異妖“縁切り”
異妖“縁切り”の影を追って辿り着いたお洒落なアパート。彼女の住む部屋の前に陣取る。
――名前は椎名さん。
異妖の影の女性は椎名 志穂さん。
名前を聞いた訳でも、あの相談者の女性からは最後まで名前は出てこなかった。
――霊視の能力者にはこれくらい視えて当然。
初歩的な能力と言える。
一応呼び鈴を鳴らしてみる。しかし応えがない。
――子供の事を思い出して戻ったんだから、そのうち飛び出して来るでしょ。って目覚めたみたいね。
果たして鬼が出てくるか、それとも――
――鬼気は鳴りを潜めているけれど……
その残滓――鬼の残り香の様なものが感じられた。それは他の鬼を引き寄せてしまう。
――謂れの無い鬼の核にされちゃうのも寝覚めが悪いし、斬るしか無い……かな……。
鬼ならばわたしの血を与えれば回復する。下手をすると格も上がる。けれどそれは彼女を完全に人の枠から外してしまう行為。
他に方法があるとすれば――
――添い寝したり、一緒に居ることだけど……。
現実的ではない。
――みんなわたしの血の匂いは熟した桃の様な甘い匂いだって言うけど……。
皆が疲れているとわたしに寄ってくる事がある。
リラックス効果、ストレス緩和アロマの様なものだろうか。
ドアが開かれて勢い良く飛び出してきたのは、スッキリと清潔感のあるオフィスカジュアルスタイルの女性。しかし、その顔は蒼白く、酷く疲れていた。メイクで誤魔化しているけど隠しきれて無い。
「先刻ぶりですね。改めてはじめまして『超自然現象・災害研究対策機構』所属 鬼斬り役 千羽 双樹です」
「あ、貴女……は……」
わたしに出鼻を挫かれた形の女性は、まるで幽霊にでも遭遇した様な驚愕の表情を浮かべた。
「子供に逢いに行くんでしょ? だったらママがそんな顔していたら駄目。急がば回れって言いますよね。先ずは鏡を見て」
わたしは女性を部屋に戻して化粧台の椅子に座らせると鏡を開く。
「縁結び神社で絵馬を飾る時に見つけてしまったんでしょう? 旦那様のお母さんが志穂さんと旦那様の縁を切ろうと呪っていたことを」
「その時に冷たい怒りがこみ上げてきて、それをお子さん――樹里杏ちゃんは感じて、後は、絵馬に書かれた念に怯えて泣いた」
赤ちゃんや子供というのは感じやすく、また視えてしまったりする事がある。
「あの事故は願いが成就してしまったから起きた事故。例えば地球を支配したい、と願い、叶うとする。それは自分以外の生物が絶滅するという形で叶えられてしまう」
極端でありえ無い荒唐無稽な喩え話で例える。
「何故なら何処まで行っても上には上が存在してしまうから。人はクジラの様に深海まで潜れない。鳥の様に飛ぶことが出来ない。チーターの様に早く走れない。人と人もそう。けれどその人の願いは自分が生きとし生けるもの全ての頂点に立ち、敬われ、その人々を見下ろすことなのにね。願いは全て絶滅させることで叶える。いずれ自分も死ぬのだけど。あのひとの願いも同じ。願いを叶えるには対価が必要なの。誰かの人生、命を奪うなら、それに釣り合う、その人が一番に大切にしているものを差し出さなければならない。あのひとの一番は志穂さんの旦那様である息子」
「死に別れって形で縁が切れた……」
「現にあの人の願い通りに志穂さんと樹里杏ちゃんとは縁は切れているでしょ? でもそれだけじゃない。あの人の願いは志穂さんと樹里杏ちゃんの死だった。二人分の命に対する支払いなんて想像したくないですね。生きている間に完済出来ない程に重い」
「わたしも同じようにあちらの人生を壊したわ……」
「あ、それは大丈夫です。志穂さんがしたのは姿を見せたり痕跡を残した事くらいで、他のは異妖の大元が見せた夢。異妖がしたことを見せられただけですから。気にするなら旦那様のお父さんには孫の顔を見せてあげてください。縁は切れていない、と」
あの相談者の場合、自業自得、因果応報なだけ。自滅だ。
異妖、鬼、鬼斬り。それらの説明もしていく。出来るだけ穏やかな声で語りかけ、説明していく。せの間に顔のマッサージとメイクを施していく。
メイクの途中、何かが心の中を抜けていく感覚があって、その後に温もりを感じた。
――いい感じに険が取れた。
リラックスしているのか目を閉じている。
「そのまま目を瞑って。憑き物を落とすから」
いつものように拍子を打つ。ポラースシュテルンを喚びだす。今回は刀型。久々の〈千破矢〉。
「オン ソヂリシュタ ソワカ・オン マカシリエイ ヂリベイ ソワカ――」
小さく何度も繰り返す。
――抵抗しても無駄。
異妖――鬼の霊が止せ、止めろと喚く。喰い破って反ろうとする。それを言霊で抑え付ける。
――この親子の縁を絶ち切らせるわけにはいかない。
すると一転、命乞いを始めた。
良縁を結ぶから、と。
人の都合で生み出され取り憑いた鬼。だからといって憐れむほど鬼斬りは甘くない。人の欲から生まれた鬼なら尚更に。
――約束をしたその端から破るつもりなら、幾らでも出来る。
生憎とわたしは性善説など信じていない。
鬼の首を礎に築城するなどといった災異転じて守護と成す、とか有るけれど、そんなのは人の観点だ。
人に仇為す鬼が斬られ、何とも思わず人の治める―― 住む地の守護に成るなど、そんな容易い霊ではない。
怨念。それを懐き放ち続ける。そう、それは幾星霜の果てに成就する呪だ。
神上がりさせるのは畏れからだ。自分たちに怒りの矛先が向かないようにという疚しい、後ろめたい、見たくない、蓋をしたい、責任から逃れたいからだ。
――わたしには鬼生み出すまでの願い、それがどれ程の想いなのか、どれだけの人の数かは分からないけれど……。
生みの親の元へ返られても困る。故に斬る。
千羽天剣流 禄存ー槐ー
視えざる刃が業の霊を絶つ。
椎名さんの肩や背中を叩いて気付かせる。
「あ、れ? わたし……もしかして、寝てた?」
「色々あって眠れていなかったから、強張りを解いたからかも?」
わたしは時間を取らせたことを謝罪し、ともに部屋を出て、アパートの前で別れた。




