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公爵令嬢と環の街の魔石たち  作者: 石川零
4.謎に死す、探偵
19/25

3.ダニエルの謎


「コンスタンツェ!」


 閉じていた扉が勢いよく開かれた。


「どこだコンスタンツェ。くそっ、コボルトどもめ、宝物管理庫のほうで見たなんて嘘か? ここにもいないぞ……」


 燭台を掲げて部屋に入ってきたダニエルが、辺りをぐるりと見渡して顔を険しくする。


『ダニエル……!』


「おい探偵、オレには見えない小鬼に同情するってのもアレだが、情報屋の小悪党の扱い方も知らねえのかよ、もうちょっと紳士的に訊かねえと向こうだってまともに答えらんねえぞ。やっこさん、震えあがって小便たらしてなかったか? デモンも小便がしたくなるもんかどうかは知らんが」

「どこに行ったんだ、コンスタンツェ!」


 せわしなく乱暴に壁際の陳列棚や鍵付きのチェストをどけながら、隠れられるような場所を覗いてまわる。無造作にかたむけた白磁の大壺が派手に倒れて割れてしまった。


「この部屋にもいないとなると……」


 ダニエルは苛々と片手で前髪をかきあげた。


「だから探偵、苛つくんじゃねえ。こっちの部下もフロイラインの捜索に全力で当たらせてる」

「どこだコンスタンツェ!」

「てめえはそれでも名にし負う名探偵サマかよ? 噂とぜんぜん違ってねえか」


 闇に隠れた絵の中でコンスタンツェは息を呑んでいた。

 燭台の明かりに浮かんだダニエルの髪——かきむしられるダニエルの頭の半分以上が漆黒に染まっている。

 王宮内のあちこちに仕掛けられたなぞなぞの罠——彼はここまでにいったい幾つのレーツェルを解いてきたのだろう。トリスタンや警官たちを発狂も火傷もさせずに無傷でここまで連れてくるなんて。


『ダニエル、来ては駄目よ』


 〈君はそこで、これからやってくる探偵の破滅を見ているといい——〉

 コンスタンツェは懸命に絵の中から声を張り上げたが、彼らには聞こえていないらしかった。

 宝物管理庫を散らかしながらダニエルが奥に進んでくる。翳された燭台の光輪が、コンスタンツェの右手の手鏡をかすめる。

 通り過ぎた光が、ややあって絵の上に戻された。


「《ヌーダ・ヴェリタス》……?」


 ダニエルが、絵の下に立った。


『み、見ないで』


 コンスタンツェは冷や汗を浮かべて焦った。

 あますところなく神々しい裸体を晒した女神の絵である。コンスタンツェは只今その中にいる。自分の裸を見せているわけではないけれど、女神の裸身に意識は同化している状態で——。まるでコンスタンツェが見られているみたいだ。とてつもなく居心地が悪いけれど、動けないのだ。


『見ないで!』


 そのとき、宝物管理庫の電燈がいっせいに灯った。


「——これはこれは、尊き若君。このような時間、このような場所で御目にかかるとは、いささか驚いております。同時に残念です」


 ダニエルが素早く声のしたほうをふりかえる。

 照明の下に現れた人物を見て、険しく呟いた。


「ウルリヒ・ボダルト議長……」

「親父じゃねえか。どういうことだ——?」


 管理庫の中央にひときわ目立ってそびえる硝子の陳列ケース、その傍らに、トップハットをかぶった見知らぬ紳士が立っていた。

 慇懃に帽子を取る。

 癖のある銀髪がハルトヴィンを思わせ、鋭い碧眼はトリスタンとそっくりだった。


「非常に残念です。若君、あなたの行動は前々から把握しておりました。あなたの御ふるまいが、余暇のお遊び、退屈のお慰み、という種類のものなら何も問題はなかったのです。しかし、それが特別な目的を持った行動の一環であれば話は全く別のものになります」

「ワカギミ?」


 短くなった煙草を床で踏み消してトリスタンが怪訝そうな顔を上げる。


「ボダルト議長。自らレーツェルの中心に姿を見せるとは、そのほうが俺には意外だが? まさか俺が謎を解く前に、自白してくれちゃうんじゃないだろうな。許しがたいぞ、自白は。俺の楽しみが減る」


 至極つまらなそうに苦虫を噛む顔でダニエルが言う。


「私がここにおりますのは、さすがに尊き方の対処を下の者に任せたまま執務室で寛いでいるわけにはいかないからです。それだけ若君のなさろうとすることは大きい意味を持つのです。この——」


 ボダルト議長は傍らの硝子ケースを拳の関節でこつこつと叩いてみせた。


「〈王権の象徴具(レガリア)〉を盗みにいらっしゃるという暴挙は」


 胡乱げにダニエルは漆黒の瞳を細めた。


「何の話をしているんだ——いや、そうか、なるほどそういうことか」


 探偵の頭脳はまたたくまに回転している。

 呆れたようにダニエルは頭を振った。


「レーツェルの罠の中に、現実の罠を仕込んだわけか。なるほどね」


 コンスタンツェは絵の中から硝子ケースの中身に目を凝らした。

 中央に王冠が見えた。それから王笏。そして黄金の王玉オーブ

 どれもこれも破格な宝玉にまみれた絢爛な至宝である。

 三種のレガリア——つまり、帝国を支配する皇帝にしか所有を許されない王権の象徴だ。


「ちょっと待てよ親父。たかが市井の探偵が三種のレガリアを王宮から盗み出したところで、民主議会議長サマの出る幕でもねえだろ? コソ泥の検挙はオレらの領分だぞ」


 理解から取り残されたトリスタンが薄ら笑いを浮かべながら前に出る。

 絵の中からコンスタンツェはトリスタンに同意した。激しく頷いて応援したいが、動けない。


「口を慎め、トリスタン。どなたを前にしているか、まだわかっていないのかね」

「はあ? 誰っていうと、ゲテモノ喰いのクサレ探偵どのだな」


 するとボダルト議長は芝居がかった仕草で目を瞑った。


「嘆かわしいことだ。お前も謎の追跡者の端くれなら、殿下の後塵を煎じて飲むべきだ。どうか息子の非礼をお許しください、殿下」


(……え?)

 コンスタンツェは絵の中から広角に部屋の中を見渡した。

 部屋の中にはボダルト議長とトリスタンとダニエルだけ。どこにも、殿下と呼ばれるような新規の人物はいない。


 ボダルト議長が、舞台俳優のようによく通る低音の声で厳かに言った。片手を大仰にふりあげてダニエルを示しながら——。


「この方の正体は、アルブレヒト・オットー・フリードリヒ・フォン・ロートリンゲン皇太子殿下。我らが戴く帝室の皇位後継者であられる」


(……何て言ったの?!)


 トリスタンが両眼を細めてボダルト議長とダニエルとを交互に見た。


「待て待て、どこに『ダニエル』があるんだ?」


 ダニエルは手持ち無沙汰そうに片手で金と漆黒のまだらの頭を混ぜている。視線は強くまっすぐボダルト議長に据えたままだ。


「それは自分で付けたんだ」


(じゃあ本当のことなの?!)


「探偵ダニエル・バルテルが皇太子だと? ……はは。……ハァ、世も末ってのはこういうことかねえ」


 しかしトリスタンは、絵の中のコンスタンツェほど驚愕に我を失ってはいない。「しかし、だから何だ、って感じもするがね」


 ダニエルがまだらの前髪の陰から、ちらりとトリスタンを見た。


「それはそうだよ。王宮から皇帝がいなくなって十七年が経つ。俺たちは〈空の王宮のインネレシュタット〉で育った世代なんだからさ」

「〈新時代の子供たち〉。オレとハルトに向かって、親父が得意そうによく言っていたもんだ。『お前たちは新時代の子供たちだ。私が創り上げた市民の時代の自由な子供たちだ。そしていつかお前たちが私の志を継ぎ、この帝国をより良く強く強大にしていくのだ』——何が自由だクソ喰らえと思ったぜ。糞に糞を喰らわせてもたいして面白かぁねえがな」


 嫌気のさす思い出がぶりかえしたせいで虫の居所が悪くなったように、トリスタンが凶悪に頬を歪める。


「それでボダルト議長は、息子の手で俺を逮捕させようとしているのかな? 司法庁の厄介者デカとしてくすぶってる息子に大手柄を上げさせてばばっと昇進させてやろうって親心なのかな。あるいは一気に知名度を上げて後継者としての一歩を踏み出させる算段?」


 ダニエルはゆっくりと歩きだした。


「そんな話は聞いてねえぞ。つか誰が厄介者デカだよ」


 傍らを追い越していくダニエルに、トリスタンは虚をつかれたように眼をひらいた。

 まるでダニエルは、ボダルト議長の語った予想を実演するように、厳重に安置されたレガリアの元へ向かっていく。


 三種のレガリアを手にする者は帝国の支配者。

 正統な血筋の皇位継承者がそれを取り戻したとき、市民の時代は終わり、絶対君主の玉座の元に絢爛な貴族政治の時代がよみがえる——。

 燦然ときらめくオーブの黄金が、ダニエルの漆黒の瞳に映り込んだ。


「政治権の移譲と同時に王宮ごとレガリアをお預かりし、ロートリンゲン家の権威を抑えさせていただくことは、皇帝陛下とのお約束です。このお約束を破棄されるならば、民衆は革命を用意せねばなりません」


 破壊の音が響いた。

 拳で硝子ケースを撃ち叩いてダニエルがボダルト議長を見返る。


「茶番につきあってやるのはここまでだ、議長。コンスタンツェはどこだ?」


 頑丈なケースにはひびすら入らない。


「俺はガキを探しに来たのでも議長の妄想につきあいに来たのでもない。俺は〈パステルヴィッツ公爵一家消失事件〉の謎を解きに来たんだ」


 極限まで機嫌を悪くした零度の声で、ダニエルが言った。

 壮年の政治家ウルリヒ・ボダルトは顔色ひとつ変えない。


「いかな皇太子殿下であろうとも、天環教会の法に背くことはなりません。聖別免状の発行されていない事件を追求することは、この世界の理に反するのです」


 メエエエエエエエ。

 とつぜん、気の抜けるような動物の鳴き声があたりに響きわたった。

 メエエエエ。メエエエエ。

 とことことこ、と純白でモコモコの羊がやってきた。

 小さな耳をふってきょろきょろしながら、羊はとことこと《ヌーダ・ヴェリタス》の絵がかかるほう——コンスタンツェほうへ向かってくる。


「あ?!」


 足元を通り過ぎようとしたもこもこの塊に目を落として、トリスタンが片眉を上げた。


「なに食ってんだ、おまえ」


 もぐもぐと何か噛んでいる羊の口元から、ぺらりと垂れた紙を引っぱりだす。

 照明にかざして目を走らせる。


「こいつは……〈聖別免状〉だ。パステルヴィッツ公爵一家消失事件のだぞ」


 部屋の扉の外が騒がしい。

 警官たちに先導されて、司祭服のハルトヴィンが入ってくる。


「すみません、間に合いましたでしょうか、ダニエル・バルテル探偵事務所に伺ったら警察の現場検証で封鎖されていました。何があったのかトリスタンに訊いてみようと司法庁に行くと、王宮に捜査に出ていると……」


 前方にトリスタンとそして父ウルリヒの姿をみとめて、立ちどまる。

 それからハルトヴィンはダニエルに目を合わせて、頷いた。


「公爵令嬢に〈聖別免状〉を届けに参りました。先ほどシュテファン大聖堂の大司祭長がやっと地方視察から戻ってきまして……」


 迷宮を通り抜けてきたばかりで頼りなく彷徨っていた青年司祭の瞳に、徐々に意志の光が宿りはじめた。


「前例のないことですが、十七年前の事件についての〈聖別〉がなされました」


 そう言って、ハルトヴィンは神の許しと祝福をあらわす印を結んだ。


「説得したのか? てめえが?」


 信じられないようにトリスタンが荒い声で訊き返す。


「はい」


 ダニエルが不可解な謎に出会ったように首を傾げる。


「どういう風の吹きまわしで?」

「それは」


 ハルトヴィンは一瞬だけ動揺した。

 けれども彼の中ですでに答えは見つかっている。あとはそれを彼自身が認めるだけだ。


「公爵令嬢の望みを叶えたいと僕が思ったからです。でも、僕は信仰上の信念を私情のために曲げました。僕は今日限りで司祭職を返上し、教会を去るつもりです」


 そしてハルトヴィンはウルリヒ・ボダルト議長を見た。


「お父さん。あなたの望みどおり、僕はお父さんの後継者として政治の道に入ります」


 ボダルト議長がにわかに喜色を浮かべて目を細める。


「ほう」

「ハルト、てめえ……」


 何故だかトリスタンはこの場でひとり、激昂していた。


「もう決めたことです。だからトリスタンは安心しなさい。安心して、地道に刑事の仕事で生きていきなさい。どちらか一人でも懐に入れば、お父さんも満足して息子の職場に圧力をかけるのをやめるでしょう。シュテファン大聖堂の大司祭長は、世俗からの横槍よりも信仰心を優先する公平な方です。だから僕は幸福な信仰生活を送ることができた。その経験がこれからの僕の礎です」


 ボダルト一家の後ろでダニエルが苛々している。


「ちくしょう、またぞろ苦手なやつが始まったぞ。一家の確執物語なんぞ俺にはどうでもいいんだよ。謎を解かせろ、謎を!」


 双子の兄を凶悪に睨んで立ち尽くすトリスタンの手から、ハルトヴィンが〈聖別免状〉を取る。


「政治家になるのだけは僕は嫌でした。今だって嫌だ。でも僕は今、自分を見失わないための賭けをしているんです。自分の心をお父さんへの疑いに染めたくない。その〈聖別免状〉によって暴かれる真実の中に、お父さんの名前が刻まれていないことを僕は信じています。僕は立派な政治家であるウルリヒ・ボダルトの元で、その志を継ぐ者になるためこれから修行を積まなければならないのだから」


 ハルトヴィンは〈聖別免状〉をダニエル・バルテルの手に預けた。


「ヘア・バルテル。よろしくお願いします」


 ダニエルはそれを一瞥したあと、くしゃくしゃに丸めて焦茶のフロックコートのポケットにつっこんだ。


「役所の形式なんぞ、あとあとのことだ」


 あってもなくても謎は解ける。

 そう言いたげなダニエルだったが、〈ことなかれ教会〉に関わるものを破って捨てなかっただけ、教会嫌いの探偵にも進歩がみられた。


「それでは、殿下。せっかく《ヌーダ・ヴェリタス》を前にしているのです。〈真実の鏡〉を証人といたしましょう。それでこそ、私の無実は完全に証されることになる」


 あらかじめ台詞が用意されていたように慇懃なボダルト議長の提案に、ダニエルが華麗な笑みとともに答える。


「構わない」


(だめ、いけないわダニエル!)


 それは罠だ。

 ダニエルの持っている推理と答えはすでにコンスタンツェが〈真実の鏡〉に問うた。

 だがそれは真実ではなかった。ダニエルは間違えている。


「《ヌーダ・ヴェリタス》の魔力で、真犯人にコンスタンツェの居所を吐かせてやる」


 このまま〈真実の鏡〉の前でダニエルがボダルト議長の挑戦を受けたら、探偵ダニエル・バルテルは敗北する。

 そしてコンスタンツェの二の舞だ。

 ダニエルまでが、《ヌーダ・ヴェリタス》に囚われてしまう。

 絵の呪いの中に消えてしまう。

(議長はあなたを罠にかけて存在ごと消してしまうつもりだわ……!! ダニエルお願い……っ)

 コンスタンツェは声の限り叫んだ。


 響かない。届かない。そうとわかっていても、あらん限りの力をふりしぼって呼びかけた。

 誰にも聴こえない。誰もコンスタンツェの叫びに気付かない。

 ダニエルが謎解きの快楽に漆黒の瞳を輝かせて《ヌーダ・ヴェリタス》の鏡を見上げた。


(違うわ、ダニエル。わたくしを見て)


 彼の背後でウルリヒ・ボダルトがかすかな微笑みを浮かべた。勝利を確信する老獪な笑みだった。

 ダニエルが、決定的な言葉を発するため、深く息を吸う。


(ああ、届かない。お父様、お母様、お祖母様、どうかわたくしに力を貸してください。お父様(Vater)お母様(Mutter)お祖(Gross)母様(mutter)、お墓のお祖父様(Grossvater)—— Vater、Mutter、Grossmutter、Grossvater……、V……)


「この探偵ダニエル・バルテルが、〈真実の鏡〉に本当の謎解きを披露してやる。それほど難解な謎ではなかったよ。パステルヴィッツ公爵一家消失事件の真犯人は——」

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