第31話 カザーネ家の魔女姫
「リーヴェさま起きてください! 朝ですよー朝さんがやってきましたよー!」
ドンドンドンと、扉が勢いよく叩かれる音でリーヴェは目を覚ました。
寝ぼけ眼のまま上半身を起こし、両手を突き上げて体を伸ばす。
「はいはい起きましたー! すぐ下に行くから待ってて!」
リーヴェが寝ているのは二階の隅にある小さな部屋だ。
置かれているのはベッドに小さなテーブル、タンスくらいのもの。
元々住んでいたリーヴェの家の半分の広さしかなく、窓すらない狭い部屋。
ここは物置として造られた部屋なのだが、リーヴェはここを自室としていた。
他の部屋は広すぎる。広すぎる部屋は逆に落ち着かないと、この部屋を寝床として使っていた。
ローブに袖を通したリーヴェは一階に下りて顔を洗う。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
横に控えていたレイネから、リーヴェは布を受け取り顔を拭いた。
拭き終わり、布をレイネへと渡す。
「今日は休みなんだけど……」
仕事があまりなかった頃は休みなんて不要と思っていたリーヴェだったが、働き出すと休日のありがたみをその身で知った。
休みの日は昼過ぎまで何もせず、ベッドの上で転がりたい衝動に駆られる。
人差し指を立てたレイネは、その指を少し前後に振る。
「休みなのはしょうちしていますが、エルザさまからは私生活を乱さないようにちゃんと見張っておきなさいと言われていますので」
「そうですか……」
「朝食の用意も終わっています」
レイネに手を引っ張られ、リーヴェは食堂へと連れて行かれる。
椅子に座らされ、リーヴェは用意されていた朝食に手を付けた。
今日は久々の休みの日。
しかし予定は決まっている。リーヴェは一日中書庫に引きこもるつもりだ。
何の本を読もうかと考えながら、リーヴェはパンを口の中に放り込んだ。
朝食を食べ終え、お茶を飲んでいたリーヴェの横にジークが来る。
身の回りの世話は基本的にレイネが担当している。
このタイミングでジークが来るのは珍しいと、リーヴェは顔を上げた。
「リーヴェ様。間もなくエルザ様がいらっしゃいます」
「エルザが?」
名目上、この家はリーヴェとエルザの研究所となっている。しかし、ここにエルザが来ることはほとんどない。
この家に来たのはリーヴェが住み始めた頃だけだ。
玄関の方からパタパタと足音が聞こえ、レイネが食堂に入ってきた。
「エルザさまがいらっしゃいました」
◆ ◆ ◆
二階の書斎にて、リーヴェとエルザは向かい合って座っていた。
テーブルの上の木箱からは黒い触手が伸び、開いた本を捲る。
「今日休みって知ってたの?」
「魔法ギルドから逐一報告は受けていますから」
「……それで今日は何の用?」
「少々相談がありまして……」
「相談?」
「これからカザーネ家に行くのですが、それに付き合って欲しいのです」
カザーネ家とは、ソルダート家に並ぶノード三大貴族の一つ。
貴族と聞いて、リーヴェは顔をしかめた。
「私がいても何もできないと思うけど……」
リーヴェの言葉にエルザは深いため息を吐き、肩を落とした。
「会おうと思っているのは少し苦手な人なのです。リーヴェと似たようなところもありますし、会話の間に入ってもらえたらなと思いまして」
いつも気丈に振る舞うエルザがこんな弱音を吐くのは珍しい。
そんなエルザが苦手な人物とは、いったいどんな人だろうかと疑問が浮かぶ。
「エルザがそんなこと言うなんて珍しいね。どんな人なの?」
「本来、天才と呼ばれるべきなのはあの人なのですが……。――病気……いえ、奇抜な方で」
姿勢を正したエルザが体の向きをミックへと向けた。
「ミック師匠はご興味を持たれるかもしれません。かなり特殊な魔法を使う方です」
『ほう。それは面白そうだ。どんな魔法なのだ?』
「二つ名は占星の魔女姫。未来を見通す魔法を使います」
◆ ◆ ◆
馬車に揺られて移動する。
向かう先はゲアストの中心部から東に位置する貴族街だ。
その貴族街の中でもひときわ大きく目立つ屋敷。絢爛豪華を形にしたようなカザーネ家の敷地内へと馬車は入っていく。
馬車から降りたエルザとリーヴェが案内された先は庭だった。
そこには町の中とは思えないほどの光景があった。
石畳の左右には剪定された生垣が並び、色とりどりの花が咲き乱れる。造られた自然の美が濃縮された庭園。
リーヴェはその光景に目を奪われる。
きょろきょろと辺りを見回しながら、リーヴェは前を歩くカザーネ家の執事とエルザの背中を追った。
目的の場所に着いたようで、前を歩いていたエルザたちの足が止まる。
赤や白、黄色といった花に囲まれた場所。その中央にはテーブルがあり、そこに一人の少女が座っていた。
柔らかな緑色のドレスを着た少女がエルザに気づき、顔を上げる。
ゲアストでは見たことのない銀髪。そして開かれた目の色は、春の新緑を思わせる鮮やかな緑色だった。
「やぁお久しぶりだねエルザちん。3級魔法使いになったんだってね。おめでとー」
肩ほどまでの銀髪を揺らしながら、少女がエルザに声をかける。
この庭園に同調しているような透き通った声。
「お久しぶりです、ララさん」
「やだなぁ先輩と呼んでよ、先輩と。ほら、ララ先輩って」
「もう学園は卒業しているのですが」
「相も変わらずつれないね。人生の先輩なんだけど」
リーヴェがエルザの横顔を見ると、眉間にはしわが寄り、ぴくぴくと痙攣しているように動いている。
「で、そっちのちっこいのはどなた? 学園の後輩?」
ララの視線が突き刺すようにリーヴェへと向けられる。
リーヴェは右手を胸の前に添えた。
「3級魔法使いリーヴェと申します。お初にお目にかかります。えっと、ララ・エル・カザーネ様」
「ララ先輩でいいよ? ボクは君のこと、りべちんって呼ぶから」
「ボク? りべちん?」
「それよりも――」
ララは立ち上がり、おもむろにリーヴェに近寄った。
リーヴェよりも小さい背丈。
下から覗き込むように、まるで宝石のように輝く緑の瞳がリーヴェを見据えた。
吐息が当たるほど顔を寄せ、まじまじと見つめてくるララの姿にリーヴェは動揺する。
「りべちんは何か見えないものを背負っているね。味方なのかな? それとも敵?」
「ララさん!」
ララとリーヴェの間にエルザが割って入る。
後ろに数歩下がったリーヴェは背に顔を向けた。
「ミックのことわかってる?」
『いや、違うな』
くるりと反転したララは、先ほど座っていた場所に戻っていく。
スカートを揺らしながら優雅に歩き、椅子に座った。
「まぁいいや。せっかく来たんだし、お茶でもしようか」
エルザがリーヴェに目配せをする。それからエルザはテーブルについた。
ミックを降ろし、杖と一緒に抱えたリーヴェも椅子に座る。
ララが執事に命令すると、すぐさま紅茶と焼き菓子が用意された。
皿には凝った作りの菓子が並ぶ。
ごくりと唾を飲み込んだリーヴェは並ぶ菓子に手を伸ばした。
口に放り込むとこうばしい香りが鼻孔を抜ける。サクサクと食感もよく、使われているバターの風味が口の中に広がる。
「この焼き菓子、美味しいですね」
「気に入った? じゃあ、お土産に用意するね」
ララとリーヴェが話している中、エルザは「コホン!」とわざとらしく咳払いをする。
「今日はお茶会をするために来たのではありません。まずは人払いをお願いします」
ララが目配せすると、近くで控えていた使用人たちは即座に立ち去る。
それを確認したエルザが本題を話し始めた。
「この度、私が特使としてネイザーライド――ドワーフの国に赴くことになりました。ララさんにはそれに同行していただきたいのです。ララさんはドワーフの国で修業していた身。その伝手をお貸しください」
エルザはそう言って頭を下げた。
不思議そうな顔をしたララが尋ねる。
「なんのため?」
「カザーネ家には情報がいっているはずですが……。ノードより魔銀が産出したのです。その魔銀を加工できる技術者の誘致が目的です」
「そんなのお断りだね」
ララは我関せずといった様子で焼き菓子を摘まみ上げる。
もぐもぐと咀嚼し飲み込むと、カップを持ち上げて口をつけた。
「なぜですか!? これからのノードに関わる重大な任務なのですよ!?」
固めた右拳をテーブルに叩きつけ、エルザは声を荒らげる。
その声に動揺すら見せず、ララはことりとカップをテーブルに置いた。
「例えばこの先、死ぬとわかってたらどうする?」
「な、何を言って――」
「何をしてもこの世界は終わるんだよ。終わるっていうのに何をしようというんだい? それなら、その時まで好き勝手に生きた方がいいと思わない?」
「生きるものは誰しもがそのうちに死にます。でも、それは終わりじゃありません。次世代へとつなげるために私たちが――」
「そうじゃないんだよ。破滅はもうすぐ訪れる。もうそこまで足音は来ているからね」
「協力はしていただけないということですか?」
「そうだね。する意味がないし」
ララを睨みつけ、体を震わせながらエルザは立ち上がった。
「失礼します。リーヴェ、帰りますよ」
「あ、うん」
「あれ? もう帰っちゃうんだ。いつでも遊びに来ていいからね。もちろん、りべちんも」
ララは手を上げ、左右に軽く揺らす。
エルザとリーヴェは無言のまま歩き出し、馬車へと乗り込んだ。
馬車が動き出すと、エルザは深いため息を漏らす。
「やはり駄目でしたか……」
「その職人の誘致ってエルザだけでも大丈夫じゃない? ほら、エルザってなんでもできるでしょ?」
『そうだな。何か困ったことがあれば、私も手助けくらいはしてやろう』
「ミック師匠……リーヴェ……」
隣りに座るエルザが突然リーヴェに体を寄せる。
エルザの手が伸び、リーヴェの両肩をガッと掴んだ。
「リーヴェ! 私と一緒にドワーフの国に行きますよ!」
「ええっ!?」
「あなたの杖のためでもあるのです!」
『そうだな。リーヴェも協力してやるがいい』
「ええっ!?」
ガタガタと揺れる馬車の中、リーヴェの悲鳴のような声がこだました。




