第25話 北の地へⅡ
ミックとリーヴェは狩った獲物を荷車に積み込んでいた。
「よし、後は布をかけて終わり!」
『これは便利といえば便利だが、やはり魔法で収納したほうが楽ではあるな』
「せっかくエルザが用意してくれたんだし、ちゃんと使おうよ」
リーヴェは魔道具を起動させる。
ひんやりとした冷たい空気が辺りを包み込む。魔道具が置かれた荷台は次第に湿り気を帯び、結露した水滴が凍り始めていた。
「ミックは先に戻ってて。私は馬におやつあげるから」
手についた土汚れを払い落とし、リーヴェは小屋の脇に作られた柵の前に行く。
木箱からリンゴを何個か取り出して腕に抱えた。その一つを手に取って、柵の向こう側へと差し出す。
「おやつだよ。おいでー」
ヒヒンといななきを上げ、軽やかな足取りで二頭の馬が近づいてくる。
リーヴェの腕に鼻先を擦りつけ、鼻をひくひくと動かすとリンゴにかじりついた。
「ちゃんと朝の飼葉もぜんぶ食べたね。えらいえらい」
二頭の馬におやつをあげ、満足したリーヴェは小屋の扉に手をかけた。
扉を開けるとテーブルが真っ先に目に入る。そのテーブルにはエルザが突っ伏していた。
「大丈夫?」
リーヴェが近寄り声をかけると、エルザが弱々しく顔を上げた。
顔にはやつれ、目の下にはクマ。艶やかだった髪は突風に煽られたように乱れている。
反応はしたものの、リーヴェを見つめるエルザは無言のままだった。
「昼ご飯作るけど食べられる?」
「食欲ない……」
「スープだけでも食べなきゃだめだよ」
壁際の台所代わりにしているテーブルで、リーヴェは楽しそうに昼食の準備を始めた。
エルザは体内魔力量を増やす修業の最中だ。
この修業でリーヴェが膨大な魔力量を培ったと聞き、意気揚々とエルザは臨んだ。しかし、音を上げないものの体力の消耗激しく、ここ数日はこの有り様だった。
リーヴェも同じく通った道。その辛さは知っていると、率先して身の回りの世話をしている。
昼食もでき、テーブルの上に料理が並べられていく。
用意された食事を前に、エルザは濁った瞳で見つめていた。スプーンを手に取るとスープをすくい上げ、口へと運ぶ。
その正面の席でリーヴェは豪快に肉を食らっていた。大ぶりにカットした肉をフォークで突き刺し、かぶりついて食べる。
「よくもまあそこまで食欲があるものね」
「オオカミステーキ美味しいよ? 食べるなら焼くけど?」
「大丈夫です……」
「ちゃんと食べないと魔力は増えないよ?」
その言葉を聞いたエルザは無理矢理口の中にスープを流し込んだ。
空になった皿をリーヴェが手早く片付けていく。
広々としたテーブルに、再度エルザは突っ伏した。
体内魔力を常に枯渇状態にさせる修業。
自分なら耐えられると意気込んでいたエルザだったが、予想を遥かに上回る辛さ。弱音は吐かないものの、態度には出してしまっていた。
「じゃあ私は狼狩りに行くから。エルザをよろしくね、ミック」
『気をつけろよ。まだリーヴェは弱いのだからな』
「はいはい」と少し曲がった杖を手に、リーヴェは出て行った。
『おい、エルザ』
ミックの触手がエルザの肩を叩き、それに反応したエルザが顔を上げる。
「もう午後の授業を始めるのですか?」
『いや、もう今日は休みにしよう』
エルザは安堵したようにため息を漏らした。
考えていた以上に辛い修業だった。それこそ、この修業で死んでしまうのではないかと思うほどに。
『少し聞きたいことがある』
「なんなりと」
背筋を伸ばし、居住まいを正したエルザはミックへと顔を向ける。
『リーヴェの杖を見繕ってやりたいのだが、この国で杖は造れないのか? エルザの杖と同程度以上のものくらいは欲しいのだが』
「残念ながら我がノードにおいて、杖は造れないのです。私の杖は王国の技師に造ってもらったものです。魔銀は輸入でしか入手手段がなく、扱える技術者がほとんどいません。魔道具関連はその多くが王国からの買い付けになっていまして」
『買い付けか……。個人によって材料配分は変えたほうがいいのだがな。魔銀があればどうにかなるか?』
「材料さえあれば、なんとかなるかもしれません。技師の誘致はさほど難しくないかと思います」
この大陸において、魔銀の産出はほぼ王国の南側にある鉱山だ。
そのため、魔銀の流通は王国の寡占市場となっている。
魔銀は購入するだけでも多くの許可申請書類が必要であるし、ノードに運ばれてくるまで期間もかかる。さらにその価格は非常に高額だ。
「魔銀の入手は難しいので、オーダーメイドで造るのでしたら王国に赴いたほうがいいでしょう」
魔銀を入手できたとしてもノードの職人では加工技術が低く、ミックの希望する水準まで届かないだろう。
それならば高額になるとしても、王国の工房に注文したほうがいいとエルザは考えた。
エルザの言葉を聞き、ミックは逡巡する。
リーヴェと一緒に町を回ったことで、ミックは杖の価格を把握している。
既成の杖であの値段ならば、オーダーになると桁が変わるのは容易に想像できた。
高価な杖では、リーヴェが忌避感を前面に出すこと間違いないだろう。
それなら極力安くなるようにすればいい。
『魔銀なら、このノードでも採れるだろ』
「えっ!? 今、なんと!? なんと仰いました!?」
エルザは立ち上がり、ミックに顔を近づけた。
木箱に寄るエルザの顔。鬼気迫るような顔に、ミックはおののきつつも答える。
『このローバスト山脈にも魔銀の鉱床があるぞ』
「ふぁ!? ちょっ……場所をお伺いしても?」
椅子から転がり落ちるようにして、エルザは壁際の道具入れに駆け寄った。
道具入れの中をごそごそと漁り、地図を取り出すとテーブルの上に広げる。
ぎらつく視線がミックを突き刺すように見つめる。
黒く細長い触手が木箱の中から現れ、地図上の一点を示した。
『この辺りだ』
「なるほど、ノベスト国との国境付近ですか。ノード国内ではあるようですね。それなら杖はノードで造れるかもしれません」
埋蔵量を調べてみなければ、一概には言えない。しかし、魔銀鉱床ともなれば国にもたらす利益は計り知れない。
自国領土内にあったことにエルザは安堵する。
「一度ゲアストに帰り、準備を整えてから鉱床に向かってもよろしいでしょうか?」
『ああ、かまわない。その段取りで動いてくれ』
「それにしてもミック師匠はリーヴェに甘いんですね」
師弟の間には絶対的な主従関係があり、一般的に師はここまで弟子の面倒を見ることはない。
片や女神に選ばれた魔法使い、片や魔法の才能はあるが平民の子供。
大陸全土の魔法使いたちに崇められるべき存在であるミックが、リーヴェのために動く。
そのことに、エルザは嫉妬していた。
『女神によって選ばれた魔法使いとは、どのように後世へと伝わっているのだ?』
話題が変わったことにとまどいつつも、エルザは答える。
「それは……魔法使い様は魔王の隙を作るため、その身を犠牲にして散ったと……」
『なるほどな。それは作り話だな』
「……なぜ、そのようなお話を?」
『おそらくだが、リーヴェはその魔法使いの子孫だ』
エルザの瞳が驚愕の色に染められる。
リーヴェは強い。エルザの目から見てもはっきりわかる。
だが、強すぎるのだ。
たかが一年程度の鍛錬で、とうてい到達できるレベルではない。いくら女神に選ばれた魔法使いが師だとしても、あの力は異常すぎる。
魔法の才能とは血統だと言われている。
だからこそ、魔法使い同士での婚姻が望まれる。
しかし、かの魔法使いの血筋であるのなら、力の強さが理解できる。
「な、なるほど!」
ミックの言葉に、エルザは納得したとばかりに声を上げた。
そして、もう一つ理解できたことがある。
なぜミックがリーヴェに甘いのかということだ。
ミックの子孫がリーヴェなのであれば、それも当然のことだろうと。
「あの、ミック師匠。魔法使い様の話を伺ってもよろしいですか?」
『ん? いいだろう。あまりたいした話はできんがな』
この大陸に住まう人々は誰しもが英雄譚を聞いて育つ。
もちろんエルザもそうだ。
幼心に憧れを抱いていた人物が目の前にいる。
ミックの語る内容を、子供のような顔をしたエルザが耳を澄ませて聞いていた。
◆ ◆ ◆
翌朝、リーヴェとエルザは家の外にいた。
「この歳で泥遊びですか……」
「えー、楽しくない?」
二人は地面に座り、土をこねている。
魔法で乾燥させ、水分を含ませ、泥のようになった地面だ。
リーヴェには9年振り、エルザにとっては初めての経験。
爪の内側まで汚しながらリーヴェは泥の山を、エルザは泥の団子を丸めている。
なんのためにこんなことをしているのか。
手を止めたエルザは、リーヴェが山にトンネルを掘るのをうつろな目で見ていた。
そんな二人の前に、小屋からミックがふよふよと飛んで現れる。
『二人は何を遊んでいるんだ?』
「えっ!?」
「はっ!?」
時が止まったかのように二人は固まった。
リーヴェの刺すような視線がエルザに向けられた。
「ミック師匠が泥をこねろって……」
「エルザが泥遊びで鍛錬をって……」
飛んでいたミックが地面に落ち、上蓋を勢いよくカタカタと鳴らす。
『違う。泥を使って練れ、だ。土に魔力を通すんだ』
「な、なるほどっ!」
聞き間違えていたと理解したエルザは顔を赤くする。
これはエルザからの願いでミックが指示したことだった。
魔法を学び始め10年以上経つエルザは魔力放出のコツを早々に掴み、ミックに新しい魔法を教えて欲しいと懇願した。
リーヴェに比べれば、エルザには一日の長がある。
魔力量はまだ少ないものの、その類稀なるセンスは見て取れた。魔法に対する熱意もある。
これなら教えてもいいだろうと、ミックが選んだのは土を操作する魔法だった。
リーヴェは山を崩し、魔力を通した土で、今度は城を作り始める。
エルザは作った泥団子をピラミッド状に積み上げていく。
一般的に光の魔法は出力が弱いものの、魔法陣を介さず直接発動させている。
同じようなものだと、エルザは泥団子の山に手を添え、頭の中でイメージを膨らませた。
「土の槍」
エルザの手から魔力があふれる。
魔力が土に染み渡る。山が盛り上がり、硬質化した土が槍の形をなした。
半ば折れ曲がっているが、リーヴェの背丈ほどの土の槍が矛先を天に向けていた。
『ほう、やるものだな。リーヴェよりも先にできるとは』
「これまでは先手を取られていましたが、私のほうが経験が長いですから。いつまでも負けていられません」
体内魔力が少なくなり気を失いそうになるが、エルザはおくびにも出さず気丈に振る舞った。
「できた!」
近くで土をこねていたリーヴェが大声を上げる。
土の城はいつのまにか槍となっていた。しかも、エルザの造ったものよりも大きさは倍近い。
それを見たエルザはがっくりと肩を落とし、地面に倒れ込んだ。




