第34話 城郭都市オスファⅡ
リーヴェとエルザは馬車に乗っていた。
ミックとフェルゼンは宿に残っている。
ミックはリーヴェが泊まる部屋のベッドの上。フェルゼンはその部屋の門番だ。
何が起ころうと部屋の中には絶対に誰も入れるな、とフェルゼンはエルザからの厳命が下されていた。
小気味よく揺れる馬車の中、エルザの隣りに座るリーヴェは壁に力なくもたれかかる。
リーヴェはアルバンと食事した時と同じ服装だ。スパンコールがあしらわれた夜空のような漆黒のドレス姿。
対して、エルザは薄紅色のドレスに着替えている。
「リーヴェのマナーには期待していません。食べるなとは言いませんが、皿の全てを平らげないように。一口、二口食べて笑っていてください。後はこちらでどうにかします」
澄まし顔のエルザは続ける。
「これから会う方は、このオスファの領主です。くれぐれも粗相がないようにお願いします。まずはお名前ですが――」
リーヴェは無言のまま壁にもたれかかり、ぴくりとも動かない。
しかし、リーヴェの思いとは裏腹に馬車は進み続ける。
蹄の音を鳴らせ、馬車は町の中心部にそびえる居城へと向かっていった。
宿を出てから二時間ほど経ち、馬車は止まる。
リーヴェはエルザに手を引っ張られて馬車から降ろされた。
降りた場所は城の中庭だ。
城に勤める従者たちに囲まれる中、リーヴェに顔を寄せたエルザは耳打ちをする。
「しっかりしなさい。あなたはララさんの代わりなのですよ」
「私……貴族じゃないんだけど……」
「あなたはノードの3級魔法使い。これはノードのためなのです。それにミック師匠も頑張ってこいと激励していたでしょう?」
この旅にはララが来るはずだったのだが、ララがいない今、リーヴェはその代役だ。
エルザには色々と世話になっている。それに、ノードのためと言われればそうそう断れるものではない。
「わかったよ……」
「お願いしますね」
リーヴェが頷いたのを確認したエルザは、出迎えにきた従者たちと話し始める。
そこに一人の若い男が現れた。
現れたのは煌びやかな服に身を包んだ男。
「ああ、エルザ。僕に会いに来てくれたんだね」
「お久しぶりですわ。ラインハルト様」
颯爽とエルザに近づくと、右手を取って顔を近づけた。
顔を上げたラインハルトの視線がリーヴェに向けられる。
「こちらのレディは?」
「リーヴェ、挨拶を」
リーヴェは右手を胸の前に添える。
「初めまして。ノード3級魔法使いのリーヴェと申します」
「レディに先に名乗らせるとは失礼した。ベルツ王国4級魔法使い、ラインハルト・ファル・ベフィールだ」
ラインハルトも同じく、右手を胸の前にして名乗る。その右手には魔法使いとしての証である指輪がはめられていた。
リーヴェが名乗った後、周囲をきょろきょろとラインハルトは見渡す。
「エルザ、ララは来ていないのかい?」
「残念ながら……いまだ病気が治らず療養中です」
「そうか……」
ラインハルトは表情を曇らせる。
しかし、それも一瞬のこと。すぐにその表情を散らし、爽やかな笑顔を見せる。
「父も待っている。案内しよう」
「ええ、お願いします」
ラインハルトにエスコートされた二人は城の中へと入り、一つの部屋に案内された。
エルザとリーヴェが通された部屋は大きくないが、一目で豪奢なものだとわかるものが並ぶ。
天井からはガラス細工のシャンデリアが魔法の光を降らている。
テーブルの上に並ぶ燭台は魔銀製だ。これも同じように魔法の光を放っていた。
その部屋でエルザ、リーヴェを出迎えたのは二人の男だった。
「クラウス様、ご無沙汰しております」
「おお、エルザ! 健勝そうで何よりだ。アルバンも元気かね?」
「はい。クラウス様のおかげで父も元気にやっております」
「ふむ。して……そちらは?」
オスファの領主であるクラウスは、カザーネ家のララが来ると知らされていたのだが、エルザの後ろにいる黒髪の少女に見覚えがない。
サニテーツ家に思い当たる人物もいない。
エルザが無言のまま首を少し動かして、リーヴェに名乗れと視線で促した。
前に出たリーヴェは右手を胸の前にして名乗る。
「ノード3級魔法使いのリーヴェと申します」
「私はこのオスファを治めるクラウス・ファル・ベフィールだ」
クラウスは威厳を示すように堂々と名乗りを上げる。
端正な顔立ち。白髪混じりの髪を後ろに流し、髭も丹念に切り揃えられている。
エルザの父であるアルバンに似た雰囲気だった。
視線を交差させ、ラインハルトは名乗ったと知ったクラウスは、もう一人の男に視線を向ける。
長い茶髪を一纏めに流し、ローブを着た男。
その男が一歩前に出て、胸に手を当てて名乗る。
「……初めまして。王国1級魔法使いのヴィム・ファル・アングリフです」
クラウスがエルザに尋ねる。
「エルザはヴィムに会ったことは?」
「いえ、残念ながら。しかし、その名――鉄壁は聞き及んでおります」
「そうか。今日は親睦をかねた些細なものだ。楽しんでもらえれば幸いだ」
エルザが頭を下げ、つられてリーヴェも頭を下げた。
◆ ◆ ◆
会食は何事もなく終わる。
「本日はお招きありがとうございました。これからも父共々、ノードをよろしくお願いいたします」
ベフィール家の従者に連れられ、エルザとリーヴェは部屋から出ていった。
退出する二人の背を、椅子に座ったままの三人は見送る。
「ラインハルト様はお見送りはよろしいんで?」
「問題ないだろ。それよりも、ヴィムはあの田舎臭いイモ女が気に入ったのか?」
会食の最中、ヴィムの視線がことあるごとに、リーヴェという女に向いていたのをラインハルトは見ていた。
ヴィムは20代も後半であるが、結婚はしていない。
あの黒髪の女はかなり幼く見える。そういう趣味だったのかとラインハルトは口元を歪めた。
そう思われていることなど露知らず、ヴィムは真剣な面差しになり話し出す。
「……お二人様は箱持ちと呼ばれる魔法使いをご存じですか?」
クラウスは無言のまま、ラインハルトは首を横に振る。
「エルザさんと一緒にいた黒髪の女。王国で少し噂になっていましてね。今日はこの目で直接見られたのは幸運でした」
「たかが3級魔法使いだろ?」
「それがそうでもないんですよ。なんでも、たった一年の鍛錬で魔法陣なしに魔法を使い、3級魔法試験に合格したとか」
「虚偽の情報ではないか? ノードにとって、なんの利もなさそうではあるが」
クラウスは懐疑の念しか湧かない。
魔法使いの影響力は強く、その影響は多岐にわたる。
王国の1級魔法使いが新たな魔法を生み出したなどの話なら理解はできる。
派閥抗争などで、誇張した話が流言されるのはままあること。
しかし、1級魔法使いが一人しかいないようなノードでともなれば、また話は変わる。
そんな話など一笑に付されるのが関の山だ。
「いやね、俺もそう思ってたんですよ。ところがあの魔力量を見てぶったまげましたよ。危うく叫びそうになっちまって」
「魔力感知か……」
ヴィムはこくりと頷いた。
1級魔法使いの中には体内魔力を感知する技術を持つ者がいる。
ヴィムも数少ないその中の一人だった。
「1級魔法使いに勝るとも劣らない――」
「そこまでなのか!?」
「いや……正直言うと、今の時点で既に負けますね。俺ですら」
言っている自分ですら理解できないとヴィムは肩をすくめる。
そんなことがありえるのかと、クラウスとラインハルトは驚きのあまり、声も出ない。
ヴィムの二つ名は鉄壁。
障壁を何重にも長時間展開することができ、防御魔法に特化したことで得た二つ名だが、真に評価すべきはその魔力量だ。
魔力量だけであれば、王国でも五本の指に入ろうかという魔法使い。
そのヴィムよりも魔力量の多い3級魔法使いが存在する。
クラウスは喉の渇きを感じた。
目の前の酒が入ったグラスを手に取り、口に含んで喉をうるおすと「ふぅ」と息を吐き出しながらグラスを置いた。
「情報収集する必要があるな。オスファに迎え入れることも考えるべきか……」
現王国国王は好戦的だ。
長らく対立していた神聖王国との本格的な戦争もありうる。
そうなれば魔法使いが徴兵されるのは当然のことであり、戦力としての魔法使いを持つ領地は評価される。
戦争なくしても、力の強い魔法使いを持つことは領主にとっての誉れだ。
同時に、他の領地への抑止力ともなる。
ノードの魔法使いを如何にオスファへと編入させるか。
クラウスは頭の中で計略をめぐらし始めた。




