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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
2.謎を纏う、探偵
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1.王宮の謎

「シーツと枕のほう、かえておきましタ」


 執事コボルトが寝台の前でコンスタンツェにお辞儀をした。


「あ……りがとう」


 浴室から湯気をたてて出てきたばかりのコンスタンツェはバスローブのフードを押さえながらきょろきょろする。

 他人の寝室——。他人の寝台。他人の壁紙。他人の書棚。他人の読書ランプ。部屋のすべてが落ちついた茶系統ドゥンケル・ブラウンで統一されている。コンスタンツェはこういう色を選ばない。だから余計に、他人の城に迷いこんだ感じがする。

 あるじは今この住居にはいない。

 いたら大変なことだ。


『君は家なしなんだろう? どうせ僕は昼から夕までしかここにいないから、しばらく使ってくれて構わないぞ』

『ここに住んでいないの?』

『ああ。別に家があるんで。ここだって住居設備も整っているし、仮眠くらいはするけどね。ああ、衣裳部屋クローゼットに詰んである発明家のガラクタどもが時々うるさいかもしれないが、気になるようなら適当に廊下に投げ捨てといてくれ』


 そういう会話を経て、コンスタンツェは無事に着替えて眠れる場所を確保した。

 邸から焼け出されたのは一昨日のことで、昨夜は馬車の中で眠ったのだ。真新しいシーツに潜りこむと、身体中が開放感に安らぐ。


 執事コボルトがナイトテーブルに銀の盆を置いた。


「ティーにオレンジリキュールを垂らしてございまス。あったまりますヨ」


 カップを受けとると、爽やかで甘い香りがした。


「執事コボルトさん、本当にかいがいしいのね。まるでヒルダみたい……」

「執事ホブゴブリンとお呼びくださイ」


 優雅に一礼して執事コボルトは寝室を辞去した。


——家族がいるの?

 別の家に帰るというダニエル・バルテルに、コンスタンツェはそう訊こうとした。でも、言いかけたとき胸が疼いて、やめた。

 探偵にだって家族ぐらいいるだろう。人はそう簡単に、天涯孤独になどならない。


 うとうとしながらコンスタンツェは枕に散った髪先を人差し指で巻きとる。濃い茶色(ドゥンケル)の髪。すぐに睡魔にやられて瞼に隠れた瞳も、同じ色(ドゥンケル)だ。

 他人の茶色い部屋の中で、色合い的には妙に馴染んでいるわ、と思った。


◇◇◇


 夜の王宮を探偵は巡る。


 〈環の中の街〉インネレシュタットのホーフブルク宮殿に、今や王はいない。

 この国を治めていた皇帝一族は、十七年前に政治権を市民議会に委譲して、王宮を引き払った。

 帝国貴族の社交界は変わることなく絢爛に存在しているものの、皇帝一族だけは滅多に姿をあらわさないという。

 彼らはこの街のどこかで、まるで亡命王侯のようにひっそりと静かに暮らしているのだ、とされている。


「十七年前……」


 暗闇に閉ざされた宮殿の柱廊で硬い靴音を響かせながら、探偵は訝しげに呟いた。

 今日きた依頼人も、同じ数字を背負っていたのは奇妙な符号だ。

 焦げ茶のフロックコートを翻して中庭の一つに出る。この宮殿には十九の中庭と十八の棟がある。

 フランツ一世の騎馬像の下にきて、探偵は遊び仲間を呼び出すような口笛を吹く。


——長く立っているほどに、ますますちぢんでゆくもの、なーんだ?

「蝋燭」


——行けども行けども、もとのとこ、なーんだ?

「時計」


——散歩してるのにお留守番、なーんだ?

「蝸牛」


——煙草でもないキセルでもない、屋根の上でいっぷくするもの……

「煙突。……なあ、簡単すぎるぞ。もっと噛みごたえのあるやつはないのか」


——自然は五ほしがる。習慣は七くれる。怠け者は九とる。悪い奴は十一。さて何だ?

「睡眠」


 馬上で胸を張るフランツ一世像が、青白く光りはじめる。

 やがて銅像の首がなめらかに動いて探偵を見下ろした。錫杖を構えるフランツ一世の指にはサファイアの指環が輝いている。


——また性懲りもなく封印を解いて。我はここを永眠の場所に決めたのだと言っておろうが。人の子よ、起こすな。


 銅像の中から響くしゃがれた抑揚とともに、サファイアが明滅した。


「こっちだって何度訪ねても知りたいことに答えてもらえないから用事が済まない。シトリンの姐さんもガーネットの兄貴もあんたと似たり寄ったりだしな。魔石は十二あるはずだが他の九個は散逸して所在が知れないままだ。結局あんたんとこに戻ってくるしかないわけだが?」


——で、何が知りたいのだったかね?


 探偵はフランツ一世像の虚ろなまなざしを浴びたまま溜息をついた。


「とぼけろよ、まったく。……俺はうちの親父がどこへ消えたのか探してる。それだけだ。十七年前に何があったのか、手がかりさえあれば後はこっちで謎を解く。だからとにかく知ってることを教えてくれ。何でもいいんだ」


 フランツ一世像がゆるりと首を傾ける。

 その腕が音もなく伸びて探偵の頭に触った。

 固い指先が器用に、探偵の髪の漆黒に染まった部分を掬いあげる。


——ダニエル。〈謎〉との戯れはほどほどにな。いずれは闇に飲み尽くされるぞ。


 探偵はその手を無造作に払いのける。


「余計なお節介はいい。どうせ俺は一介の探偵だ。自分ひとりぶんの命にだけ責任を持っていればいいだけの、ただの探偵だ。そういう意味では俺は親父の決断には感謝しているよ。だから、何を変えようってわけじゃない。それが本当に親父の決断だったのなら、ね……そこが空白なんだ」


 そこに〈謎〉があるかぎり、探偵は、つきとめずにはいられない。


——我とて何かを知っているわけではない。ずっとここで永眠中であるからな。永眠、そう、殆どの仲間が眠っている。今では我々は、滅多に目を覚まさない。だが我々は、まだここに在る。そう……そうそう……そうじゃった……まだまだ老いてなどおらんぞ……我とて、ひとたび目覚めて本気になれば、人の世を呪い滅ぼすこともできるのだぞ!!


 フランツ一世像は勢いで錫杖を天に突き上げた。


——デモンの前にひれ伏し怯えるがよい、人どもよ!!


 轟く宣言に合わせてフランツ一世の馬が幻の声でいなないた。

 寝起きのサファイアの怪気炎を、探偵は腕組みしながら白けた目で眺めている。


「で?」


——うむ。


「ばっちり目が覚めたところで、何か思い出したことはあるか?」


 フランツ一世の銅像がかりかりと額を掻いた。


——思い出したというかな。やれやれ、人の子にこんな話をしたものかどうか迷うところだが


「聞かせてくれ」


——うむ。我々の殆どは仮眠状態で石の中に眠っておるが、あるときから一つの石の気配が消えた。気づけば消えていた、というのが正しい。我々はヤハロームの気配をこの半世紀ほど感じていない。彼はもうこの世にはおらぬのかも知れんな……


「ヤハローム……ダイアモンドが?」


——うむ。


「それが親父の失踪と関係しているのか。それが糸口になるのか?」


——知らん


「おい——」

「だが我は今、我々にかかわる未曾有で最大の事件をおまえに預けた。おまえには、この謎が解けるのかね。十二の魔石の魔力をよもや侮ってはおらんだろうな。それこそ命にかかわる不幸がおまえを襲うかも知れんぞ。それでも謎に挑むのか、ダニエル?

「サピール。愚問だよ」


 探偵は飽きがきたように首を振った。


「半世紀前の事件じゃ親父はまだ生まれてもいないからな、関係のある可能性は低いが、気に留めておくよ。……当面、探し出して尋問するべきは残りの八つの魔石に隠れたデモン(やつら)だな」


 探偵は礼も言わずに踵を返した。

 フランツ一世の銅像は去りゆく人の子の後姿をじっと見守っていたが、やがてだんだんと輝きをなくし、すとんと元のフランツ一世のポーズに固まった。


 そして中庭はただの闇と静寂に包まれた。

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