1.旅する謎
食べ物でもなく
飲み物でもない
でもとっても甘いもの——それはなあに?
◇ ◇ ◇
隣国バヴァリアの南、プファルツ地方の高地には三つの河が流れ、それぞれの下流に豊穣な〈葡萄酒地帯〉がひろがっている。
葡萄畑に朝日のあたる景色の中、馬車はナーエ河沿いの街道を緩やかな速度で進んでいた。
「その姿かたちのまま酒をかっくらうなよ? くれぐれも向こうの城ではおとなしくしてろよ。そもそも何故またガキの格好なんだ……?」
「だってなー、こっちのが小回りが利くし、十七年ですっかり馴染んじゃったんだよね——っ」
「あたくし可愛らしくて好きですことよ?」
「心配せずとも、夜は大人の皇帝陛下だからーっ」
「言葉の選び方おかしいだろ……」
まだらの頭に手を突っ込んでダニエルが窓枠に突っ伏す。
車窓の景色を眺める余裕もない。子供ぎらいは彼のほとんど唯一の弱点だったが、この場合、ダニエルが疲労感を溜めているのは単に相手が子供だからなのか、否か。
「苦手だ。この親父……」
あらためてルビーの魔石の所有者となった皇帝陛下は、十七年のオデムとの同居の影響なのか、オデムの魔力を自在に使えるようになった、らしい。
「ふっふー♪ ふっふー♪ うまっ、これうまっ、生ハムうまーいっ」
アマーリア皇妃の膝の上でお弁当のサンドイッチを頬ばるファオの姿はすこぶる愛くるしいが、けっして実年齢を思い出してはいけない。
とはいえ。
「皇帝陛下、あの……」
「コンスタンツェ、ぼくはVだよ!」
無邪気に抗議されてコンスタンツェは言い直した。
「ファオ、さっきから指環がトマトまみれだわ?」
「あーっ!」
親指に嵌めてもぶかぶかな指環のルビーがパンに挟まれてトマトと同化しているのをどうしても見過ごすことが出来なかったコンスタンツェだが、「魔石サンドイッチ!」と叫んで自慢げに見せびらかしてくるファオに微笑みと拍手を返してやりながら、まともに話しかけたことをちょっとだけ後悔した。
「ガキをいじるな。調子に乗るから」
ダニエルが乱暴にコンスタンツェの肩をつかまえて引きよせる。
帝国皇帝一家のために用意された馬車は中の造りも広くて、いつぞやのフィアカーの上でのようには密着しない。コンスタンツェは後部座席の真ん中で姿勢を正し、これまでの道中つらつらと考えていたことを口にした。
「そういえば、一つ訊いていなかったこと、思い出したの。ファオが事務所に来たのって、オデムの計画だったの?」
「あれはぼくだよ。ヨーゼフシュタット二一番地っていう住所はルビーの魔石を嵌めてたハルトヴィン司祭の意識を通じてオデムが得たものだけど、オデムの中でそれを知ったぼくは、無我夢中で身体の支配権を奪い返したんだ。危険を知らせなくちゃいけない、と思ったんだけど、ぼくの中のオデムがどうしてもぼくの言動を抑えつけて、ぼくは核心を言葉にすることが出来なかった。事務所で遊んでいるあいだもぼくの身体の中では、人間と神が壮絶な綱引きをしていたんだよー」
だからファオは自分がダニエルの父であることをはっきりと言えなかったし、最終的にオデムに支配権を奪われて自作自演の誘拐事件を演じさせられることになった。
ちなみに子供姿の皇帝陛下は十七年のあいだ、ボダルト議長の用意したホテルの一室で暮らしていたそうだ。
「おわりよければすべてよいのだ。……ね、アマーリア?」
「あたくしもそう思いますわ。これこそ本当に、能ある鷹は爪を隠す、ですわね」
神がかりに美しいアマーリア皇妃の慈愛深い微笑みに照らされながら汁や油でべたべたの口元を拭ってもらうファオの姿に、——あまりにも隠しすぎだろう、という苦言が浮かぶダニエルとコンスタンツェだった。




