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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
1.謎を食む、探偵
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1.探偵の謎

 この街、インネレシュタットでは謎を解くことが禁じられている。

 ゆえに、この街には、謎を扱うことから闇稼業と分類された職種が幾つか存在する。


 一つは探偵——これはもう最大の禁職と言ってもいい、闇の中の闇の稼業だ。


 もう一つは新聞記者——事件という謎を衆目に提示し、その解決を求めて関係者を追いかけまわし、声高に追求するブン屋たち。


 探偵どもは闇の中に身を隠したが、新聞記者はそれでは成り立たないからゲリラになった。

 官憲の目を盗んで朝と夕に街にばらまかれるタブロイド紙の一つを、人目をはばかりながら拾いあげたコンスタンツェは、車道に停めていた箱馬車の中に戻ってからミルフィーユケーキの層を剥いでいくように一枚ずつめくっていった。

 やがて頁数の終わりのほうで、小さな広告記事を見出した。


〈謎を解くならダニエル・バルテル探偵事務所。ご案内は△△新聞社が代行いたします〉


「謎を解くなら、って……。ちょっと表現が露骨すぎない?」


 インネレシュタットでは、謎を解くことは法律で禁じられている。謎を解くことは帝国のどこでも忌避されてきたが、なかでも帝都である〈環の中の街〉インネレシュタットは、〈謎〉に対する禁忌の感覚が世界中のどこよりも強いのだ。

 とはいえ、探偵ダニエル・バルテルといえば、〈謎〉を解く必要に迫られた者にとっては有名な探偵だ。

 いまさら白々しく、

“失くしものの在処、守護霊に聞いてあげます☆”

 とか、

“恋人の浮気疑惑、深くしつこく相談に乗ります!”

 などの遠まわしな表現でごまかしてもどうにもならないくらいに。

 コンスタンツェは新聞社の所在地として記載された住所に向かった。そこは大手の印刷所だった。


「うちと△△新聞社とは無関係! 勝手に番地を載せられて迷惑してるんですよ!」


 と、印刷所の事務員は答えた。

 がっかりしてコンスタンツェが馬車に戻ると、事務手伝いの少年が駆けてきて、下町の住所が書かれた紙片を手渡してきた。

 すぐさまコンスタンツェはその住所に行ってみた。

 官憲に踏みこまれたらすぐに逃げ散らねばならないため、△△新聞社はミニサイズの輪転機すら置いておけないほど小さな下宿の一室を根拠にしているのだった。


「あそこの印刷所は議会の広報紙なんかも刷ってる。権力者お墨付きの大手だが、社長は反骨精神を持ったひとでね」


 乱雑を極めた下宿兼編集室から戸口に出てきて、若き編集長カール・ベッカーマンはぼさぼさの頭をかきまぜながら一連の面倒な連絡手段のカラクリを説明した。

 ベッカーマンは首からぶらさげたメモ帳にペンを走らせると、びりりと破ってコンスタンツェに差しだした。


「ダニエル・バルテル探偵事務所の住所はこれです、フロイライン。しかし悪いことは言いませんよ、お屋敷に泥棒が入ったとか、探し人とか、そうした単純な話ならもっと穏当な人間がやってる探偵事務所をお勧めしますが」

「守護霊の声が聞こえるのであって謎を解いているわけではないとおっしゃる穏当で紳士的な方ね? いいえ、そういう方々にはもう当たってみた後なんです。『守護霊だって何でもかんでもお見通しというわけじゃないんです』って、どこでも門前払いをいただきましたわ。要するにあの方々の手には負えない〈謎〉なんです」


 凡人の手には余る極大の謎を抱えて、コンスタンツェ・フォン・パステルヴィッツはその日の午後いちばんに、ダニエル・バルテル探偵事務所の扉を叩いていた。




 インネレシュタット八区、ヨーゼフシュタット通り二一番地に建つ集合住宅ヴォーノンクの三階に、ダニエル・バルテル探偵事務所はあった。

 茶色い銅板を打ち出したごくごく小さな看板がドアノブに鎖で引っ掛けられているだけの地味な外観から察するに、事務所であると同時にここが探偵の住むところなのだろう。


「不在かしら」


 何度も玄関扉を叩いて声をかけたが、応答がなかった。

 運悪く住人は留守らしかった。

 メモを置いて一旦帰るしかないのか、と嘆息しかけたとき。

 パタッ。ガチャリ。ギィー……。

 という三連続の音をたてて、扉がひらかれた。

 しかし、そこには誰もいなかった。

 誰もいない廊下が目の前にまっすぐ伸びている。


「あの。どなたか……? 入っても構わないのかしら」


 コンスタンツェは首をひねりながら、古ぼけた茶色の絨毯のはりつけられた廊下に足を踏み入れる……。

 扉が背後で自然に閉まった。


「——」


 何だか、おかしい。

 思っていたのと違う。

 探偵事務所を探してきたのに、遊園地のびっくり屋敷に迷いこんだみたいになっている。

 もしかして、不幸になることを恐れず〈謎〉と戯れつづけた探偵ダニエル・バルテルも、とうとう命運尽きて幽霊になってしまったのだろうか……?

 だが、目の前につづく廊下の奥からは人の気配がする。

 むしろ「くそうっ」とか「このっ」とかいう血気盛んな生きた人間の怒声が聞こえてくる。


「ダニエル・バルテルさんにお目にかかりたいのですけれど!」


 と、コンスタンツェは声を張りあげた。



「依頼人なら中に入れ。官憲サツは出てけ。教会人だったら聖典に顔をつっこんで窒息して死んどけ!」



 帰ってきた返事にコンスタンツェは眉をひそめる。


「……ずいぶん若い声だわ」


 探偵ダニエル・バルテルの名声は、〈謎〉を解く必要に迫られた者たちのあいだに闇夜の雷鳴のごとく轟いている。

 解いた謎、暴いた事件は数知れず、その手際の鮮やかさに賞賛の噂話はやまず。誰が呼んだか〈謎を食む探偵〉という二つ名を冠されるダニエル・バルテルは、おそらく当然、霞の代わりに〈謎〉を食べて生きているような痩せた中年の紳士であるはずだ——とコンスタンツェは勝手に想像していたのだ。


「ずいぶん若い女だな。若い女はたいてい食い足りない謎しか持ちこまないんだ。謎ですらない、謎もどきだ。そういうのは俺のところじゃお断りだ」


 茶色い革張りの長椅子の真ん中をどっかりと占拠した青年が、居間の戸口に姿をみせた依頼人に横柄な闇色の視線を突き刺した。


「でもまあ、その髪の色は気に入った。ドゥンケルに免じて話くらいは聞こうじゃないか」


 思わずコンスタンツェは外套の肩に垂れた濃い茶色ドゥンケル・ブラウンの髪に手を触れた。

 無意識に口元をひきむすぶ。

 子供のように髪を下ろしている外見は、今日のコンスタンツェの唯一の弱点だった。

(わざとなの……?)

 ひとの弱点を見抜いて、わざと指摘したの?


「あなたがヘア・ダニエル・バルテル?」

「そうかも」


 人をくった返事をして青年は脚を組み替えた。

 小さな居間には他に誰もいない。


「帽子と外套掛けはそこのガイコツだ」


 コンスタンツェは傍らをふりかえってぎょっとした。等身大の白骨標本が背中を曲げて立っている。すでに被せられているフロックコートだけでも重たそうなのだが、衝撃を悟られたくないコンスタンツェは平然を装いつつ外套を脱いだ。


「コンスタンツェ・フォン・パステルヴィッツと申します。わたくしが依頼したい内容は……」


 低いテーブルを挟んで向き合いの長椅子に腰を落としたコンスタンツェは、単刀直入に話の口火を切ろうとした——。


「放火犯を捕まえてほしいってだけには見えないね」

「——」


 コンスタンツェはつんのめるように探偵を見る。

 放火犯。

 たしかにコンスタンツェがこれからしようとしている話の中には、そういう単語も出てくる。

 なぜ探偵が先にそのことを知っているのかコンスタンツェは訝しむ。

 もっと驚かされたのは、探偵の言うとおり、コンスタンツェの抱える謎はもっと複雑だ。


「まだそこまでお話ししていません。最初から話させて」

「わかった。どうぞ」


 コンスタンツェは探偵ダニエル・バルテルの闇色の眼をしっかりと見据えながら話しはじめた。

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