式魔道具。ネイザーライドではアベイテ工房の独走を許している技術だ。
「これはまだ煮詰めないといけないんだけど」
ララはさらに一枚の紙を取り出してテーブルに置く。
今日、朝一番にエルザから届けられた資料を見て、思いついたものだ。
「たぶん動くと思うんだけどね。これは離れた相手に言葉を伝える魔道具」
未知の刻印を使用しているため、どれほどの出力があるのかわからない。
だが、図面を見た瞬間、魔道具の在り方を根底から覆すようなものだとグンターたちは理解した。
目の前には背丈の小さな少女。
頭を下げるだけでは足りないと、鍛冶師たちは揃って両膝をついた。
ひれ伏すグンターたちを見て、にやにやと悪戯っ子のような顔でララが笑う。
隣りに立つフェルゼンは、この光景を呆然と見ていた。




