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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
2.謎を纏う、探偵
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2.茶色の謎

 インネレシュタット一区、ヘレン通りのカフェ・ツェントラールで、公爵令嬢は探偵と差し向かいの喫茶を楽しんでい……ない。


「いったい幾つの新聞を読むつもり?」

「置いてあるだけ。だいたい二十紙くらいだな。ほとんどくだらないゴシップだがね」


 ばさばさと音をたて指先をインクで真っ黒にしながら探偵はカフェの提供する新聞・雑誌からあらゆる情報を吸い上げつづけている。

 朝食がわりのケーキの二つめを食べ終わって三杯めのおかわりのメランジュを啜りつつ、コンスタンツェは若々しい給仕たちのきびきびした動きを上目で追う。

 いや、やはりこの令嬢、初めてのカフェを楽しんでいるのかもしれない。


「探偵さん」

「ダニエルでいい。敬称ヘアも要らない」

「ダニエル。わたくしの謎、どうやって解いてくださるつもり?」

「そうだな。まずは、十七年前に盗まれたものを探す」

「盗まれたもの?」

「自分でした証言を忘却するな。犯人は乳母に犯行目的を何と言った?」

「『公爵一家に危害を加えるつもりはない。とある宝物を盗み出したいだけだ』——? でも、明らかに方便だわ。ヒルダを騙す嘘だったのよ」

「では本当の目的は何だったと君は考えている?」

「それは……お父様を殺すこと……でしょう?」

「何のために?」

「いなくなって、ほしかった……? 政治や出世のことでお父様の存在が目障りだったとか、そうでなければ何か都合の悪いことをお父様に知られてしまった、とか……」

「口封じか。なら、殺すのは公爵ひとりでいいな。現に犯人は赤ん坊の君にはわざわざ手を下さなかった。不必要な殺しはしない性格の犯人だったようだ」

「でも……お母様やお祖母様の口も封じておく必要があると思ったとしたら?」

「それでも、犯人の心理としては最初に公爵を殺すはずだな。しかし犯人は『公爵夫人が抵抗したから殺したのだ』と弁解したという。君の祖母も母親も公爵夫人と呼ばれるから、どちらが先だったかわからないが、少なくともそのどちらかが公爵よりも先に毒を呑まされた。——何故だかわかるか?」


 紙面に目を走らせるまま淡々と推理を進めるダニエルの前で、メランジュにうつむくコンスタンツェの表情がこわばっていく。

 父と母と祖母を襲った苦痛を思うだけで、息が浅くなっていく。


「わからないわ」


 というよりも、考えたくないのだ。


「夫人に毒を突きつけながら、公爵を脅したんだ。何かを要求したんだよ。情報か、行動か、もしくは実体のある何かを」


『とある宝物を盗み出したいだけだ』


「そんな——」

「公爵はその要求に応えられなかったか、従わなかった。それで犯人は一人殺し、それからもう一人を——」

「やめて!」


 両耳をふさいで頭を振った。


「……いちいちそれをやるつもりか? 過去と平静に向き合えないやつに謎解きはとうてい無理だぞ」

「……」


 顔をあげてコンスタンツェはダニエルを睨んだ。


「大丈夫よ。つづけなさいよ」


 覚悟はできていたはずなのだ。

 ダニエルは新聞を雑に折りたたんで給仕見習い(ピッコロ)の少年に返した。


「モカを。ドゥンケル・メアー・ドゥンケルで」


 いちばん濃い色味のコーヒーに仕上げるよう注文して、チップを握らせる。


「茶色にこだわりがあるの?」


 訊きながら、コンスタンツェは改めてダニエルの装いをじろじろと上から下まで確認する。

 渋茶色のツイードスーツの上下に、朽葉色のベスト。ネクタイも無地の胡桃色で、足元はオレンジがかった赤茶色のぴかぴか光る革靴。街路を歩くときはこれに焦茶色のフロックコートを着て、葡萄茶の格子の鹿撃帽をかぶる。何から何まで彼のまわりは茶色い。カフェテーブルの上で茶色の羽ペンで何やらメモを取りはじめる、その携帯インクの色も茶色。


「誰でも好きな色くらいあるだろ」

「理由はないの?」

「特にないな」

「自分でも意味がわからないってことね。それも謎?」

「こんなことは謎でもなんでもないよ。ただの好みだ。生まれつきの好み、嗜好や趣味からくる習慣にすぎない」

「じゃあ、理由のないことも人間はするってこと?」

「する」


 ダニエルは人差し指の上で羽ペンをくるりと回した。


「『原因があって結果がある、解けない謎はない』と本の中の名探偵の多くは言いたがるが、現実はそういうものでもない。人間は稀にだが理由なく本当にわけのわからないことをする」

「だったら推理なんて成り立たなくなるわ……」

「謎が解けるまでは、どんな推理もあくまで仮説だ。間違いだらけの仮説は真実から遠く離れた場所に人を導く。道を間違えたことに気づいたら、本物の出口に辿り着くまで何度でも最初からやりなおすしかないんだ。橋のかかっていない河を渡らなきゃいけないこともあるし、蟻地獄の点在する砂漠を歩いているようなときもある。ただ、仕事に慣れた探偵は抜け道や近道を知っているものだ」


 メモ紙を掲げてダニエルはコンスタンツェに問うた。


「インネレシュタットでは、宝物泥棒は日常茶飯事だ。何故なら可哀想な〈三日警察〉が三日で力を発揮できない無能集団だからだ。あまりにも簡単に強盗が行なわれ、みな大物を狙いたがるので、盗まれる宝物は大体いつも同じ。裏オークションを肥やしながら〈常連被害ブツ〉の宝飾品や絵画があちこちの邸を転々とするなんて馬鹿げたことになっている。前の所有者が権利を主張しても〈ことなかれ教会〉は捜査免状を出しやしないからな。で、これが主な〈常連被害ブツ〉だが、何か思い出せることがあれば教えろ」


 コンスタンツェがリストを読んでいる間にダニエルは運ばれたばかりの濃いモカを一口だけ飲んで立ちあがった。


「……十七年前、犯人は目的の宝物を手にできたの?」

「おそらく手にできた。ごく短い犯行時間内に、公爵の抵抗があってその夜には無理だったかもしれないが、乳母があとから食器等々を持ち出せたのなら犯人も空家の家捜しが可能だったはずだ」


 カフェを出ていくダニエルとメモを交互に見やりながら、コンスタンツェも慌てて立ちあがる。


「待って、あなたは急いでどこに行くの?」


 少年給仕からコートと鹿撃帽を受けとりながらダニエルはふりかえった。


「君が来るまえに依頼が一つ入っていたんだ。先約の〈謎〉から片付けてしまうよ」

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