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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
1.謎を食む、探偵
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4.火事の謎

「その七日後の夜だったわ」


 コンスタンツェがヒルダと暮らしていた邸が、何者かに火を放たれて焼け落ちたのだ。


「失火ではないわ。夜にとつぜん窓ガラスが割れる音がして……しかも一箇所じゃなく、いくつも。油に浸した布がたくさん投げこまれたみたい。あっという間に火がまわって、わたくしとヒルダは焼けだされた」

「不可解なことがひとつあるな」


 漆黒のまだらに染まった金髪をさらりと揺らして探偵ダニエル・バルテルは首をかしげた。


「不可解なことだらけよ。だからこそ、これは十七年前から始まる一つの大きな事件なのよ。その謎をあなたに——」

「じゃなくてさ。君の判断に不可解なことがひとつある。君はなぜ、ブン屋に事件を売らなかった? 《消えた公爵令嬢の生還》なんて格好の大ネタだ。ブン屋が騒げば、世間は君の事件に注目する。有名人になれば多少面倒なことも起きるが、情報は君の元に集まりやすくなる。命を狙われているのだとしたら、なおさら公表して身を守ったほうがいい。公爵令嬢の身柄警護を理由に官憲が事件解決のやる気をアピールして、〈ことなかれ教会〉も少しは困りはじめる。その火事のときにブン屋が飛んで来ただろ? なぜ君はそのとき、世間の前に姿をあらわそうとしなかったんだ? 新聞はどれも君のことを扱っていない」


 コンスタンツェは目をとじた。


「それは、ヒルダを守りたかったからよ」


 新聞があることないこと書きたてはじめればヒルダは無事ではすまない。

 コンスタンツェは司法庁にヒルダの恩赦を願うつもりだが、世間はきっとヒルダを犯人扱いする。

 ヒルダは生まれたばかりの息子と二度と会わない覚悟でコンスタンツェの養育に尽くしてきた。彼女に罪があったとして、もう充分に罪ほろぼしはなされている。


「ヒルダを恨む気持ちが全然ないわけじゃないわ。だけどわたくしはヒルダを愛しているの。愛しているけれど、十二星座の謎を暴く前のわたくしにはもう戻れないの。無邪気に純粋にヒルダを信頼していたわたくしには。——謎を解いてわたくしは不幸になった」


 火事のあと、コンスタンツェはヒルダを夫と子供の元にかえした。


「家の馬車に、焼け残った家財と衣装をつめこんで邸を離れたけれど、身のまわりの世話をしてくれる人がいないから髪も結えなくてこのありさまなの」


 コンスタンツェは肩に垂れる髪を背中に払った。

 さっきの探偵ダニエル・バルテルは、戸口に立った依頼人の姿から一目でその境遇を見抜いたとでもいうのだろうか?


「衣装の質と人品は上流階級の令嬢のものだが、しわとか髪型とか、ところどころに整えきれていない余裕のなさがみられる。一夜にして零落したか、火事にでもあったか、と考えるのが妥当だ」


 ひととおり依頼内容について語り終えたところで、コンスタンツェはふと目の前のテーブルに置かれた紅茶のセットに気づいた。

——ちょっと待って、湯気のたつ紅茶のポットなんて、最初から置いてあった?

 長椅子に座ったときには、そんなものは用意されていなかった。


「毒なんて入ってないよ」

「そうじゃなくて。あなたずっとそこでふんぞり返って話を聞いていたわよね……いつのまに、これ……」


 言いかけてコンスタンツェは目を瞠った。

 紅茶のポットがゆらゆらと浮いて、ティーカップに琥珀色の紅茶が注がれる。

 誰もポットを持ち上げていないのに。


「!」


 恐怖に凍りついた目でコンスタンツェはダニエル・バルテルをふりあおいだ。


「どういう、仕掛けなの……?」


 ダニエル・バルテルはどうでもいいことのように肩をすくめる。


「仕掛けじゃなくて、謎だよ」


 茶色いツイードの上着のポケットに挟まれた片眼鏡を、無造作に外すと、それをコンスタンツェのほうに差し出した。


「掛けてみろ」


 戸惑いながら、おそるおそるコンスタンツェは金縁の片眼鏡をかざしてみる——。


〈あるじは珈琲党なのですガ、わてしはティーの国の育ちなものデ、お客様にはティーをお出しする主義でやらしてもらってますのデ〉


「いやっ」


 片眼鏡を放り出してコンスタンツェはのけぞった。

——小鬼コボルト?!

 テーブルの上には背丈が紅茶ポットと同じくらいの、薄緑色の肌色をした皺くちゃの小鬼がタキシード姿で立っていた。


〈コボルトではなく、ホブゴブリンでございまス、レディ・パステルヴィッツ〉


「ホブゴブリン……って……?」

「ホブゴブリンは〈ティーの国〉とやらの言葉でコボルトのことだ。彼が勝手にこだわってるだけ……ちょっと待てよ、君はもう片眼鏡をかけなくても彼の声が聴こえるのか?」


 ダニエル・バルテルが初めてコンスタンツェの前で、驚くような表情を見せた。


「ええ、聴こえるし、見えるけど?」

「驚いたな。普通はその片眼鏡を通さないとデモンの世界を覗けない。彼の所有者になれば別だがね。なあ執事コボルト、やっと所有者を乗り替える気になってくれたのかい?」


〈わてしにどうこうできることじゃありませんけド、どうやらレディ・パステルヴィッツは執事ホブゴブリンの所有者として適格のようですナ〉


 そっくり小さなミニチュア版の片眼鏡をかけた執事コボルトが、金縁に手を添えて神妙に頷く。

 コンスタンツェは事態を飲みこめずに探偵とコボルトの会話を聞いていた。


〈どうせダニエル様はわてしを所有されなくても視ようと思えば視えるんですシ〉


 ダニエル・バルテルはふらりと立ち上がった。


「あの、これ……」


 コンスタンツェは床に落とした片眼鏡を拾い、彼に返そうとした。


「それ君にやるよ。せいぜい役に立ててやってくれ、彼は働き者だからね」


 ひらひらと背中越しに手を振りながらダニエル・バルテルが言う。


「ちょっと待って、わたくし——」


 気の早い執事コボルトが腕をおりまげて慇懃にお辞儀をしてきた。


「抜群に珈琲を淹れるのが上手い執事コボルトだったら良かったんだけどさ。僕はこいつで間に合っているし」


 そう言いながらダニエル・バルテルは壁際のキャビネットの上に鎮座していた重そうな塊を抱えて戻ってきた。


〈しかし本日は朝から調子が悪そうですナ〉


 どん、とテーブルに置かれた塊は、磨いた真鍮や鉄や銅板や木版やネジやパイプが複雑に組み合わさったり、飛び出たり、捻じ曲がったりした機械——のようなものだった。


「隣に住んでる発明家が作った『全自動完全型珈琲淹れ機械』さ」


 ダニエル・バルテルは小さな卵みたいなカプセルを手にする。


「このカプセルに珈琲が一回ぶん入っていて、レバーを引くだけで自動的に抽出できる。隣の発明家はごく稀にものすごく便利なブツを発明する。こいつの前に良かったのは、〈体重感知式絨毯型完全健康管理機械〉ってやつで、一日に部屋の中を歩いた歩数がわかるんだ。客が来ると意味ないけどね」


 しかしコンスタンツェはそれどころじゃないのだ。


「ちょっと、待ってくださる。この片眼鏡ってもしかしたら——」

「ああ。謎だ」


 謎を解くと不幸になる。謎は、デモンが散りばめていった罠だから——。

 それは、この帝国に古くから伝わる教えだ。

 謎は誘惑。

 謎は呪い。

 謎を解くと不幸になる。

 だから、謎を解いてはいけないよ……。


「正真正銘のデモンの〈レーツェル〉ってことだわ……!」

「コボルトは魔の中では低級種族だ。いたずら心でささやかな謎をばらまく小さな妖精に過ぎないよ。〈ティーの国〉かぶれが時々ちょっとウザいけど、こんなの大した不幸じゃないだろ」

「あなたがつついた謎でしょう……?!」


 視えないはずのものが視えてしまう不思議で厄介な片眼鏡になんて、インネレシュタットの人間は関わりたがらない。それをダニエル・バルテルが持っているのは、彼が積極的に〈謎〉に関わろうとする〈探偵〉だからだろう。探偵が片眼鏡の謎を解いて招いたコボルトは、探偵が引き受けるべきもののはずだ……。

 ダニエル・バルテルはコンスタンツェの抗議を聞き流して、調子の悪い『全自動完全型珈琲淹れ機械』の修復きげんとりにやっきになっている。「くそっ」とか「おいこら」とか、さっきも聞こえていた悪態はこれだったらしい。


「ふん。こうなったら最終手段で〈謎〉を解く」


 怜悧な漆黒の瞳が妖しく煌めいた。


「謎、を……?」


 その気魄にコンスタンツェは息をのむ。

 一瞬後。

 赤茶の革靴を宙に浮かせて振るい、ダニエル・バルテルは『全自動完全型珈琲淹れ機械』に回し蹴りを喰らわせた。

 ドシャグシャと破壊的な打撃音が響き、内部でブグブグブグと異様な音が高まる。

 もくもくとした煙が天井に昇っていく。

 チーン♪ というベルが鳴った。

 そして——。

 『全自動完全型珈琲淹れ機械』が爆発した。

 どばしゃーっ


「——」


「げほっ、——げほっ。……やべえ。……大丈夫だったかフロイライン。……煙で何も見えん」


 部屋中に立ちこめた白煙に探偵は窓を開けにいく。


「しかし何だこの匂いは……確かこれは……」


 煙とともに異臭が流れていた。


「またたびの匂いだな」


 だんだん煙が晴れると、頭からつま先まで泡だらけのびしょ濡れになった公爵令嬢コンスタンツェ・フォン・パステルヴィッツがふるふると震えながら凄絶に探偵を睨んでいた。

 コンスタンツェの手の中の紅茶のカップでは、爆風に吹っ飛ばされた執事コボルトが白目を剥いて浮いていた。

 にゃにゃにゃにゃ、にゃああアアアア!

 開けた窓から数十匹もの野良猫がなだれ入った——。


「ふむ。これはいったい、どういう〈謎〉かな」


 破壊された機械の残骸の前で腕組みをした探偵ダニエル・バルテルが、新たな謎に頭をひねる。


「そういえば、発明家が言っていたな。『全自動完全型珈琲淹れ機械』の仕組みを応用して、『全自動完全型〈洗濯〉機械』と『全自動完全型〈猫寄せ〉機械』も作れることに気づいた、さっそく取り掛かるつもりだ、と」


 機械の残骸から幾つもこぼれ出てきたカプセルのかけらをつまみあげて、探偵ダニエル・バルテルは満足げに微笑んだ。


「謎は解けた」


 それは誰がみても美しく高貴で優雅で不敵で——誰がみても悪ガキのような笑みだ。

(謎が解けたんじゃなくて、壊れかけの機械が壊れたのよ!)


「たしかにわたくし、あなたを探し出したことでどんどん不幸になっていっているわ」

「そうか。そう思うなら今すぐそこの扉から出ていけ」

「この有様で外を歩けるわけないでしょう? 誰のせいでこんなことになったと思っているのよ……!」


 泡だらけのびしょ濡れのおまけに猫の毛だらけになったコンスタンツェ・フォン・パステルヴィッツは怒りに震えながら叫んだ。

 まとわりつく数十匹の猫にコンスタンツェは半ば埋れていた。


「だから、いま君が言ったとおりだろう。君の不幸は、探偵ダニエル・バルテルを探し出そうと思い立った君のせいに他ならないよ」


 ダニエル・バルテルは中身の詰められていない煙草パイプを振りまわしながら長椅子にふんぞりかえった。


「謎を解くのは何にも勝る快感だけれどさ、対価はちゃんと引き受けないとね」

「快感はともかくとして。たったいま支払っているこの対価に見合うだけのものをわたくしは手に入れなければならないわ。すなわちそれは、あなたの協力よ。ダニエル・バルテル。この場でお返事をいただけるかしら。わたくしの持ってきた謎を、引き受けていただける?」


 挑むように凄むように、コンスタンツェは問うた。

 探偵ダニエル・バルテルが魔の罠に誘うような闇色の瞳を煌めかせて、コンスタンツェを眺めている。彼女が持ちこんだ謎を値踏みするみたいに。

 いや実際に値踏みしているのだろう。

 コンスタンツェは負けじと闇色の瞳に対峙する。

 ——わたくしの〈謎〉には、探偵を虜にする価値があるはずよ


「承知した。君の依頼を受けよう」


 〈謎を食む探偵〉と呼ばれる青年は、あっさりと答えた。

 これがさらなる不幸への入口だったとしても、コンスタンツェは引き返せない。

 けっして、引き返すつもりはない。

 探偵ダニエル・バルテルが傲慢かつ優雅なしぐさでコンスタンツェに手を差し出す。


 貪欲な探偵と泡だらけ猫まみれの依頼人は挑戦的かつ秘めやかに、契約の握手を交わしたのだった。

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