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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
4.謎に死す、探偵
21/25

5.神像の謎

「——」


 気がついたときには、小さなファオの身体を押し倒してルビーの血だまりにもろとも倒れていた。

 まばたきながら瞳をひらいたコンスタンツェの視界に、痛いくらい眩い刃の反射が揺れる。〈真実の鏡〉の光が——裁きの稲妻ではない清浄な真理の光が、コンスタンツェの全身を包んでいる。

 清冽な、純白の光が。


「コンスタンツェ……」


 からん! と音を立てて宝剣が落ちた。


「ダニエル」


 すかさず助け起こされてコンスタンツェはダニエルの胸に飛び込むかたちで立ち上がる。今まで絵の中で固められていた足が、痺れたようにもつれてコンスタンツェはそのままダニエルにすがりつく。


「コンスタンツェ、いったい何処から——」

「ダニエルおねがい。ファオの身体にもう酷いことをしないで。ファオはあなたの」


 〈真実の鏡〉が発する真理の光は倒れたファオの全身にも降り注いでいた。

 透きとおった紅色に輝くルビーの血だまりの中で、ファオが頭を抱えてもがいた。

 純白の光が射す反対側から、新たに紅色の光の橋がファオをめがけた。


「どうしたのでしょうか、これは……?」


 ハルトヴィンが、異様な輝きを放ちはじめた自分の手に目を落としてうろたえる。そこに嵌められているのはルビーの指環の魔石。


「うう……ああああああ……俺は、……ぼく、は……」


 絶叫しながらもがいて暴れるファオの瞳の色が、ルビーから青色へと変わってゆく。


「ファオ……!」


 青色の瞳はコンスタンツェが最初に会ったときのファオの瞳の色だ。

 ダニエルに抱き留められる腕の中からコンスタンツェはファオの変化を見つめていた。


「ぼくは(ファオ)……余はVater(ファーター)であるっ」


 むくり、とルビーの粒の絨毯から金髪の美中年男性・・・・・が半身を起こした。


「なんっ……」


 何なんだ——。

 耳元で聞こえたダニエルの呆然とした呟きに、コンスタンツェは意気込んでふりかえった。


「だからわたくし言ったでしょう。ファオはあなたのVater(おとうさま)よ、って」

「……」


 ダニエルが、呑み込めない謎の出現に硬直している。


「はー。やっと出てってくれよったぞー。長い戦いだった。長い戦いだった。十七年もデモンと意識の主導権を争い合った末、見目麗しい乙女によって救い出されるとは余の人生も数奇である」


 投げ出された長い脚を引き寄せて立ち上がり、うん、と肘を曲げつつ伸びをすると、金モールの縁取りがされた濃紺の礼軍装姿の皇帝陛下は両腕を左右に広げながらすたすたとダニエルたちに近付いた。


「息子よ」


 コンスタンツェを抱えたままダニエルがぎこちなく後ずさる。


「そして麗しく聡明なる嫁、いやまだそれは早いのか、パステルヴィッツ公の懐かしき面影を宿す令嬢よ」


 白手袋の手でVの字をつくり、優しげな青い目の片方に添わせて皇帝陛下はコンスタンツェに向かってウィンクした。

 途端にダニエルがコンスタンツェを背中にまわして前に出る。(隠さなくてもいいのに)とコンスタンツェは肩をすくめた。


「父上これは……どういうことですか……?!」

「探偵の台詞とは思えんぞーっ?」


 間髪を容れない突っ込みにダニエルがぐっと喉をつまらせる。

 皇帝陛下は颯爽と腰に片手をあて、前髪を払った。

 ダニエルは華麗なる美中年の皇帝陛下を下から上までじろじろと見た。


「……つまり、オデムの器にされて意識を乗っ取られていた、ということですか。確かに父上……なのだろうとは思うが、俺が四つの頃にはもう親父は失踪していたからな……」


 最後のほうは疑わしげな独り言になり、口調までが混乱している。


「まーお前には可哀想なことをしたが、お前もずいぶんよろしく楽しくやってるようだから許せ」

「皇帝陛下」


 影からすっと現れた人物が、少し離れたところで跪いた。


「ボダルト議長。この姿では十七年ぶりになるか。十七年分ちゃんと老けているだろう? ちょっと損したような気分であるが」

「いえ、あまりお変わりになっておられません」

「ボダルト議長。オデムはともかく、貴君に関してはうちの乱暴な息子に好き勝手やらせるわけにはいかんな。とりあえず立ってよい。十七年前の君は、古式ゆかしい宮廷人のように皇帝の前に跪くような男ではなかったはずだ」


 ボダルト議長は帽子をかぶりながら立ち上がった。


「そうした新しい気風が帝国を活気づけることを余は望んでいた。余が帝位にあるうちには——ざっと三十年くらいをじっくりと費やせば、宮廷から市民議会への穏便な権力委譲が可能だろうと余は考えていた。皇帝親政派貴族に新しい時代の到来を納得させるのは容易なことではない。……だがまあ、余のこうした中道さは、気鋭の市民政治家である君には優柔不断な君主と映っただろう」


 疲れきったような無表情な顔でボダルト議長は黙っていた。


「君はオデムの持ちかけてきた計画に乗った。一連の事件の首謀者はオデムだが、オデムの指示下でさまざまな手配をしたのはボダルト議長だ」


 コンスタンツェに向かって皇帝陛下は思いやりと哀悼を込めて頷いた。


「オデムはボダルトに指示してパステルヴィッツ公爵家を襲わせ、自分を縛るルビーの魔石を自分自身の手に取り戻した。その足で余のところに来て、余の身体を魔石の代わりの新たな器として乗っ取った。初めのうちは乗っ取られた余もわけがわからなくってなー。抵抗どころじゃなかったのもしょうがないことよな? 意識が混濁している間にオデムは余のフリをして王宮からの退去や民主議会との秘密交渉と調印をさっさか進めたらしい」


 〈パステルヴィッツ公爵一家消失〉と、〈皇帝陛下の雲隠れ〉という二つの大きな事件が立てつづけに起きたことで、保守派の貴族たちによる動きは鈍くなった。邸から一家の四人だけが忽然と姿を消した〈パステルヴィッツ公爵一家消失〉はまずまぎれもなくデモンの魔力によって生まれた〈レーツェル〉であると人々は思い込まされていた。デモンのいたずらによるレーツェルに触ってはいけない。謎を解けばデモンに呪われて不幸になる——それが天環教会の教えだ。

 ではインネレシュタットの中心にある王宮が、ある日とつぜん空っぽになってしまったという、この〈謎〉は——?

 貴族たちは、天環教会の教えとレーツェルの呪いを畏れて、事態の追求に動くことができなかった。


「しかし余も、サファイアのサピールだのシトリンのレシェムだのガーネットのノーフェクだの魔石が三つも惰眠を貪るホーフブルクに育った以上、デモンというやつにぜんぜん慣れてないわけじゃないのでな。そのうち意識の押し込められた暗闇に目が慣れてくると、闘い方がわかるようになった。余の魂の抵抗がオデムの魔力と拮抗した結果、身体が縮んだ」


 それがファオの誕生秘話である。

 オデムは皇帝陛下を演じることが出来なくなり、退去先のポルツィア宮からも姿を消した。


「母上も俺も、父上はどこかで軟禁状態にあるものと考えてきました」


 ダニエルが言い、皇帝陛下が頷く。


「余の裁可しなければならない書類もあり、定期的にボダルト議長とやりとりしていたからな。アマーリアにも毎年の記念日に贈り物をした。アマーリアと余しか知り得ぬ思い出を込めて——。余の意志を汲んで皇妃が悠然と構えているあいだは、姿を見せない皇帝の生存を世間も信じる。さすがに余まで完全に消してしまうと皇帝親政派貴族が騒ぎだす。うっかりすると民主派が皇帝暗殺罪で狩られて吊るされる時代にもなりかねん。オデムは冷徹だ。デモンにしておくにはもったいないほど現実を冷静に眺めている。だから余はこうして生きている」


 一同の視線がハルトヴィンのルビーの指環に向いた。

 魔石は液体を閉じ込めたようにゆらゆらとした紅い光を放っている。《ヌーダ・ヴェリタス》の裁きによって力を弱め、皇帝陛下への憑依を解かれたオデムは古巣のルビーに閉じ籠った。


「かつて帝国は今よりも遥かに広大な領域を支配する世界の中心であった。それは天の環からこの地に降り立った十二のデモンたちが、余の一族の祖先に力を貸し、世界の支配を助けたからである。デモンたちの目的は、この世界に秩序をもたらすことだった。混沌の地上に、天の世界の秩序を真似させようとしたのだ」


 秩序の破壊者を排除しようとしたオデムの行動は、デモンの本能のようなものだ。

 ……いや、デモンにもさまざまな性格があるとコンスタンツェの父は書き残している。

 父はオデムを、自分とよく似ている、と評していた。

 愛と情熱に生きるヤハロームよりも、オデムのほうが、冷めた観察者である自分によく似ていると。

 父もまた、罪深い〈謎〉に真実を封印することで永遠の愛を殺した咎人だった。


「帝国建設の黎明期、デモンの関与による不自然な出来事は〈レーツェル〉という言葉で覆い隠された。政敵の暗殺も、敵軍を襲う洪水も、貿易相場の操作も。デモンが起こす奇跡も人間の不正も、いつしか〈レーツェル〉という言葉ひとつで隠蔽できるようになった。〈レーツェル〉を解くな、解けばデモンに呪われて不幸になる……その教えとともに〈天環教会〉を創設したのもデモンたちだ」


 十二の顔を持つ〈神〉を創作し、呪いを撒き散らすデモンとして自分たちを怖れさせ、彼らは秩序を完成させた。


「だが、時代が過ぎるにつれ、やがてデモンたちは——神々は秩序の完成に満足して、活動を弱めた。魔石の中で眠りについた者もいる」


 帝国は数百年かけて徐々に衰退し支配域を狭めていったが、神々が構築した秩序は世界に今もつづいている。


「諸外国では、帝国内ほど〈謎〉に対する忌避感は強くない。帝国内でさえ、インネレシュタットほど〈聖別免状〉の発行されにくい街はない。警察の捜査は三日以内などという阿呆のような制度があるのも、我らが帝都インネレシュタットだけである。これは有史以来この街がデモンたちの本拠地だった名残なのだよ」


 ひととおり、皇帝陛下は世界の謎を解き明かし終えた。

 株を奪われたダニエルはずっと腹立たしそうな顔をしている。


「ボダルト議長。余は、民主議会の政治内容にまったく不満はないのだ。ただ、その成立過程においてなされた不正義と過ちだけが、余と君との間のわだかまりだな。今が、そのわだかまりに政治的解決という解を与えるときではないか?」


 感情のない眼を皇帝陛下に向けてボダルト議長が口をひらいた。


「どのように私を裁かれますか」


 皇帝陛下は穏やかに首を振る。そして、煙草の吸い殻を床にどんどん増やしながら渋い眼つきでなりゆきを見守っているトリスタン警部のほうを見た。


「君を裁くのは余ではない」


 トリスタンは出番を待っていたように近づいてきて、父であるボダルト議長の腕を取った。


「〈パステルヴィッツ公爵一家消失事件〉の重要参考人として連行する」


 ボダルト議長は静かにゆっくりと頷いた。


「君は法に裁かれるが、余は君の民主政治家としての志は生かしたいと思う。よって、パステルヴィッツ公爵一家消失事件の裁判には緘口令を敷く」


 その処遇と自身の罪名について、深く納得している眼でボダルト議長は皇帝陛下の言葉を受け入れた。


「今度は私が消える番というわけです」

「そうだ。君は世間からふつりと消える。新たな、そして一連の事件にまつわる最後の〈謎〉として。……あー。余、上手いこと言ったぞーっ!」


 ダニエルが、コンスタンツェに聞こえる程度の声で言った。


「実行犯のゴロツキどもなんぞとっくに口封じで殺しているはずだ。デモンを裁判に引っぱり出すのは無理だし、証拠が万全でない以上、終身懲役どまりになる可能性がある。世間にやつの罪が暴かれないとなれば、名声が墜落することもないままだ。それでいいのか?」

「いいと思うわ」


 コンスタンツェははっきりと頷いた。


「それが法律なのだし、事件はもう解決したもの」


 もう、すべて知るべきことは知った。止まっていた時間は動きだした。これで充分だ、とコンスタンツェは思った。


「解決……か」


 ダニエルが、少しだけ複雑そうな表情を浮かべた。


「物足りなかったの? それとも、まだ何か謎が残っている?」


 不思議に思ってコンスタンツェは首を傾げる。コンスタンツェの事件だけでなく、空っぽの王宮の謎までが解かれたというのに、まだ満足できないの?


「いや。そういうんじゃないんだけどさ」


 ダニエルはコンスタンツェの肩にかかるドゥンケルの髪に手を伸ばして、掬い取ったひとすじをじっと見下ろした。


「——しかし、この後に及んで無駄なお手間を取らせるのもどうかと思います」


 静かな声が宝物管理庫に響きわたる。

 拘束を逃れているほうの手でボダルト議長が懐からピストーレを出し、銃口をこめかみに当てた。


「だっ、おい待て。親父!!」

「お父さん!」


 トリスタンとボダルト議長、飛び出していったハルトヴィンの揉み合いになった。銃が暴発し、加勢に行こうとした皇帝陛下が頭をかばって蹲る。「おーっ!」

 とっさにダニエルがコンスタンツェを引っぱって物陰に隠した。


 揉み合いは激しくつづく。


「二人掛かりで情けないねボダルト兄弟! というか、あれが本当の死に物狂いか」


 螺鈿細工の宝石チェストに背中をつけてダニエルが囃したてる。


 “謎を解くと不幸になる。だから謎を解いてはいけないよ”


 ……今更どうして、コンスタンツェの脳裏にそんな呪文がこだましたのだろう?

 くりかえし語り継がれた教え。耳に染みついた呪い。迷信に引きずられるようにして、懸念は現実となった。


 メエエエエエエエエ。


「羊さん、そこにいては危ないわ」


 コンスタンツェは宝石チェストの陰から半身を出して、すぐ近くをうろうろしている羊を引きよせようとした。

 そのとき、しつこく抵抗するボダルトの指先が引き金の上で痙攣し、ふたたびピストーレは暴発した。


 メエエエエエエエエエエエエエエ。


 轟音にはっと顔を上げたコンスタンツェの胸に、衝撃がひろがる。

 熱い、灼けつくような眩い痛み。


「コンスタンツェっ?!」


 壁に叩きつけられたコンスタンツェの耳に、ダニエルの声がとても遠くから聴こえる。

 かすむ視界に、半分になって微笑む神様の顔が見えた。

 銀製の神像の顔。その表情は、愛。

 永遠に割れてしまった、愛——。


 コンスタンツェ……!


 きらきらと七色に輝くダイアモンドの光に惑いながら、やがてコンスタンツェは最後に残ったモザイクのかけらのような意識をも、すべて、失った。

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