第19話 エルザの嫉心
ソルダート家の屋敷、アルバンの執務室にエルザはいた。
執務机につくアルバンは難しい顔をしてエルザを見ている。
エルザは部屋に入ってから一言も喋らない。苦悶の表情をたたえ、うつむいたままだった。
「3級魔法試験の結果を報告するためにここに来たのではないのかな?」
アルバンの言葉にエルザはぴくりと動いたものの、押し黙る。
「試験のことはディレクさんや学長からも聞いているよ。おめでとうとは言っておこう」
エルザがうつむいたまま、ようやくその口を開いた。
「ですが……」
「同率とはいえ3級トップ合格。胸を張るべきことだと思うが? 確かに、エルザとしては単独トップを狙っていたのだろう。しかし、世の中は広い。このノードにエルザの他にも才能を持った少女がいたのを喜ぶべきではないか?」
「はい……」
「何はともあれ、学園は卒業、3級魔法試験は合格。今まで根を詰めすぎたんだ。当分はゆっくりするといい」
エルザは一言「失礼しました」と言い残し、部屋を出て行った。
アルバンは背もたれに深く体を預ける。
リーヴェという少女の件はディレクから、また噂話でも耳に入ってきている。
住民登録の情報を見る限り、生まれた時からゲアストに住む平民だった。
信頼できる情報筋からの報告では、師は不明であるとのこと。
本来ならエルザと同等、もしくはエルザを超える天才魔法使いがノードに現れることは喜ばしいことだ。
しかし、ディルクは神聖国の陰謀を仄めかしていた。
アルバンはまた悩み事が増えたと両手で頭を抱え、深いため息を吐いた。
◆ ◆ ◆
執務室を出たエルザは自室へと向かう。その足取りは重い。
部屋に入ると倒れ込むように椅子に腰かけ、突っ伏すようにテーブルに前のめりになった。
ぼんやりする頭を手で押さえる。
昨夜遅くまでエルザは眠れなかった。
ベッドに入り、目を閉じると、浮かんでくるのは実技試験のこと。
嘘をついてまで専属魔法使いの話を断られたのは腹立たしいことではあるが、エルザが気にしているのは3級魔法試験の結果についてだ。
魔法ギルドに張り出された合否結果。エルザはリーヴェと同率のトップ合格。
エルザの見立てだと、これはありえない。
実技試験で使ったリーヴェの魔法は見事なものだった。
エルザも過去一度だけ王国の宮廷魔法使いに見せてもらったことがある。
魔法陣を介さない魔法。
それは研鑽に研鑽を重ね、卓越した技術がなければできないものだ。
「ソルダート家に配慮したのでしょうね……」
それしか考えられないとエルザは口に出す。
筆記試験の時点で、エルザとリーヴェは同じ順位。
なぜかリーヴェの点数は表記されていなかったのだが、最終問題を解いたのであれば、そこに疑問はない。
同率の合格とは、すなわち実技試験においてもエルザとリーヴェは同じ評価点だったということだ。
そのことに、エルザは納得できていなかった。
試験結果を確認したエルザは、その足でギルドマスターに面会を求めた。
時間もさほどかからず、面会したディレクにエルザは詰め寄る。同率合格が不服であると伝え、さらにリーヴェの情報開示を求めた。
エルザとて、家の威光を笠に着て脅迫まがいのことはしたくない。しかし、リーヴェの情報を得るにはディレクから直接聞くのがもっとも早く、正確だろうと。
エルザの強めた語気は空を切る。
採点についてはエルザも理解はできる。
栄誉ある魔法試験のトップ合格者に学園出身者以外、それも見知らぬ者を据えるのは国としても避けたいところだろう。
同率トップに据え置くことが最善の手に思える。
しかし、だ。
リーヴェの話になるとディルクの歯切れが悪い。のらりくらりとディルクは言葉を濁し、はぐらかす。
忙しいからと、最後は半ば追い出される形でエルザは退室させられた。
情報開示について、圧力に屈しなかったディルク。
リーヴェの師の存在が問題なのだろうとエルザが考えていると、コンコンコンと部屋の扉がノックされる。
「エルザお嬢様。ジークです」
「入室を許可します」
居住まいを正し、毅然とした言葉を放つエルザ。
ドアが開き、現れたのは執事服を着た老齢の男性。ソルダート家に代々務める執事長のジークだ。
「報告を」
「はい。お嬢様が言われた通り、黒髪の少女は冒険者ギルドに現れたようです」
リーヴェが訪れた時間帯、受付嬢と話した内容。執事長は得られた情報をエルザに報告する。
「わかりました。もう下がってかまいません」
執事長はエルザの言葉を受けると一礼し、部屋を出て行った。
「本当に冒険者の仕事をするだなんてね」
ディレクから情報が得られなかったエルザは、旧知の仲であるアンネリーゼに詰め寄った。
最初は頑なに口を閉ざしていたが、それでも食い下がるエルザに根負けしたアンネが教えてくれた唯一の情報。
そのうち噂になるだろうからと教えてくれたのは、リーヴェが冒険者になるということだった。
3級魔法使いが冒険者になる。依頼者ならわかるが、冒険者になるという思考をエルザは理解できない。
しかし、相手はソルダート家の専属魔法使いを断るような理解の範疇を超える人物。
執事長に冒険者ギルドを張るようにと命令した結果がこれだ。
エルザは幼少時から英才教育を受けてきた。
物心がつき、己の立ち位置が理解できるようになったエルザは、民を先導する者としてさらに勉学に励んだ。
睡眠時間を削り、理解できるまで学び、わからないことは知識のある大人に聞いた。
幼くして魔法の修業にも着手した。
父であるアルバンの伝手を頼りに、王国宮廷魔法使いに教えを請い、魔法を学んだ。
結果、エルザは天才と呼ばれるまでになった。
今までずっと先陣を切ってきたつもりだ。
ノードのために、民のために、自分自身のために。強くあろうと、誇り高くあろうと。
嘘をついてまでソルダート家の専属魔法使いを断っておきながら、何でも屋のような冒険者ギルドに出入りする3級魔法使い。
魔法使いとはもっと高貴であるべきだとエルザは思う。
苛立ちが募る。
すべてが不快だった。
嘘をつくリーヴェを許せない。
力ある魔法使いは国のため、民のためにその才能を生かすべきだろうと。
そして、何よりも実力が足りなかった自分こそが許せない。
力の差は自分が一番よくわかっている。
今まで、エルザに好敵手と呼べる者はいなかった。
突然現れたリーヴェという存在に、エルザの心が揺らぐ。
上に立つ者として冷静沈着であろうとしてきたのだが、今回ばかりは納まりそうにない。
熱を帯びた火が体の奥底から発せられる。
その火は消そうとしても、抗うようにますます火力を増していく。
「これが嫉妬というものなのでしょうね」
他人から天才と称されてきたエルザだが、己自身は天才だとは思っていない。
何が必要なのか、どうすればいいのか考え、たゆまぬ努力を重ねてきた結果だ。
天才という言葉で一括りにされたくない。
もし、天才と呼ぶべき者がいるのであれば――
「リーヴェ……か」
羨望と憎悪、二つの感情が入り混じり、エルザの体の中を渦巻いた。
今まで味わったこことのない初めての感覚にエルザは戸惑う。
ふぅと息を吐き出す。
鬱屈した気分を落ち着かせるため、エルザはテーブルの上に置かれた神典に手を触れた。
女神教の敬虔な信徒であるエルザ。一日の始まりは神典を開くことが長年の習慣になっている。
神典の一節に、魔族との戦いは女神からの試練だったとの文言がある。
魔族という敵を撃ち破り、人間がさらなる高みに達するための試練であったと。
女神の教えはこの世すべての理。
突如現れたリーヴェという存在は、エルザにとって女神の試練のように思えた。
エルザの眼前に立ちはだかる高い壁。
いや、壁というのは生温い。
山だ。それもローバスト山脈のように天を貫くほど高くそびえる山。
これを超えることができるのならば――
実力的にはまだ到底かなわない。
だが、自身を認めさせることは可能かもしれない。
リーヴェに認められれば、自分の求める場所、さらなる高みに到達できる気がした。
リーヴェと会って、何を言おうかまでは考えていない。
しかし、会わなければならないと感じた。
自分のため、これからのため、避けて通ることのできぬ道。
翌朝、リーヴェと相対するすため、エルザは冒険者ギルドへと向かった。




