3.羊も食わない謎
すべてを持つ者は、わたしを持たぬ
そういう人は、わたしを知らぬ
わたしははるか彼方を眺め、この上なく美しい絵を描く——
◇ ◇ ◇
「てめえは、よりによって何でオレと同日同時刻に探偵の事務所に来てんだよふざけるな」
「気が合いますね、トリスタン。双子だからでしょうか?」
メエエエエエエ。
玄関先で鉢合わせて騒がしく事務所に入ってきたボダルト兄弟を、探偵ダニエル・バルテルは面倒そうな顔で迎える。
「一匹でも君たちは充分暑苦しいのに三倍掛けなんて勘弁してくれ」
「おまえも涼しいアタマの色してそこで偉そうにふんぞりかえってんじゃねえよ。警察さまが探偵のヤサに踏み込んできてやってんだ、ちったあ怯えろ」
執事コボルトが、コボルトサイズの片眼鏡の奥で細めた目に執事精神を燃え上がらせていた。
「無礼なお客人に〈ティーの国〉を本場とする本当のホスピタリティというものを味わっていただきまショウカ……フフ……フフ」
「あの、パステルヴィッツ公爵令嬢……お久しぶりです」
奥の机で書き物をしていたコンスタンツェも立ち上がって挨拶を返す。
「公爵令嬢はやめてください、ハルさん」
ハルトヴィンは言い直した。
「コンスタンツェさん。……でも世間では、甦った公爵令嬢の話題で持ちきりですね。皆があなたに夢中です」
「あら、ハルさんの話題もよく耳にしましてよ? お肉屋のおばさんとか、お花屋さんの下働きのむすめさんとか、『引退した議長さんの代わりに政界に出てきた息子さんがステキすぎる。あたしたちにも投票権があればいいのにっ』って」
ごく普通のラウンジ・スーツに身を固めたハルトヴィンはすっかり、清潔な若手政治家の外見になっている。相変わらず羊と歩いていることで、浮世離れした感じは抜け切れていないのだが。
彼は何やら眩しげにぼうっとした顔でコンスタンツェを見て突っ立っていたが、トリスタンに「じっさい邪魔くせえんだよ座れ」と背広をひっぱられて長椅子に収まった。
「ブン屋がコンスタンツェの居所を探しまわっているんで、結局まだコンスタンツェはここにいるのが最善だ。まさか警察もつまらん意地で参考人の隠れ家を潰したりはしないだろうね?」
空の煙草パイプを振りまわしてダニエルが笑む。
「っとにムカつく探偵だな」
トリスタンは宙にぷかぷかと浮いている灰皿に、ほとんど無意識に煙草の灰を落とす。
「親父はおとなしく懲役監獄に収監されたよ。今日はそれを報告にきた。それから、ヒルダ・アンテスの恩赦も確定した」
コンスタンツェはほっと胸を撫で下ろした。
「確実に大丈夫って言われていたけど、嬉しい。安心したわ。ありがとう」
「裁判のほうは緘口令が上手くいっているね。△△新聞社のカール・ベッカーマンが嗅ぎつけそうになっていたが、先手を打ってコンスタンツェの独占告白を彼のところで掲載させたら事件の謎そっちのけでコンスタンツェ本人が人気になった」
煙幕としての〈公爵令嬢の帰還〉。
——乳母の機転で惨劇を生き延び、インネレシュタット内で十七年ものあいだ隠れ住んでいた公爵令嬢コンスタンツェ・フォン・パステルヴィッツ。
彼女が語る半生記の連載は△△新聞の発行部数を右肩上がりにしている。
「僕は今日は、諸々のご報告とお別れを言いに来ました」
「お別れって……?」
コンスタンツェは驚いてハルトヴィンを見返した。
「魔石の指環をお返ししたさい、皇帝陛下に請われて僕は民主議会政府と陛下との連絡役を父から引き継ぎましたが、本当は今でも悩んでいます。父の犯した罪が公にならないままでいいのか。息子の僕がのうのうとこれから政治家を志していいものなのか」
「いいえハルさん。皇帝陛下はあなたのそういう人柄を見込んで、ボダルト議長の志の再生をあなたに託しているのだと思うわ」
コンスタンツェが励ますと、ハルトヴィンは澄んだ青い瞳を潤ませて俯いた。
「信頼に応えたい気持ちは強く持っています。父が掌握していた権力は他の古参議員に移りましたから、僕は一からインネレシュタットと帝国のために、尽くしていけたらいい……そうしたいと思っています」
巷の人気からもわかるように、ハルトヴィンはすでにその一歩を踏み出している。
「コンスタンツェさんに僕の決意をご報告する必要がありました。ですが、こうして僕がけじめをつけに来るのも、コンスタンツェさんにとっては苦痛でしょう。僕は、あなたの家族を無惨に殺させた男の息子なのだから」
「オレもな」
トリスタンが浮かぶ灰皿で煙草を揉み消し、膝に手を置いてがばと頭を下げた。
「待って、そんな——」
「まったく暑苦しい双子だな」
悪態でぼやくダニエルだけが、無関係でござい、の顔をしている。
でも。
ダニエルがその実、一連の事件をつらぬく極悪人不在のやりきれなさを、誰よりも正確に見抜いていることを、コンスタンツェは知っていた。
オデムの罪の動機となった、神の血を引く忌まわしい皇太子として……。
——オデムに目をつけられた時点で、ボダルト議長も被害者と言えなくもない。何しろ相手は最強のデモンで、所有者以外の人間ならどうとでも脅せるんだからな
清廉を守って死ぬか、魔物に魂を売って大望を果たすか。ボダルト議長に与えられた選択肢はそういうものだったのかもしれない。本人は、それについて何も語ろうとしなかったけれど。
実行犯たちが持ち帰った公爵家の三人の遺体はどこへやられたのか、それだけが、コンスタンツェの最後の気がかりだった。
その答えを知っていたのは、ボダルト議長ではなく、オデムだった。
オデムは三人の遺体を、魔力でつくりだしたデモンの空間に閉じ込めていた。
小さなルビーの欠片に封じられた遺体は、コンスタンツェの前に取り出されたとき、十七年前に命を止めたときのままの姿で保たれていた。初めて見て触れたコンスタンツェの家族——。
父は、母の手をきつくしっかりと握っていた。離そうとしても離れないほどきつく。二人は互いをかばうように寄り添って眠っていた。父は恋を知り、母を愛したのだ、とコンスタンツェは思った。
パステルヴィッツ公爵家の墓所への埋葬を終えて、コンスタンツェの中で家族の死が現実になった。
そして、家族から受け継いだコンスタンツェの命と人生が、とても愛しく大切で幸福に思えるようになったのだ。
「やめてくださらない、ハルさん、トリさん。わたくし、そんなふうに感じていません。これっきりなんて寂しいこと言わないで。そのほうが腹が立つわ。だってまた、あの事件のせいでわたくしは親しい人と離れなきゃならないってことだわ。そんなの酷いわ」
口をとがらせてコンスタンツェは抗議した。
「わたくし、ずっと友達がいなかったのよ。同じくらいの年代の友達なんて、想像してみるしかなかったの。だから、これからは沢山、いろんな人に出会いたいの。騒ぎがもう少し落ち着いたらだけれど」
コンスタンツェは机から歩いていって、長椅子の定位置にふんぞりかえるダニエルを押しやってずれさせながら〈ティーの国〉式の午後のお茶の時間に加わった。
テーブルには、スコーンとキュウリのサンドイッチ。
さっ、とコジーの取り払われたティーポットから、四客のティーカップにルビー色の紅茶が注がれる。
視えないはずの執事コボルトのこだわりに——いやホスピタリティに押し切られるようにハルトヴィンとトリスタンが座り直す。
緊張から解放された表情は、二人とも瓜二つにそっくりだ。
「ブラックはいけませン。ミルクとシュガーをお好みデ。スコーンにはクリームをたっぷりのせテ! それが〈ティーの国〉のティーなのですカラ〜」
「俺は珈琲淹れてこようっと」
「だめ、ダニエルもティーしなさい!」
メエエエエエエエ。
「俺を混ぜても全自動で完全に馴れ合いをぶちこわすぞ」
「おお上等じゃねえか探偵さんよおお。だいたいてめえは勝手に髪の色が染まるってのが気に入らねえ。おれの面倒くせえ苦労はなんなんだよッ」
「どうしてそうトリスタンは僕と同じ顔が嫌なのか、わかりません……」
「萎びてくたばるまで言っていやがれ」
「わかりません……」
ハルトヴィンとコンスタンツェが、すべての謎を解き明かしてくださる神に救いを求めるようにダニエルを見た。
「探偵の出る幕じゃないよ」
にべもなく却下し、ダニエル・バルテルは倦怠とともに長椅子に沈んだ。
「兄弟喧嘩は羊も食わない」




