第23話 十字の迷宮Ⅲ
幻影狼の攻撃を何度か受けながらも、三人はダンジョンの最奥にたどり着く。
四方からの通路が交差する場所。円天井に膨らんだ広い空間。
その中央には倉庫のような建物がたたずんでいた。
「建物の中に建物って変な感じ」
『あれは保管庫だ。右側に回り込めば入口がある。入口の前に……いるな』
ゴクリと固唾を飲み込み、リーヴェは杖を握りしめる。
振り返ったリーヴェは、少し離れてついてくるエルザに伝える。
「エルザ様、何かいるみたいです。注意してください」
リーヴェは一歩一歩、ゆっくりと足を踏み出し、正面へと回る。
建物の前にそれはいた。
入口の前を守るように伏せる黒い影。それは巨大な幻影狼の姿だった。
ここに来るまでに倒したものと比べると、その体躯は数十倍。
巨躯の幻影狼は頭をもたげ、鋭い視線をリーヴェたちに向ける。
幻影狼の体から、水が滴るように黒い影が零れ落ちる。
地面に落ちた黒い水滴は盛り上がり、それは小さな幻影狼へと変わった。
『知っている者ではないな……』
生き残っている仲間がいるかもしれないと、一縷の望みは抱いていた。
期待すべきではなかったかと、口惜しい様子でミックは呟く。
この施設はフーゴーという名前の魔族が管理していた。
人間から人狼と呼ばれ恐れられていた魔族であり、ミックが魔王になるまでは共に魔法の研究をしていた魔族でもある。
『魔力の質はフーゴーに似ている気はするが……もしかして子孫か? リーヴェ、少し近づいてくれ』
幻影狼の正面にじりじりと近づくリーヴェ。
『我は魔王なり。お前はフーゴーの子か?』
「えっ!? ミックって魔王だったの!?」
『今は黙ってろ』
ミックの声が聞こえているはずの幻影狼は微動だにしない。
返答はなく、牙を覗かせた口からは黒い水が滴り落ち、幻影狼となっていく。
『リーヴェ、そのまま少し下がれ』
幻影狼が攻撃の意志を見せる。
体の周囲に黒い影が浮き上がり、それが矢となってリーヴェに迫る。
「ひゃっ!」
空中に六角形の防御障壁がいくつも浮かんだ。
リーヴェに迫った黒い矢は障壁に阻まれ、ガラスが砕けるような音と共に消え失せる。
それでもなお幻影狼の攻撃の手は緩められることなく、矢が幾度も放たれる。
一本の矢が防御障壁を掻い潜り、リーヴェの足元に着弾した。
粒となって魔素に還っていく矢をミックは見る。
『あれは……フーゴーそのものか……』
「し、知り合いなのっ!? だったら戦いをやめてもらうように言えば――」
リーヴェの前には黒い矢が豪雨のように迫りくる。
防御に徹したミックの障壁とぶつかり、相殺されていく黒い矢。
初めて目にした熾烈な魔法戦にリーヴェは後ずさった。
『駄目だ。あれはもう止まらない』
「どういうこと!?」
『あれはフーゴーであって、もはやフーゴーではない。魔力に思念が混ざっただけの存在だ』
後ろに下がり、リーヴェはフーゴーと距離を取った。
先ほどの弾幕のような矢が止まる。されど、鋭く光る猛獣のような目はリーヴェを捉えたままだ。
「離れたら攻撃してこない。このまま逃げればいいんじゃないの?」
『あの姿を見るのは忍びない。ここで殺す。リーヴェ、杖を向けろ!』
「……わかった」
殺すか殺されるか。
戦いが始まった。
『くっ、当たらんかっ!』
躯体をしらなせ、フーゴーは光の矢を避ける。
命中の軌跡を描く矢は、障壁を張られて防がれる。
致命打が与えられず、状況の変わらない攻防が続く。
「エルザさんみたいな氷の魔法で移動を妨害できれば当てられるんじゃない!?」
『ここで水は出せるが、氷の魔法は得意じゃない』
「水は出せるんだよね? エルザ様! 水があれば氷の魔法が使えますか!?」
後方で戦いを見守っていたエルザに向かってリーヴェが叫んだ。
「やってみなければ……いえ、やります! やってみせます!」
『よし、やるぞ。エルザにはなんでもいいから凍らせろと伝えろ』
「エルザ様! 水が出たらとりあえず凍らせちゃってください!」
フーゴーを囲むように、何枚もの連なる水の板が出現する。
後方にいたエルザが水の板に向かって走り出した。
「魔法陣展開! 凍れ!」
水の板がピシピシと音を上げて凍り付いていく。
フーゴーの放った黒い矢が凍った板を破壊する。
板を貫いた一本の矢がエルザに迫った。
それに気づいたリーヴェが杖を前に飛び込んだ。
「防御障壁!」
リーヴェの生み出した障壁を砕き、黒い矢が杖をかすめた。
たたらを踏んだリーヴェはすぐさま振り返る。
振り返った先、這いつくばるように地に伏せたフーゴーがいた。
光が消えた目。頭部には光の矢が突き刺さる。倒れたフーゴーの体がボロボロと崩れていく。
崩れる体が淡く光る魔素となり、空中に溶け出していった。
「終わったんだね……」
跡形もなくすべて消え去った。
エルザの元にリーヴェが近づく。
魔力切れで座り込むエルザ。額からは汗が吹き出し、リーヴェを見上げる目は朦朧としている。
「大丈夫ですか? エルザ様」
「え、ええ。大丈夫です。二度も助けていただき……」
「いえ、こちらも助けてもらいましたから。立てますか?」
「……まだ無理そうです」
『今のうちに保管庫に行くぞ』
「すみません。先にあの建物の中を見てきます」
エルザを残し、リーヴェとミックは倉庫へと入った。
広い部屋の中、中央には持ち運べないほど大きな柱状の魔道具が置かれている。
棚がいくつも備え付けられているが、そこには何も残っていない。
『既に荒らされた後か』
「フーゴーさん、死んでからもここを守ろうとしてたのかな。もう何も残ってないのに……」
倉庫を出たリーヴェはエルザの元へと戻った。
「倉庫の中には何もありませんでした」
「そうですか」と呟くように言ったエルザはリーヴェを見つめた。
「リーヴェさん……。本当にあなたは何者なの? 師は相当高名な方なのでしょうね」
ミックのことを褒められたリーヴェは意気揚々と答える。
「本当にミックはすごい人です!」
『おい』
エルザの目が大きく見開かれる。
「師の名はミック様とおっしゃるのですか……。その御尊名、寡聞にして存じません。私はまだ若輩の身。ですが、魔法に対する情熱はあると自負しています。リーヴェさん……ミック様にお目通り願えないでしょうか?」
にじり寄り、リーヴェにすがり「どうかお願いします、どうか」と懇願するエルザの姿。
その姿に、リーヴェは過去の自分を重ねて見た。
「ちょっと待っててください」
エルザから離れ、リーヴェはミックに相談する。
「エルザさん、ミックに会ってみたいだって。どうする?」
『相手はこのノードの有力貴族の子供。恩を売っておいてもいいかもしれん。魔法に関する助言くらいはいいだろう』
「なるほど!」
エルザの元に戻ったリーヴェがミックの言葉を伝える。
「魔法に関する助言くらいならしてもいいそうです!」
「……は? ミック様と話しをしたのですか?」
「そうですが?」
『おい』
「あっ!」と思わず声を出したリーヴェはしどろもどろになりながら説明する。
「えっと、ミックとは魔法で会話できてて……」
「こ、この場でですか?」
「……そうです。エルザ様もミックからは見えてて」
未知の魔法の話を聞きたエルザは呆然とする。
驚愕、猜疑、畏敬といったものが、その瞳には色濃く現れる。
エルザは聞いた言葉を頭の中で必死に理解しようとしていた。
未知の魔法を使い、空間魔法の原理を理解している者。
王国の1級魔法使いでもありえない。神聖国の大神官よりも上かと思えるような魔法使い。
そんな偉大な魔法使いはそうそういない。
ミックとは誰なのか、エルザに唯一思い当たる人物がいた。
もはや、その人物以外に考えられない。
あれから400年は経っている。しかし、かの偉大なる魔法使いであれば、時でさえも操ることができるのだろう。
勇者一行の一人であり、大陸史における英雄の一人。
女神によって選ばれた魔法使い、その人であると。
居住まいを正したエルザが片膝をつき、胸の前に右手を置く。
まばたきもせず、強い瞳でリーヴェを見上げた。
「ミック様、どうかこの私に魔法をお教え願えないでしょうか」
エルザの言葉にリーヴェが不安げに後ろを見つめる。
「どうするの?」
『……この際だ。いいだろう。入手できる情報も増えそうだしな』
「大丈夫だそうです」
リーヴェの言葉にエルザは頭を下げた。
『私はミックと言う。リーヴェと仲良くしてやってくれ』
「ありがとうございます」
ミックの言葉を聞いたエルザは、ぶるりと体を震わせた。そして、さらに深く頭を下げる。
「あーっ!」
『どうした!?』
急に叫んだリーヴェに、ミックとエルザは何事かと動揺する。
「ミックから借りた杖が曲がってる!」
リーヴェが両手で高く持ち上げた銀色の杖は、途中から曲がっていた。




