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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
1.謎を食む、探偵
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2.星座の謎

「わたくしは先月、十七になりました。わたくしはそれまで、がらんどうのような空っぽのやしきに乳母と二人きりで住んでいました。それまでわたくしは、わたくしが何者であるかをまったく知らずに生きてきました。乳母と、邸に蓄えられた書物と、週に数日ずつ通ってくる家庭教師、仕立て屋からよこされる縫い子さんたち、それだけがわたくしの接する情報のすべてでした。そのころのわたくしは、自分が天涯孤独の身であるということすら知らなかった」


 ダニエル・バルテルは長椅子の背に深くもたれて腕を組んだ。


「つまり君は肉親という意味での家族がいない孤児だった。家族がいた記憶もない。少なくとも、物心ついたときには君は乳母と二人きりの身の上だった。……パステルヴィッツというのはパステルヴィッツ公爵のことか」

「そうよ。でもその名前をわたくしが知ったのも、最近のことなの」

「〈消えたパステルヴィッツ公爵一家の謎〉はインネレシュタットの近年史の中でもかなり大物デカブツの謎だ」


 わずかに前髪のかかる闇色の眼が、コンスタンツェをじっと観察している。

 自然と、コンスタンツェのほうでも探偵の容貌をまっすぐ見つめることになる。

 柔らかそうでいて癖のない金色の髪が、かたちのよい頭をより美しく見せ、白皙の肌に繊細な影を落とす。

 前髪に数条まじった異色は、瞳と同じ闇の色。

 金と漆黒のコントラストは奇妙にコンスタンツェの心をざわつかせた。


「パステルヴィッツ公爵令嬢——君が。生存していたとはね」


 舌なめずりが聴こえた気がしたが、幻聴だろう。

 コンスタンツェはみずから撒き餌になった気分で、がぜん面白そうに輝きはじめた探偵の闇色の視線を受けとめた。


「ヘア・バルテル。あなたは三度の食事よりも謎を解くのが好きだと伺っていますけれど、デモンの呪いを受けて不幸になるのは平気なの?」


 素朴に発したコンスタンツェの問いに、ダニエル・バルテルは気安く肩をすくめた。


「呪いも褒美のうちだ。謎を解くことの悦びに比べれば」

「そう。変わっているのね。わたくしは……わたくしは、平気じゃなかったわ」


 コンスタンツェは膝の上で両手をきつく握りしめた。

 十七の誕生日に発見した謎。みずからの力で解き明かしたその謎。

 私は誰で、何者で、今はどうして一人なのかという謎——。


「謎を解いてわたくしは不幸になったわ」


 詰るような挑むような声で、探偵の眼をみてコンスタンツェは言った。


「十七の誕生日に、わたくしはうきうきと邸中を歩きまわっていたの。誕生日には何だか素敵なことが起こりそうな気がして、いつも落ち着いてはいられない。乳母のヒルダに怒られるから、小さい頃はできるだけ良い子にしながらはしゃいでいたけれど、十七にもなったら、手の届かない場所なんてないし、ヒルダの小言も聞き飽きていた。だからわたくし、宝物庫に探検したの」


 巨大で空っぽな邸は、コンスタンツェにとって世界のすべてだった。

 世界には、遊んでいい場所と、けして入ってはいけない鍵のかかった場所があった。


「その日ヒルダは誕生日の晩餐の食器を用意するために宝物庫に入って、鍵を閉め忘れていたのね。わたくしは偶然それに気づいて、これ幸いと中に入った。宝物庫に入ることは絶対に禁じられていたの。壁には見たことのない肖像画がたくさん掛かっていた。肖像画に見とれて歩いていたら、つまずいて転んだの。特別な日のための食器をとりだすために収納箱が部屋のまんなかに引き出されていて……変だなと思ってわたくしはその蓋を開けてみたの。わたくしが食器の収納箱の何を『変だな』と思ったか、探偵さんにはおわかりになる?」

「その収納箱ケースが、予想するより大きかったからだ。君が着く食卓に並ぶのはいつも、一人分の食器だけだった」


 コンスタンツェの食事はいつも一人ぼっちだった。

 ただの夕餐も。特別な日の晩餐も。

 いつも。いつだって一人ぼっちだった。


「だが、貴族の邸に元々あった食器ならば、少なくともディナーテーブルの椅子の数くらいのセット数が揃っているものだろうな。それなら謎は生まれない」

「特別の日の食器にはね、私の星座が描かれているの。魚座の星の連なりと、魚のモチーフが」

「なるほど。ではケースは、その時点で予想より小さすぎた——つまり中途半端な大きさだったんだ」


 その通りだ。

 なぜなら、占星術の星座は十二宮ある。コンスタンツェのための魚座の一式だけを収めるものにしてはそのケースは大きかった。しかし、十二星座すべてで一揃えのものにしては小さすぎた。


「牡羊座と、獅子座と、蠍座の一式がケースの中に残されていたわ」


 その一式は特別に誂えられたものだった。

 ——牡羊座の誰かと、獅子座の誰かと、蠍座の誰かと、魚座のコンスタンツェという、四人のために。


「どういうことだろうと思ったわ。なんだか胸がざわざわした。けれどヒルダには何も訊いてはいけないという気がした。それでも、ほうってはおけない疑問だった。ケースの蓋には陶磁器窯の刻印が押されていて、食器の裏には絵付け人のサインがあったから、わたくし、次の日に窯元を訪ねたの。ヒルダはわたくしの外出を許さなかったから、朝早くこっそり御者を叩き起こして馬車を出させて……」

「深窓の公爵令嬢のすることじゃないな」

「何かが、決壊したのかもしれないわ」


 コンスタンツェの人生は空っぽの邸にありったけの嘘をつめこむことで守られていた。

 あの邸の中でコンスタンツェは何者でもなく、何者の娘でもなく、何者の孫でもなかった。

 甘やかされて育ったただの子供だった。

 けれどもコンスタンツェを取り囲んだ数少ない人々——使用人や、家庭教師やお針子たちは、それぞれが、れっきとした何者かだった。彼らには外の世界でその人にしかできない仕事があり、その役割から得る幸福で明るい顔をしている時があれば、その役割から得る苦労に気分を沈ませていることもあった。彼らは『家族』という単語をコンスタンツェの前でけして口にしなかったが、いま思えば彼らの悲喜こもごもは『家族』あってのものだったのだろう。


「完璧な謎なんていうものは存在しない」


 と、ダニエル・バルテルは言った。


「大きければ大きいほど、必ず綻びが出てくるものだよ」

「わたくしはその綻びに触ることがずっと怖ろしかったのだと思うわ。けれど、もう目を逸らすことができなくなって、綻びに指をひっかけて、おもいきり引き裂いたの」


 窯元には、パステルヴィッツ公爵家からの特別受注の記録が残されていた。

 十七年前の特別な注文。祖母がコンスタンツェの誕生記念につくらせたものだ。当時のパステルヴィッツ公爵家には、祖母と父と母とコンスタンツェの四人がいた。


「無断外出から帰ってきたわたくしを見て、ヒルダの中でも何かが崩れ去ったのよ。ヒルダの中の良心が、彼女を罪から解放したのだと思う。わたくしが口を開く前に彼女は言ったわ。『パステルヴィッツ公爵御夫妻と大奥様はお亡くなりになっています。十七年前の夏、お邸に賊が入ってきて、皆様にむりやり毒を飲ませました。内通者はこの私です』」




 ヒルダは脅されていたのだ。公爵一家謀殺の少し前、コンスタンツェの乳兄弟であるヒルダの息子が誘拐された。官憲が捜査に動けるのは三日間だけだ。三日以内に犯人が判らない限り、事件は〈レーツェル〉として扱われる。この街では〈謎〉を解くことは禁じられている。だが、どうしても〈謎〉を解かねば立ちゆかない、というときのために、《天環教会》は〈謎〉の選別制度を設けている。

 それが解いてもいい種類の〈謎〉であるか、デモンの関わる呪われた〈レーツェル〉であるかを教会は選別し、解いていい〈謎〉には〈事件〉としての免状を発行する。この免状があれば官憲は事件捜査に動くことができるのだ。

 パステルヴィッツ公爵はヒルダのために熱心に免状の発行を働きかけたが、教会は訴えを却下した。ヒルダの息子は行方不明のままだった。

 しばらくして犯人は、ヒルダに接触して取引を持ちかけてきた。『公爵一家に危害を加えるつもりはない。とある宝物を盗み出したいだけだ。息子を無事に取り戻したいなら出入り口の鍵を一つ開けておいてくれさえすればいい』

 ヒルダは震えながら勝手口の鍵を外した——。

 惨劇の後で、犯人はヒルダに言った。公爵夫人が抵抗したから殺したのだ、と。もちろん嘘に決まっていた。すべてが起こってしまった後ならばヒルダにも、それが明らかな嘘であることがわかったのに。

 それにしても奇妙な犯罪者だった。彼らは一人だけ毒牙にかけなかった赤ん坊のコンスタンツェをヒルダに渡し、外に待機した馬車に乗れと言った。馬車には公爵の書斎の金庫から運び出したものらしき金貨の袋が積まれていた。馬車は夜陰を駆けてインネレシュタットをぐるりと廻り、新興成金の住宅がならぶ環状線沿いの邸宅へとヒルダたちを運んだ。


『公爵一家は忽然と消えたのだ。この〈謎〉の大きさに人々は恐れをなすだろう。呪いを恐れ、真相に近づこうとする者はいないだろう。謎が謎のままであるかぎり、おまえが絞首刑になることも、令嬢が公爵の二の舞になることもない』


 毒殺の死体も残さずに、使用人の誰にも気づかれることなく、犯人たちは鮮やかに〈謎〉を生み、闇に消えた。

 それきり彼らは二度とヒルダに接触してこなかった。ヒルダの息子は返されたが、夫と息子の元にヒルダは一度も帰らなかった。ヒルダに残されたのはコンスタンツェに対する義務と、重すぎる罪の意識だけだった。

 ——〈謎〉そのものとなったパステルヴィッツ公爵邸は、今でも誰も近づきたがらない廃墟となっている。

 不届きな物盗りどもに荒らされる前にヒルダは一度だけ、封鎖されたパステルヴィッツ公爵邸の中に入った。

 どうしてもコンスタンツェの一歳の誕生日を祝う食器は、コンスタンツェが生まれたときコンスタンツェのために大奥様が贈った星座のシリーズでなくてはならないと思ったから。

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