第29話 ソルダート家への招待Ⅱ
ソルダート家の館はゲアストの郊外にある。
馬車から降りたリーヴェは目の前の館を見上げていた。
「やっぱり貴族の家って大きいよね……」
リーヴェの家は一部屋しかない。
それに比べれば、いったい何部屋あるのだろうと思うほど大きな館だった。
「これでも貴族の家では小さなほうです。平民屋敷なんて他の貴族からは揶揄されていますし」
ソルダート家は貴族よりも平民に利する政策を取るために、一部の貴族からは嫌われている。
表立っては言われないものの、陰口を叩かれているのをエルザは把握していた。
「さぁ行きましょう」
「この恰好でも大丈夫?」
「問題ありません」
リーヴェは歩き出したエルザの後を追った。
正面扉を開け、館の中に入ると、リーヴェは控えていた女中たちに囲まれる。
「エ、エルザ! これ何!?」
予想外のもてなしに驚いたリーヴェは悲鳴のような声を上げた。
「衣装などはこちらですべて用意しています。今日はマナーについては見逃しますが、まずは体をきれいにしてきてください」
「失礼します」とエルザが木箱を抱え、リーヴェは女中たちに杖を取り上げられ、両腕を掴まれる。
そのまま浴場へとリーヴェは連行された。
風呂に入れられ、身支度を整えられたリーヴェは客室のソファーに座っていた。
対面のソファーにはエルザが座り、間にあるテーブルにはミックが置かれている。
「この恰好、変じゃない? 靴もなんだか落ち着かないんだけど……」
靴がエルザから見えるように、リーヴェは片足を上げる。
「もうちょっと淑女らしくしなさい! とても似合っていますよ」
『衣装がいいとそれなりに見えるものだな』
「それ褒めてる?」
『もちろんだ』
リーヴェはスパンコールで飾られた漆黒のドレスを着ていた。
足には初めて履いたピンヒール。
頭には黒髪と対照的な純白の花飾りがつけられ、艶の出た髪がまとめられている。
正面に座るエルザも同じように着飾っていた。
深紫色のドレス、頭には瞳と同じ空色の花飾りと。
物語の姫君のようなエルザに、リーヴェは頬を紅潮させる。
「エルザも似合ってるよ」
「ありがとうございます」
「ところで、忙しいみたいだったけど、最近は何していたの?」
「やるべきことが多すぎて大変でした……」
エルザとこうして会うのは一ヵ月ぶりのリーヴェ。この一ヵ月、どうしていたのかと会話が弾む。
「王都の工房を訪ねたり、冒険者ギルドとの打ち合わせをやったりと、色々ですね」
「そうなんだ。私はずっと畑の水やりやってたよ」
雑談していると客室の扉がノックされ、エルザとリーヴェの視線が向けられる。
部屋に入ってきたのは執事長であるジークだった。
「お嬢様、ご用意ができました」
「ええ、わかったわ。ありがとう。ジークはリーヴェのエスコートをお願い」
「かしこまりました」
ミックをエルザが持ち、リーヴェはジークにエスコートされて移動する。
通された場所はリーヴェの家よりも少し広い程度の部屋だった。
中央にはテーブルが置かれ、その横でリーヴェがきょろきょろと辺りを見回していると、ジークが椅子を引く。
座るように促され、リーヴェは椅子に腰を下ろした。
部屋の奥には祭壇のような場所が設けられていた。
エルザはその場所まで行くと、ご神体を扱うがごとく、ミックをうやうやしく置く。
ミックに一礼し、席についたエルザがジークに目配せすると、外で待ち構えていた女中たちが台車を押し、室内へと入ってきた。
台車から次々とテーブルに料理が並べられていく。
蒸し料理に焼き料理。パンにスープにサラダ。かぐわしい香りが部屋に充満し、鼻孔をくすぐる。
女中たちは手際良く動き、すぐさま台車は空になる。
一礼した女中たちは空になった台車を押して部屋から出ていった。最後に一礼したジークが退室する。
一人の男がジークと入れ替わるように入ってくる。短めの金髪、眉間に傷のようなしわがある男。
ソルダート家現当主であるアルバン・エル・ソルダートだった。
アルバンがテーブルにつくと、リーヴェを見つめる。
「はじめまして、リーヴェさん。アルバン・エル・ソルダートだ」
「こ、こんばんは。初めましてリーヴェと申します。この度はおまっ、お招きありがとうございます」
「ははは、ここには三人しかいない。緊張せずとも自分の家のようにくつろいでくれればいい。それでは冷めないうちにいただこうか」
「はっ、はい!」
三人は女神への祈りを捧げ、食事を始めた。
食事の最中、アルバンはリーヴェに質問する。
魔法使いに関することではない。
ゲアストの暮らしはどうであるとか、普段何を食べているのだとか、住んでいる場所の治安はどうであるとか。そんな他愛もない話だ。
並べられている料理に舌鼓を打ちつつ、リーヴェは饒舌になっていく。
エルザは会話に入らず、相槌を打つだけで静かに食事を続けていた。
並べられた料理の皿が空になる頃、アルバンが本題の口火を切った。
「今日、リーヴェさんを招くように言ったのは私なんだ。あの鉱床の件についてお礼が言いたくてね」
「えーっと……私はあまり何の役にも立てていないのですが……」
「そんなことはないだろう? エルザもそう思うだろう?」
アルバンがエルザを一瞥する。
「ええ、その通りです。リーヴェがいなければ、こうはならなかったでしょう」
「だそうだ。あの魔銀鉱床はノードの新しい財源となる。ノードを代表して礼を言わせて欲しい。ありがとう」
「ちょ、ちょっとやめてください! エルザ様も!」
ソルダート家はノードで一番偉い貴族であるという認識のリーヴェ。
アルバンとエルザが揃って頭を下げたことに驚いた。
顔を上げたアルバンがリーヴェに質問する。
「リーヴェさんには報奨金として、金銭を支払いたいと思ってるのだが……こちらとしてもいくら払えばいいのかわからない。希望の金額はあるかね?」
リーヴェは悩む。
この話は事前にエルザから聞いていたものの、いくら欲しいと言えばいいのか皆目見当がつかない。
『いくらでもいいだろう? 金貨1000枚とでも言ってみろ』
「そんなんわけ……じゃあ金貨1枚……いえ、4枚ください!」
呆気に取られたような表情をアルバンは浮かべ、エルザは予想していたとばかりに澄まし顔を浮かべていた。
「……それでいいのかね?」
「は、はいっ!」
「……わかった。エルザ、用意してくれ」
立ち上がったエルザが部屋を退室する。
正確にはミックもいるのだが、初めて会う人と部屋の中に二人だけ。
それもノードで一番の権力者とだ。
気まずさを感じたリーヴェはうつむき、皿に残った料理をつつきながらエルザが戻るのを待っていた。
カシャカシャと食器がぶつかる音が響く中、アルバンが口を開いた。
「リーヴェさん、娘を助けてくれてありがとう。本来であれば、真っ先に駆けつけてお礼を言うべきなのだが。この非礼をどうか許して欲しい」
顔を上げたリーヴェはアルバンを見る。
「何のことですか?」
『迷宮の件だろう』
「ああ!」とリーヴェは声を上げた。
「あれは私のせいで、私は何もしてなくて、助けたのは別の人で――」
「執事からあらましは聞いている。あの子だけでは、きっと死んでいただろう。本当にありがとう」
目を潤ませたアルバンが再び頭を下げ、頭を下げたまま続ける。
「娘と親しくしてくれてありがとう。あの子はずっとノードのためにと気詰まりしていた。最近はリーヴェさんと共に行動するようになって、表情も和らいだようだ」
「アルバンさん、頭を上げてください! そんな簡単に貴族様が頭を下げるものじゃないと思います!」
「これは貴族としてではなく、エルザの父としての礼だ」
「私もエルザ様にはよくしてもらっていますので……」
顔を上げたアルバンは、しわを深くして笑みを零す。
「そうかそうか。どうかエルザとはこれからも仲良くしてやって欲しい」
コンコンコンと扉がノックされ、エルザが部屋に入ってきた。
エルザはリーヴェの横に立つと、手に持っていた小箱と二枚の紙をテーブルへと置く。
「これは?」
リーヴェが手元に小箱を引き寄せて開ける。その中には4枚の金貨が入っていた。
「これがさっき言ってた報奨金。それと、これは家の権利書です」
「家の権利書?」
「そうです。ゲアストの南に広い一軒家を買いました。これからリーヴェはそこに住みなさい」
「え? 私の家はあるよ!?」
「そう言うと思ってこちらも用意してあります」
エルザがもう一枚の紙を指差した。
「こちらは今、リーヴェが住んでいる家の権利書です。ソルダート家で買い取りましたから、もう家賃も必要ないですよ。名義はちゃんとリーヴェの名前にしてあります」
「えっ!?」
「南の家は私とあなたの共同で使う研究棟のようなものです。ちゃんとお風呂もありますからね。あなた、毎日体を洗ってないでしょう?」
「それは……そうだけど……」
『いいじゃないか。魔法の研究をするにしては、あの家は小さすぎる。エルザが用意したものであれば広いのだろう?』
ミックの置かれる祭壇を見たエルザはこくりと頷いた。
「リーヴェはもう一人前の魔法使いであり、有名な冒険者。その名は最早王国にまで届いているのですよ? 家くらい、きちんとしてなくてはどうするのですか?」
難攻不落とされた十字の迷宮を攻略した者がいる。しかもたった一年で3級魔法使いになった少女らしい。
そんな噂が王国まで届いているのをソルダート家は把握していた。
エルザとニクラスの二人で踏破したと流布していたのだが、人の口に戸は立てられない。
想定よりも噂が広まるのが早かったが、いずれ露呈することだ。
ノードの魔法使いとして、リーヴェには相応の立ち振る舞いをしてもらわなければならない。
「そんなものなのかなぁ……」
「そんなものです!」
『そんなものだろう』
リーヴェは権利書を手に取った。
暮らしていた家が自分のものになった。家族との思い出が詰まった家だ。
これは夢じゃないよね?
リーヴェはそう思いながら、紙をじっと眺めていた。




