此岸と彼岸の境界線Ⅲ
重い沈黙。三者三様の思い悩み、迷う表情を浮かべる。
詩音、千尋、紗奈のこれからの人生を決める分水嶺となる。
「双樹。私たちが貴女の言う昼の世を選んでも知らなかった時には戻れないわよね」
「記憶を封じれば元に戻れるよ? 記憶を封じるのが嫌なら、知らないふりをして、わたしを無視すれば良いよ。わたしはお務めがあるから転校しないしさ。わたしが気に入らないなら簡単じゃん。調子に乗ってる転校生を省いて無視すれば孤立させられる」
「しないわよ」
「馬鹿にしないで下さい」
「ふざけてんの?」
――即答かぁ。あんまり記憶を封じることなんてしたくないから提案したんだけどなぁ。
「どの選択肢を選んでも後悔はするものでしょう?」
詩音が深いため息を吐く。
「手放すものを悔やんで、惜しんで、悩んで、決断を下す。だからこそ選んだ道を後悔の無いようにわたしたち生きねばなりません」
千尋が決戦に挑む様な面持ちで呟く。
「一生ものの友達一人と、学年が変わってクラスが離れれば疎遠になるただのクラスメイトどちらかを選ぶなら一生ものの友達を選ぶかな。もう後悔や自分への怒りは懲りごりかな」
紗奈が俯く。
「自分の一生に関わることを、一週間程度の間柄の人間と比べるものじゃないからね。早まらない方が良いって!」
三人の意を決した目に捉えられて慌てる。
「だったら貴女は見も知らない私たちを、あの絡新婦から助けてくれようとしたじゃない? それこそ、貴女の命を賭した決断だったはずよ?」
一瞬の痛み。そして長い長い沈黙を経てわたしは口を開く。
「改めまして。わたしは超自然現象・災害研究対策機構所属の鬼斬り、千羽 双樹。御役目の時は上総 沙羅って名乗ってる」
「鬼斬りはそのままの意味よね。超自然現象・災害研究対策機構っていうのは?」
「早い話が怪奇現象や貴女たちのように霊災――鬼に襲われたり、顕れたり、憑かれたり、様々な原因を調査し、突き止め、退治したりする組織のこと。わたしの所属するのは民間の対策機構で、鬼斬りは表向きには民間警護の組織かな」
俄に信じられないといった表情をしているけれど、彼女たちは鬼に襲われている。
正しくは詩音の夢を、記憶の断片がきっかけとなって、彼女の悪夢を信じた結果、千尋と紗奈の記憶の封じが綻びて、引き摺られるように引っ張り出されたのだろう。
「じゃあ、生徒会のメンバーも同じ組織に所属しているの?」
「彼等は裏国家組織の陰陽寮改め陰陽庁の鬼部に所属する鬼斬り」
「裏国家組織って……」
「そこを語るには先ずは“鬼斬り”と“鬼”について知ってもらわなくちゃね」
わたしは詩音のベッドに腰を下ろして、詩音たちはそれぞれが座っていた場所に座り直す。
「陰陽寮なんて固有名詞が出たから察してるかもだけど、陰陽師関連のラノベやマンガでやってる事を現実の現代でも生業にしてるんだ」
だけどその歴史はファンタジーではない。
「古く記されているのは伊邪那岐と伊邪那美。伊邪那岐が死に穢れ、それを見た伊邪那岐がビビり散らかして脱兎の如く逃げ出して、鬼神伊邪那美を封じたことから始まり、須佐之男が蛇神または鬼神八岐大蛇を退治した伝説。昔々でお馴染みの桃太郎こと吉備津彦命が鬼王温羅を退治した伝説。源 頼光と頼光四天王の酒呑童子退治。茨木童子に、鬼を斬った日本刀鬼切安綱とか玉藻御前を退治したとか有名だから知ってるんじゃない」
詩音たちが頷く。
「鬼なんていない、ならさ、その鬼たちは“人”になる。伊邪那岐、伊邪那美の夫婦喧嘩はともかく、須佐之男の話は征服と技術の簒奪の話になるし、天津神にまつろわぬ民を討った話になるよね。温羅も外つ国の王で民に慕われていたというし、外つ国の薬とか技術も持っていたはず。桃太郎はお宝を簒奪しているしね。他の話もそう。玉藻は寵愛されすぎて、彼女が邪魔な者が陰陽師に依頼した、とも言える。帝が体調崩したのは夜の営みが激しかったからとかね。下手すると過労死するよね」
何とも言えない微妙な顔付きになっている詩音たち。
――アレ? 滑った?
「まぁ要するに、不都合な人間、不法入国者、領土侵犯、犯罪者。表の法では裁けない者を裏で闇に消し去る者かな。だから表舞台の歴史上の戦にも名は出ない」
「ゲームとかのアサシンに近いわね」
「そうかもね。でも、それはあくまでも人の常識内での話だね」
「今のが、ですか?」
「正直、今の話だけでも衝撃的だったんだけど」
「今の話は枕でしょう?」
「正解。だって、それで話が終わったら詩音たちが四年前にエンカウントしちゃった絡新婦の説明がつかないじゃん」
「物語でも吸血鬼って真祖と血を与えられたり、噛まれて転化したのが存在するってよくあるわね」
「そう、鬼には生まれついての鬼と、人から成った鬼が存在するんだよ。そして四年前にエンカウントしたのは生まれついての鬼」
「生まれついての……」
「あの鬼が何時何処でどの様に生まれ落ちたかは知っても意味が無いことだからね。気にしない方が良いよ」
「知ったとして、わたしたちに出来ることはあるのですか?」
「なにもないよ。同情はオススメしないし。下手な同情を向けて憑かれてもヤでしょ? 憑かれて家に連れ帰ったりして家族や友人に何かあってもヤでしょ?」
重々しく三人は頷く。
「そんな人知が及ばない鬼が存在するなら、その鬼を討つ『モノノフ』も存在するんだよ」
「それが貴女や生徒会や、貴女のお母さん――真弓美さんたち鬼斬りってことかしら?」
「そう。表舞台の戦場で華々しく戦った英雄豪傑の裏で暗闘していたんだよ。陰陽師は戦中に敵軍へと式神―― 精霊、と言っても個々の意思や現身うつしみを持たない精霊に現身を与えて放ち、合戦をしたり、暗殺に用いたりもして、鬼切りはそう言った式を討ち払っていたんだ。式は使い捨てにも出来て、死ねば骨一つ残さず消滅する。けれど戦の真っ只中だから討損じもあって、生き延びたのが山の主や神や土地神やらを名乗って、力を蓄える為に生贄を欲したりする」
「じゃあ、あの絡新婦も……」
「もとは、ね。ただの虫の女郎蜘蛛。けれど呪いで蟲にされ、使役されて、戦場に花魁とか連れて行くというのは少なからずあってね」
「戦場だと女子供でも容赦無く奪うから……」
「怨みつらみを喰らった結果なのか、蟲が憑かれた果てになのか、もう分かんないくらいの想いの果てに成ったのがあの絡新婦だったんだよ。そしてさっきも言ったように大抵、生け贄を求めたり、落ち延びたりした鬼が人を喰らい、人の皮を被り人の姿で人を誘い込み襲う。山姥、鬼婆なんて怪談は知っているよね。あれと同じだよ。その他には歳を経た動物、器物が”あやかし”や”付喪神”なんて存在に成るんだよ」
「そういった鬼が現在も存在しているというのね」
「それは真夏の怪談や肝試しの心霊スポットでお馴染みでしょ? 日常にもわたしたちの直ぐ隣にもあるよ?」
「私たちの日常の直ぐ隣って……」
詩音たちが身震いをして身を竦める。
「当たり前じゃん? そんなの。だって心霊って、元々は生きていた人間の強い想いなんだから。生きてる人間の方が目に見える分、怖いじゃん。ある日クラスメイトが面白いってだけで虐めてきたり、可愛いとか、綺麗だとかでストーカーされたり、痴漢されたり、襲われたり、飲酒運転に脇見運転、煽り運転、虐待。それをする生きた人間の方が怖い。逆に心霊なんて視えなければ、知らなければ、関わらなければ、触ら無ければ、無いんだよ。それを態々関わりに行って祟られるんだから、その後取り憑かれてどうなろうが自業自得。触らぬ神に祟りなし。此方もあちらも触らなければ祟は無いんだよ」
詩音は実際に虐められていて、千尋たちは庇っても守っても、多数決に負けた傷がある。
詩音たちは俯き、わたしの言葉を反芻しているように見えた。




