異妖“縁切り”3.5
わたしの夫は、わたしの後輩だった。新入社員の彼の育成係になったのが出会いの切っ掛けだった。
交際に発展したのは幾つかのプロジェクトを成功させた打ち上げが切っ掛けだった。
告白もプロポーズも彼からだった。最初はとても驚いた。厳しくしていたから嫌われていると思っていたからだ。
厳しさの中で彼はよく生き抜いたと思う。彼と同期の新人が“自分には合わない”という理由で脱落していく中、彼は勝ち抜いた。
わたしは自分が可愛らしさがあるとは思っていない。可愛い娘は他にもいる。華やかな娘もいる。彼の事を好いと言っている娘たちがいるのを知っている。
対してわたしは総じて無難を絵に描いたような存在だ。若い子から何て言われているかも知っている。
そんな中でわたしを好きになってくれたことは素直に嬉しいと思った。
わたしたちは付き合って一年程で結婚した。ただ付き合っている時に彼のご両親を紹介されたのだけれど、お義父さんの方はわたしを受け入れて下さった。
年上とか働いているとか気にはしなかった。昔と違っているから共働きならば生活は協力しなさい、と。
けれど、お義母さんの方は……。だからなるべく波風を立てないように心掛けようと誓った。
あの後、反対をしたのだと思う。年上、彼よりも立場が上、共働き。何より性格が合わないと。反りが合わないだろうな、とはわたしも感じた。直感だ。
お義母さんは、女は仕事を辞めて家庭に入り、守り、子供を産み、育てるのが幸せだと考えている人だった。
彼を立派に育てた自負があるのだろう。だから年上、仕事でも家庭でもわたしが上に立つことになるのが許容出来ないのだろう。
それでも結婚を許さなくてはならなかったのは、彼が母親から精神的にも自立して独り立ちしていたのと、それをお義父さんが認めていて、お義母さんのワガママな理由を認めなかったことに加えて、余りにも目にあまる態度にお義父さんがキレて離婚を持ち出したからだ。
彼はそれも仕方がないと言っていた。わたしは彼の家族を壊してまで、と身を引こうとしたけれど、彼はあっちもいい年した大人だから、自分たちのことは自分たちで決めれば良いと、両親が離婚して他人になっても親と子には変わりないからと、親と子でも血が繋がっているだけの別の人間だから不快なら近付かない関わらないと、かなりドライだった。
それを理由にわたしを諦めるつもりはない、と。
惚れちゃうじゃない。
税が上がり物価が高くなって年金も減らされていく。そんな中で離婚をされては、と結婚を認めざるを得なかった。
パートだって、通販や韓流、華流ドラマやグッズに若い歌謡曲を歌う彼らの応援に資金が必要だからという理由で始めたのだとか。友達と聖地巡礼をしたり。
彼もお義父さんも呆れていた。
離婚されてはオタ活が出来ない。その費用を生活費に当てなければ暮らせない。
だから恨まれているだろうとは思っていた。
恨まれているとは思っていたし、覚悟はしていた。だけれど彼との縁切りや、その後の彼の再婚相手にお気に入りの娘を準備しているとか、そんなことまで画策しているとまでは思ってもいなかったし、想像も出来なかった。
それでもわたしたちは幸せだった。彼との愛の結晶である赤ちゃんも出来た。
嬉しかった。彼も喜んでくれた。男性が本格的に父性が芽生えるのは、自覚するのは遅いらしい。
今はわたしの空気や新しい命に高揚しているのだと思うけれど。あれこれと調べている彼、少し空回りしている彼、それらを含めて幸せだなと、浸っていた。
けれどそんな幸せの時間は唐突に終わりを告げた。否、奪われた。
彼がわたしを、お腹の子供を庇って亡くなった。
横断歩道ではない場所。一瞬の車の途切れ目。そこを渡ろうとしたお年寄り。歩みと反対車線の車のスピード。様々な要素が絡み合って、避けた車。ぶつかった車。それにぶつかった車。避けた車の先に、それらを避けていたわたしたち。何がどうなったのか、記憶が飛んでいる。
ただ、事実は彼がわたしを庇った瞬間と血を流して倒れていたことだけは鮮明に覚えている。
病院に駆け付けたご両親。
彼の状態を説明されたあと、わたしとお腹の子供を心配し、無事だった事に安堵するお義父さん。
『何故、貴女が……?』
お義母さんが顔面蒼白で呟いた言葉。
『何故、貴女が……生きているの?』
聞き間違いだと思いたかった。けれど見つけてしまった。
それは暫く時が経った時。天気も良く。子供をベビーカーに乗せて散歩をしているとき。
ふと、何気に思ったのだ。この子が良縁に恵まれる様に祈願しようと。
友達、先生など、この子が成長する過程で人の縁に恵まれますように絵馬に書いた。
後は、わたしの教育。人智を尽くして天命を待つ、という奴だ。
絵馬を掛けようとした時、それが目に入った。
あの病院での言葉が繋がった。
――そういうこと……。
心がスッと冷えていく。それは凍り付き、塊となって深いところに沈んでいく。
その瞬間、ポカポカ陽気に眠っていた子が火が着いたように泣き出して、我に戻った。
けれど、モヤモヤとしたモノが残った。そのような感情を抱いているせいか、善くない夢を見るようになった。眠れない。眠れないのに夜泣き、ミルクあげ、寝かし付け……。
イライラとしてきた。これは良くない、と、子を実の母に見て貰えないかと頼んだ。母はわたしの顔色というか人相や声音に何かを感じ取ったのか、孫の為に了承してくれた。
わたしは夢の応えという声に一瞬呑まれた。
それから夢を見る。復讐というには稚拙な嫌がらせをする夢を。そうやって追い詰める。時には誰かに囁き噂を広めたり、わざと姿を見せたり、壁に痕跡を残したり。
眺めていると常に何かに怯えている。勝手に怪我をした。悪い噂に孤立していく。お義父さんに離婚を突き付けられた。お祓いに行っても無駄だろうと思った。
視えていない。解っていなかったからだ。ただ一人、視えた人が居た。彼は自分には手に負えないと、とある場所を紹介していた。
『超自然現象・災害研究対策機構』
何それ? と思った。この女も疑惑の目で見ていた。
何せ相談役はバイトの女子高生だったからだ。
サイドテールの金髪碧眼の美少女。ファンタジーゲームから現れたような女の子。
女の子の碧眼はわたしを捉えた。夫の母が喋っている間もまるで彼女の方が居ない、とでもいうようにわたしをジッと視ていた。
――な、何だか変な気分になってきた。
会社でもアイドルやモデルでも可愛いとか美少女だと言われる娘はいるけれど、この少女は一線を画する美しさだった。
そして、夫の母の言葉をバッサリと切り捨てて真実を詳らかにした。
夫の母を厳しく叱責する。
真実を知ったわたしは我を失った。
荒れる心にまかせて暴れ狂う。
夫の母は少女に助けを乞い、無視されると一転、彼女は罵詈雑言を浴びせ、自身は悪くないと喚き散らかし、わたしを責めるも、少女に一喝された。
そしてあと一歩というところで少女に復讐を妨げられた。
少女は何処からか取り出した変身ヒロインのアイテムで断罪の刃を受け止めながら、説得を試みてきた。
子供の事を持ち出され、少し正気に戻る。
そうすると、気になってくるもので、正直最早他人よりも、子供の元に戻らなければ。
わたしは夫の母を見る。怯え震えて、衣服は襤褸。離婚され信用も無くなり孤独となった憐れな者。
――あぁ、この娘の言うとおりだ……。鬼に堕ちてまで……断つ価値なんて無い……。
次の瞬間、わたしはベットから飛び起きた。
背中には汗がビッショリで服が張り付いて気持ち悪い。それに叫びちらして怒鳴っていたのか喉も痛いし、歯を食いしばっていたのか顎が痛い。身体も強張っていたのか物凄く痛いしダルい。
――行かなきゃ。
キッチンで水を飲み、急いでシャワーを浴びる。服を着替えて慌てて部屋を飛び出す。
ドアを開けた先に夢で見た少女が立っていて、驚きとともに怖くなった。夢の少女が目の前にいる。現実に。
――じゃあアレは夢では無く、本当の出来事……。
「先刻ぶりですね。改めてはじめまして『超自然現象・災害研究対策機構』所属 鬼斬り役 千羽 双樹です」
「あ、貴女……は……」
「子供に逢いに行くんでしょ? だったらママがそんな顔していたら駄目。急がば回れって言いますよね。先ずは鏡を見て」
少女はわたしを部屋に戻して化粧台の椅子に座らせると鏡を開く。
青白い顔。眉間に皺が寄っていてまるで鬼女やお化けのようだ。
「縁結び神社で絵馬を飾る時に見つけてしまったんでしょう? 旦那様のお母さんが志穂さんと旦那様の縁を切ろうと呪っていたことを」
言い当てられた。断言だった。
「その時に冷たい怒りがこみ上げてきて、それをお子さん――樹里杏ちゃんは感じて、後は、絵馬に書かれた念に怯えて泣いた」
まるでその場に居たように見ていたように。
「あの事故は願いが成就してしまったから起きた事故。例えば地球を支配したい、と願い、叶うとする。それは自分以外の生物が絶滅するという形で叶えられてしまう」
極端でありえ無い荒唐無稽な喩え話。けれど少女の――千羽さんの声音は心地良く聞き入ってしまう。
「何故なら、何処まで行っても上には上が存在してしまうから。人はクジラの様に深海まで潜れない。鳥の様に飛ぶことが出来ない。チーターの様に早く走れない。人と人もそう。けれどその人の願いは自分が生きとし生けるもの全ての頂点に立ち、敬われ、その人々を見下ろすことなのにね。願いは全て絶滅させることで叶える。いずれ自分も死ぬんだけどね」
「あのひとの願いも同じ。願いを叶えるには対価が必要なの。誰かの人生、命を奪うなら、それに釣り合う、その人が一番に大切にしているものを差し出さなければならない。あのひとの一番は志穂さんの旦那様である息子」
「死に別れって形で縁が切れた……」
「現にあの人の願い通りに志穂さんと樹里杏ちゃんとは縁は切れているでしょ? でもそれだけじゃない。あの人の願いは志穂さんと樹里杏ちゃんの死だった。二人分の命に対する支払いなんて想像したくないですね。生きている間に完済出来ない程に重い」
「わたしも同じようにあちらの人生を壊したわ……」
「あ、それは大丈夫です。志穂さんがしたのは姿を見せたり痕跡を残した事くらいで、他のは異妖の大元が見せた夢。異妖がしたことを見せられただけですから。気にするなら旦那様のお父さんには孫の顔を見せてあげてください。縁は切れていない、と」
異妖、鬼、鬼斬り。それらの説明もしてくれた。説明の間、顔のマッサージをされ、メイクを施された。
正直、気持ち良かったし、メイクも垢抜けた感じで誰ってなった。
メイクの途中、何かが心の中を抜けていく感覚があって、その後に温もりを感じた。
何だったのかは聞けなかった。メイクも終わって送り出されたから。
樹里杏にも両親にも心配や寂しい思いをさせたことを謝った。千羽さんが別れる時にくれた折り鶴のお守りは樹里杏に持たせている。
それから樹里杏と一緒にお義父さんに逢いに行った。
あのひととは離婚した当初は連絡があったようだけれど、今は無いと言った。わたしもあの後以降、どうなったかは知らない。
あの鬼斬りの少女ならば知っているだろう。一度、見かけたけれど声はかけなかった。
わたしはあの出来事を、わたしたち親子を助けてくれた、あの美しい少女の事を生涯忘れないだろう。




