第32話 ネイザーライド国に向けて
ネイザーライド国へと出発の日。
リーヴェの住む家の庭に、五台もの馬車が列をなして並んでいた。
ノードの国旗とソルダート家の旗がゆらめく馬車の近くには木箱が積まれている。
その周りを最後の積み込み、また馬車の最終点検と、エルザが紙を片手に走り回り、後ろには今回同行する者たちがぞろぞろと続く。
そんな様子を少し離れた場所からリーヴェは眺めていた。
「ねぇミック、あれ誰だろうね?」
『さあな』
エルザの後ろ、母鳥を追いかけるヒナ鳥のように続く者たちの集団。
一様に同じ服を着ているのはソルダート家の従者だというのはわかるのだが、その中に一人、毛色の違う者がいた。
背丈は大きく、リーヴェよりも頭二つ、三つは高い。
袖のないベストを着ているが、上半身は裸に近く、背には無骨な大剣を背負った大男だった。
背丈に伴い体も大きい。まさに筋骨隆々といった体。
エルザの指示に従い、大男は木箱を両肩に軽々と担ぎ上げ、荷台に積み込んでいる。
最後の確認も終わったようで、エルザがリーヴェのほうへと向かって歩いてきた。
「ねぇエルザ、あの人誰なの?」
リーヴェの視線の先には鍛え上げられた体が異彩を放つ、半裸の大男だ。
武器を持っていることからも冒険者なのだろうが、野盗の頭目と言われたほうがしっくりくる。
「あら、リーヴェは知らないの? 紹介しますね。フェルゼン! こちらに!」
大男がエルザのほうへと向きを変え、巨大な体を揺らしながら歩いてきた。
フェルゼンが大地を踏みしめる度、地面が揺れている気すらする。
リーヴェはエルザの陰に隠れるように動いた。
「まだ何かあるのか、エルザ様!」
「紹介がまだでしたので。リーヴェ、こちらはノードでも有名な冒険者チーム白狼のリーダーであるフェルゼンです」
フェルゼンはニコリと笑い白い歯を見せ、リーヴェの顔ほどもありそうな右手を差し出してきた。
「よろしくな箱持ちの嬢ちゃん!」
「……えっと、リーヴェです。よろしくお願いします」
リーヴェも右手を出し、握手を交わす。
握手といっても手の大きさが違いすぎて、拳を上から包み込まれている状態だ。
「あの箱持ちとこうやって話ができるとはな。よく見かけてはいたんだが」
「リーヴェはフェルゼンのこと知らなかったの? この体はよく目立つのに」
リーヴェは顔を上げ、フェルゼンを見上げる。
日に焼けた浅黒い肌、剃髪した頭部。巨大な岩を思わせるような体だ。
見れば忘れそうにないのだが、リーヴェには会った記憶がない。
「……覚えてないです」
「よく魔法ギルドに行ってるだろ? そん時に何度かすれ違ったんだが」
ガハハとフェルゼンは豪快に笑った。
「とりあえずフェルゼンには私たちの護衛を任せるつもりです。腕は確かですから安心してください」
腕は確かとエルザから言われて気をよくしたのか、フェルゼンはまた豪快に笑った。
フェルゼンの笑う大きな声は周りの注目を集める。
ここぞとばかりにエルザが両手を打ち鳴らし、視線を集めた。
「さぁ出立しますよ! 皆さん!」
◆ ◆ ◆
ゲアストを出た一行は南へと進む。
馬車、荷馬車合わせて5台、総勢15人の一行。
エルザにリーヴェ、フェルゼン。ジークとレイネもこの旅に同行している。残りの10人はソルダート家に仕える従者たちだ。
馬車が揺れる中、リーヴェは小窓から外を眺めていた。
「南側は初めて来たけど、こっちには畑がないんだね」
ゲアストの北部は穀倉地帯が広がるが、南側には見渡す限りの荒野があった。
「土地柄ゆえか、農作物の育成に向いていないのです。人の手が入っていないにもかかわらず雑草などもほとんど生えていないでしょう?」
エルザの言うように、雑草などもない乾いた大地が続いている。
「南から攻められた日にはここが戦場だな」
リーヴェとエルザの対面に座るフェルゼンがぽつりと呟いた。
この言葉にエルザは顔を険しくする。
「不用意な発言は控えてください」
鋭い声で、エルザがぴしゃりと言い放つ。
「ここには三人しかいねぇだろ?」
「もし、そんな言葉を誰かに聞かれたらどうするのですか? あなたに責任が取れるのですか?」
一瞬、不穏な空気が流れる。
すぐさまその雰囲気を読み取ったのだろうフェルゼンが頭を下げた。
「すいやせんでした。以後、気をつけます」
「わかればいいのです」
頭を下げたフェルゼンに、エルザが上から言葉をかけた。
「王国と戦争になったりするの?」
リーヴェがエルザに尋ねると、エルザはそれ見たことかと言わんばかりにフェルゼンを睨みつける。
「そんなことにはなりませんし、させません。西のノベスト国とはありえなくはないですが、中立として不戦の条約は交わしています。それに、戦争なんて誰も望んでいないでしょう?」
「そうだよね!」
大きな体を縮こませ、しゅんとしているフェルゼンを一瞥したエルザは指示を出す。
「少し空気を入れ替えましょうか。ここで休息を取りましょう。フェルゼン、周りの馬車に連絡を」
「は、はい」
エルザの指示が伝えられ、南の荒野で一行の馬車は止まった。
従者たちの手により、すぐさま簡易的な休憩所が設営される。
休息といえど、エルザは従者たちを伴って馬車の点検をし始めた。
留まっているこの場所は、障害物となるようなものもなく見晴らしもよい。
それでも周囲を確認するためか、フェルゼンは隊から少し離れて歩き、辺りに目を光らせていた。
そんなフェルゼンを見ていたリーヴェは意を決し、フェルゼンの元に歩み寄る。
「フェルゼンさん」
「なんだ嬢ちゃんか」
リーヴェの声にフェルゼンは立ち止まり、振り返る。
「さっき、なんであんな話をしたんですか?」
リーヴェは数日前に会ったララの言葉が気になっていた。
エルザは否定していたが、フェルゼンは有名な冒険者だ。
エルザが知らない情報を持ち、それゆえにあのような発言をしたのかもしれないと、思い切って聞いてみることにした。
少し悩んだような表情をしたフェルゼンが口を開く。
「嬢ちゃんは占星の魔女姫を知ってるか?」
「……はい。カザーネ家のララ様のことですよね」
ここでララの話題が出たことに、リーヴェの鼓動が早くなる。
ララの言っていた破滅と、やはり関係あるのだろうかと。
「占星の魔女姫は数年前まで待望されていた魔法使いだったんだ。それが突然狂っちまった」
「狂った……ですか?」
「そうだ。二、三年前くらい前の話だ。突然、ノードが戦争に巻き込まれるって言い出したんだ」
「ララ様って未来を見通す魔法を使うのですよね? それなら真実なのでは?」
「いや、他の依頼に対しても嘘を言うようになってな。戦争の件もガセだろうって黙殺された」
「そんなことが……」
突如、フェルゼンの顔つきが真剣なものになり、空気も緊張したものに変わった。
「上の人間は嘘だと考えているようだが、俺はありえると思っている。そして、たぶんエルザ様もな」
「エルザもですか?」
「だからこそ、この場で休息を取ることにしたんだと思う」
フェルゼンは背負っていた大剣を手に持った。
グリップを両手で握りしめて構える。
まるで見えない敵に向かって振り下ろすかのように、フェルゼンは音を鳴らして剣を振り始めた。




