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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
4.謎に死す、探偵
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4.真実の謎

「ルビーの魔石のオデムだ。……出てこいよガキ、そこにいるだろう」


 《ヌーダ・ヴェリタス》の〈真実の鏡〉が輝きはじめる。

 コンスタンツェの右手で輝度を高まらせた閃光が、稲妻のように弾けて部屋の一隅を撃った。


「……っ…………」


 帝国皇帝のために誂えられた宝石だらけのマントの陰から、小さなファオが転がり出た。

 コンスタンツェは絵の中で悲鳴を上げる。


『ファオ——』


 部屋を白ませた青紫の稲妻の余韻が消えたあとに、ファオの服を染めるルビー色の血の色だけが衝撃の大きさを物語った。


 〈真実の鏡〉の裁きの力——。


「っ、ヤハロームの裔の皇子……ダニエル・バルテル。やはりおまえが凶星だ。癪にさわる力だよ。俺は間違っていなかった」


 足元にしたたる血だまりからファオは左目を押さえながら立ち上がった。

 指の隙間から溢れる血は、空気にふれると透明なルビーの粒になって床で跳ねた。


「おっと。自白はまだするな。ここからが探偵の旨みだ」


 優雅な笑みを刻んだまま、ダニエルは空っぽの煙管を内ポケットからとりだして片手に構える。


「彼女はガキに甘くてさ、露とも疑っていなかったから、俺が警告しても俺を信じたかどうかわからない。事務所の居間には〈体重感知式絨毯型完全健康管理機械〉の導線が敷きつめてある。一日に居間を歩いた経路と歩数がわかる。これが計測器の打ち出した昼間の数値だ」


 別の内ポケットから、破り取られたロール紙を引っぱり出した。

 罫線上にパンチ穴が延々と穿たれている。


「ほぼ、テンポに乱れがない。来客があるとパンチ穴はぐちゃぐちゃになる。俺とコンスタンツェが戻った時刻まで、居間には一人しか入っていない。そいつは自分で書き置きを書いて窓際のデスクに残し、自分の足で廊下に出ていった」


 《ヌーダ・ヴェリタス》の〈真実の鏡〉が輝きはじめる。

 コンスタンツェの右手で輝度を高まらせる。

 コンスタンツェは動かない表情を心の中でこわばらせた。


(まさか、また光が……)


 閃光。

 鏡からほとばしる青紫の稲妻がファオを撃つ!


「——」


 よろめくファオの左目からふたたび大量のルビー色のしずくが吹きこぼれた。


「というわけでガキの誘拐事件は自作自演だ。なぜガキが自作自演の誘拐事件など演じるのかといえば、このガキの正体がルビーの魔石のオデムだからだ。ハルトヴィン司祭の指に嵌められた魔石のルビーには、オデムの気配が宿っていない。ルビーの棲処を空にして、実体化したオデムが遊びまわっているからだ」


 《ヌーダ・ヴェリタス》の〈真実の鏡〉が——。


(やめて、これ以上!)


 コンスタンツェは右手を懸命に下ろそうともがいた。

 空しく〈真実の鏡〉は閃光に呑まれる。

 女神の裁きが慈悲なくファオに下される。

 顔をそむけることすらコンスタンツェには許されなかった。

 ばらばらと鮮血のようなルビーの粒が跳ね、少年の足元を飾りたててゆく。


『ダニエル……』


 おそらくそれはデモンにとって血に等しいものだ。 


「ハルトヴィン神父に渡ったときにはすでにルビーの魔石は空の状態だったはずだ。魔石はハルトヴィン神父に所有されているが、ハルトヴィン神父はオデムの存在を知らず、彼はオデムの所有者ではない。ルビーのオデムは前の所有者を殺した時点で、ルビーの石から自分の存在を切り離した。そもそもが、前の所有者を殺した目的こそ、所有者から自由になるためだったからだ」


 稲妻が貫く——。


「……かは……っ」


 あどけない小さな口の端から命の色が垂れ落ちる。


「前の所有者とはマクシミリアン・カール・フォン・パステルヴィッツ公爵。オデムは親友で主人である彼を殺した。パステルヴィッツ公爵一家を襲わせ、魔石を奪わせ、三人を毒殺した凶行の首謀者は貴様だ、オデム」


 裁きの白光の元に金色と漆黒のまだらの髪をなびかせた探偵ダニエル・バルテルが、うつくしく高貴で凄絶な勝利の微笑を浮かべる。


 絵画の呪いに囚われているわけでもないトリスタンたちでさえ、一歩も動けない恐怖感に襲われていた。一方的な裁きを見せつけられている恐怖。ボダルト議長の口元が、“馬鹿な……”というように動いた。《ヌーダ・ヴェリタス》というレーツェルに、ここまでの力があったのか?

 これではまるで、裁きの神の兵器ではないか——。


『ダニエル……!』


 〈パステルヴィッツ公爵一家消失事件〉の謎が今まさに解かれようとしていた。なのにコンスタンツェの焦燥の想いはそれどころではなかった。

 裁きの光が降るたび、ダニエルの金色の髪にまじる漆黒が侵蝕をひろげてゆく。闇が新たにダニエルを侵してゆく。真実が証されるたびに、《ヌーダ・ヴェリタス》に秘められた神の力が、ダニエルに吸収されてゆくのだ。

 五度目の裁きの稲妻で、ファオは垂直に崩れるように膝を折った。


『もうやめて……!』


 《ヌーダ・ヴェリタス》の本来ありうべからざる力を引き出しているのは、ダニエルの身体に流れる神の血だ。


「デモンを殺すつもりか。デモンを殺せるのはデモンだけだ。おまえはデモンになることを選ぶんだな」


 両瞳から紅の涙をしたたらせてオデムが言った。

 もとよりその瞳はルビー色。苦痛に耐える陰惨なまなざしの中に、永年を過ごしてきた者の冷徹な賢明さが見える。


「デモンは謎を生む者だろう。俺は謎を解く者だ」

「それこそが問題だ。人間は闇の解明を望む。秘密の暴露を望む。解き明かされぬ謎を人間は嫌う。人間にとって、すべての事象は発見され、すべての不思議は説明されなければならない。そして闇に光を当てる者を人間は神と呼ぶのだ」


 血を吐き散らしながらオデムが叫ぶ。

 これほど強い畏れと憎しみの声をコンスタンツェは聞いたことがなかった。

 これほどに歪んで紅潮した怒りの形相をコンスタンツェは見たことがなかった。


「人の血の混じったデモンとしておまえは神になる。人の本性とデモンの魔力によっておまえはすべてのレーツェルを解き明かし破壊する。レーツェルを以って我らデモンが人の世界に与えた秩序を」


 神——まだらの髪が闇の色をひろげてゆくにつれ、ダニエルは神に近づく。

 その笑みも、まなざしも、姿かたちも、オデムの畏れが不思議ではないほど神々しい。

 慈悲なく真実を暴きたてることが彼の慈悲だ。もしも彼が本当に神になるとしたら、それが世界の新しい理となるだろう。


「ヤハロームと交わったのがただの人間の血であればまだましだった! だがあの女は帝国の皇女だった。皇女が隣国の王妃となって産み落とした娘は従兄弟である帝国の皇太子に嫁し、デモンの血を引く皇子を産んだのだ」


 オデムの叫びはパステルヴィッツ公爵の遺した告白を裏付けた。

 だが、その先の糾弾が響きわたる前に、ダニエルの表情が訝しみを先取りする——。


「おまえが生まれたからマクシミリアンは死んだ。おまえという存在が帝国の皇帝になれば、すべての秩序を破壊する王となるだろう。俺はそのような未来を放置することはできない!」


 醜い現実に蓋をすることで保たれるこの世界の秩序——。

 すべての謎を解きたがり、すべての秩序を破壊するダニエルが、この帝国に皇帝として戴冠する将来は、秩序の守り手としてのデモンたちにとって許すべからざるものだ。

 だからオデムは、最悪の未来を阻止するため、皇帝一家をインネレシュタットの中心の玉座から引き摺りおろすことを考えた。

 オデムが企図した禍々しいレーツェル。

 それは皇帝を操って政治権を民主議会に譲渡させ、インネレシュタットの中心たる王宮から皇帝一家を退去させるという計画だ。

 だが、このレーツェルが生まれるためには、幾つかの犠牲が必要とされた。

 すなわち、パステルヴィッツ公爵の死……。


「貴様の計画を知ればパステルヴィッツ公爵は必ず反対するからか。所有者に知られず魔石から出て大計画をやり遂げることはできない……」


 訝しげに眉をひそめたままダニエルが呟く。


「そうだ。おまえさえ、神の血を継ぐ皇太子さえ生まれなければ俺はマクシミリアンを殺さなかった」


 冷徹で賢明なるルビーの魔石のデモンであるオデムの瞳に、痛切な光がよぎる。忘れてしまえない痛みに引き攣れたオデムの心がコンスタンツェには視えた。(どうして……)


 意固地な老人を相手にするように、ダニエルがかぶりを振る。

 眉を寄せきったまま首を傾けて、呆れ果てる視線をオデムに注ぎながら彼は言った。


「そんなに殺したくなかったのなら、殺さなきゃよかったんだ。何千年も生きてきている存在が、そんなこともわからなかったのか」


 まったく手に負えない、と言いたげに空の煙管をふりまわす。


「人も、デモンも、時にわけのわからないことをするのは同じだな。オデム」


 オデムの抱える怒りと痛みの中に、コンスタンツェは父マクシミリアンの存在を感じた。オデムの中には、コンスタンツェが抱えるものと遜色のない哀しみと慟哭が棲んでいる。

 それだけは、謎でもなんでもない。隠しきれていない。

 オデムとマクシミリアンのあいだには、確かに友情があったのだ。


「まだ現実に起きていない未来のために親しい友を殺すなんて、正気の沙汰じゃないんだよオデム。わけのわからないことだ。少なくとも俺にはわからない」


 尤も——と、ダニエルはつまらなそうに呟いた。「政治家の連中が〈正義〉とかいうのを都合よく掲げてたびたびやっていることではあるけどさ」

 マクシミリアンが見抜いていたとおり、愛と情熱に生きるヤハロームとは対照的に、オデムは冷めた目で現実を眺める神だ。


「死にたいのなら殺してやるよ」


 ダニエルは軽い足取りで横合いへ歩いていって、刀掛けに売るほどたくさん飾られている宝剣の一つを手にした。

 しゃらりと金属のこすれる音がして、刀身を抜かれた装飾華美な鞘が、無造作に投げ捨てられる。


「俺のせいだと言うのなら俺が責任を取ってやる。人の法ではデモンを裁けない。本当なら家族を奪われたコンスタンツェが仇をとるべきだが、彼女はおそらく——」


 ダニエルの言おうとしたことがコンスタンツェにはわかったし、そのとおり、彼の予想は正確だった。


(わたくしにはできない……そんなことできない……。それに、誰にも、してほしくない……)


 オデムを許すことは絶対にできない。でも、仇だからって、命を奪うのは違う。

 そんなことはできない。してはいけない。ダニエルだって。

 ざざ、と床に散らばるルビーの粒を靴底で払って、尖った刃の切っ先をダニエルはオデムの喉元にあてがう。


「死ぬまえにコンスタンツェの居所を吐いてけ」


 そのときオデムがオデムとして現れてから初めて、笑った。


「コンスタンツェはもう戻って来られないぞ、この世界には、永遠に」


 ダニエルが表情を失くす。


「何だと」

「俺が消した」


 挑発だ。

 単純な挑発。なんの根拠もない言葉なのに、たったそれだけでダニエルが冷静さを失った。


「パステルヴィッツ公爵一家はこれで完全に消滅したのだ」


 まるで鏡写しのように、オデムと同じ怒りと畏れに顔を歪ませてダニエルが、剣を握る腕に力を込めた。


——いけないわ、ダニエル!


——殺めてはだめ。ファオはダニエルの……お父様なのよ!!

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