第21話 十字の迷宮Ⅰ
じきに雨が降り出しそうなほど重い色をした雲が空を覆う。
冒険者ギルドを出たエルザはすぐさま出立の準備を整え、馬車で東へと向かっていた。
行く先は十字の迷宮。
ノードの国史資料によれば、十字の迷宮とは400年ほど前に討伐隊が攻略した魔族の砦の一つだ。
入り口が四ヵ所あり、十字の形をしていることから名づけられた迷宮。
迷宮の陥落後、管理者もおらず長年放置されたたためか、いつの間にか魔物が住み着いてしまっていた。
ここ数十年で魔法学園も設立でき、ようやく軍備も整いだしたノード国。
迷宮を根城にした魔物が増えることを恐れ、何度か討伐隊が派兵されている。
しかし、それはことごとく失敗に終わっていた。
討伐にはソルダート家も関わっている。
報告書に目を通しているエルザは、討伐が失敗している理由を把握していた。
住み着いているのは幻影狼と名づけられた魔物。
その名が示すように、影のような存在の黒い狼だ。
剣や弓では攻撃を当てることすらかなわない。空気を切り裂くように、幻影狼の体をすり抜ける。
逆にその牙は、金属鎧でさえいとも容易く傷をつけてしまう。
しかし、攻撃の手段は存在する。
前回の派兵時において、随伴した2級魔法使いであるディルクが成果を上げた。
魔法の攻撃であれば、幻影狼は殺すことができるのだ。
それこそがエルザの勝算。
「エルザお嬢様、くれぐれもご無理だけはされないようにお願いします」
「ええ、わかっていますとも」
エルザにとって初めての実戦ではあるが、今まで何度もこんな状況を想定した訓練は行っている。
魔法の速度、連射についてはもちろんのこと、魔力の回復量も普段から気を配っている。
失敗する要因は見当たらない。
訓練と実戦は違うということは重々承知。無理だと判断すれば、即座に撤退すればいい。
馬車を降りたエルザは手に持つ杖を振り抜き、ビュッと音を鳴らせる。
そして迷宮の入口に向かって歩き出した。
魔族との戦争時から残る建物であり400年以上は経過しているのだが、いまだ崩れることもなく残っている。
荒野に忽然と存在する迷宮は、大きな岩をくり貫いて造られたような建物だ。
どう加工したのか不明であり、当時の魔族の技術力の高さを象徴している
扉もない入口。天井からは照明の魔道具が吊り下げられ、ダンジョン内を明るく照らしていた。
エルザは一人、迷宮の入口に立つ。
初めての実戦。
杖を握る手には汗が滲み、心臓の鼓動がわかるほど強く脈打つ。
手足が震える。
怖いのではない。興奮で身震いしているのだ。
自分ですら知らなかった一面にエルザは驚いていた。
いつも冷静であろうとしていた結果、水と氷の特属を得られたと考えていたのだが、今の自分自身はまるで戦闘狂のように思えた。
普段より、みなぎる魔力を体に感じる。
高ぶる気持ちを抑え込み、エルザはダンジョンの中へと足を踏み入れた。
照明がまっすぐな一本道を照らし出す。
ダンジョンの中だからなのか、自分がおかしくなってしまったのか、外と感じる空気が違う。
張り詰めたような空気の中、エルザが歩を進めると、奥から影がのそりと現れる。
「出ましたね」
この迷宮に住まう幻影狼だ。
狼といっても小さなもの。犬ほどの大きさの幻影狼が三匹、エルザの前に姿を見せた。
エルザはすぐさま杖を振るい、魔法を放つ。
「魔法陣展開! 水槍!」
手始めに、得意とする水魔法を使う。
長期戦になる可能性もある。
威力を抑え、矢のように細くした水槍が一匹の幻影狼に襲いかかった。
幻影狼の頭を寸分の狂いなく水槍が貫いた。
死に際の遠吠えを上げることもなく、幻影狼は黒い光の粒となって霧散する。
「やはり報告書通り、普通の魔物ではないみたいですね」
魔物といえど生き物だ。死ねば、普通なら屍骸が残る。
魔法のように消えたその体を見れば、とある仮説が考えられる。
幻影狼とは過去にいた魔族の生き残りではないかという仮説だ。
しかし、今は戦いの最中。考察している時間はない。
殺すか、殺されるかだ。
「魔法陣展開! 水槍!」
エルザは二つの魔法陣を生み出す。
残りの二匹に水槍が放たれた。
「ちっ」
一匹は貫いたものの、もう一匹に水槍が躱される。
仲間が魔素に還り怖じ気づいたのか、取りこぼした一匹は身を翻し、奥へと駆けていく。
「逃しませんっ!」
逃げる幻影狼をエルザは追いかける。
この十字の迷宮は各入口から一本道であるし、エルザが入ってきた入口には従者がいる。
報告書には幻影狼は迷宮からほとんど離れないとの調査結果も載っていた。
挟撃はない。
ならば、恐れずただ前に進むのみ。
追いかけるエルザをあざ笑うように、時折立ち止まっては後ろを振り返る幻影狼。
「水槍!」
踊るように、小馬鹿にするように、幻影狼はひらりひらりと魔法を躱す。
攻撃を避けられ続け、苛立ちが募るエルザは幻影狼を追いかけて奥へ奥へと入り込んでいく。
一定の距離を保ち、逃げの一手を取っていた幻影狼が立ち止まった。
今までとは違い、体ごとエルザの方へと振り返った。
「ようやく戦う気になったようですね。諦めて殺されなさい!」
エルザの手に力が入る。
杖を振り上げた時だった。
「えっ?」
魔法陣を空中に描こうとした瞬間、エルザの立つ地面が激しく揺れる。
踏みしめていた大地が崩れ、体勢を崩したエルザは宙に舞った。
手から離れた杖が天井からの光で鈍く光る。
「これだけはっ!」
宙に舞った杖に手を伸ばし、手元に引き寄せ抱え込む。
杖を両腕で抱えたエルザは暗闇の中に吸い込まれていった。
◆ ◆ ◆
「げほっげほっ」
薄暗い穴の底、濃い土の匂いが充満する。
土煙が舞う中、エルザはローブの裾で口と鼻を覆った。
顔をしかめ、目を細めたエルザは上を見上げる。
「落とし穴……味な真似をっ!」
指先から光の塊を生み出したエルザは周囲を見渡した。
二重の罠がなかったことに安堵しつつ、今度は自分の身を確認する。
打ち身はあれど、怪我と呼べるほどではない。落ちた先が柔らかい土だったことが幸いだった。
エルザがいるのは長方形に区切られた落とし穴。高さは5メートルを超える。
しかし、魔法使いであるエルザにとっては問題ない。
脱出しようとエルザは杖を持ち、立ち上がった。
「魔法陣展開」
水色に光る魔法陣が浮かび上がる。
「水板」
その中心をエルザは杖で突いた。
すぐさまエルザは次の動作に移る。魔法で生み出した水の板を氷の板に変え、階段にするつもりだ。
「えっ?」
水の板が生み出されることはなく、魔法陣は光る粒子となって消えていった。
エルザが魔法の発動を失敗したのは実に7年振り。
動揺はしたが、こんな状況では止むを得ないと心を落ち着かせ、冷静になったエルザは再度魔法陣を浮かべた。
「水板」
エルザは魔法陣をじっと見つめる。
しかし、魔法は発動することなく、先ほどと同じように魔法陣は消え去った。
「魔法無効化……。いえ、魔法陣自体は発動しているからそれはない……」
防御障壁も階段のようには使える。しかし、エルザの特属である水や氷と違い、防御障壁は連続して生み出すことができない。
随伴した従者では幻影狼に殺されるだけだろう。
助けに来ても無駄死にするだけだ。
エルザは絶望の中、天井に輝く光を見上げた。
 




