序
環の中の街——インネレシュタット。
この街では、謎を解くことが禁じられている。
謎は魔が散りばめていった罠だ。
謎は誘惑。
謎は呪い。
謎を解くと不幸になる。
だから、謎を解いてはいけないのだ。
謎は謎のままにしておかなければいけないよ——。
「たしかにわたくし、あなたを探し出したことでどんどん不幸になっていっているわ」
令嬢コンスタンツェは目の前の探偵を睨みつけた。
「そうか。そう思うなら今すぐそこの扉から出ていけ」
金髪に幾すじかの漆黒を混じらせた探偵は、その優雅に整いすぎた美貌に冷酷な笑みを浮かべて言い放つ。
「この有様で外を歩けるわけないでしょう? 誰のせいでこんなことになったと思っているのよ……!」
頭からつま先まで泡だらけのびしょ濡れになり、おまけに猫の毛だらけになったコンスタンツェ・フォン・パステルヴィッツは怒りに震えながら叫んだ。
小さな居間がその声でふるふると振動する。
まとわりつく猫たちがニャニャニャニャと合唱を添える。
コンスタンツェの手の中の紅茶のカップにはタキシードを着た小鬼が白目を剥いて浮いていた。
「だから、いま君が言ったとおりだろう。君の不幸は、探偵ダニエル・バルテルを探し出そうと思い立った君のせいに他ならないよ」
不敵に嘯く探偵ダニエル・バルテルの佇まいは誰がみても美しく高貴で優雅だが、そしてまた、誰の目にも探偵ダニエル・バルテルの言動は、冷たく非情で乱暴である。
彼は中身の詰められていない煙草パイプを振りまわしながら言う。
「謎を解くのは何にも勝る快感だけれどさ、対価はちゃんと引き受けないとね」
泡まみれ猫まみれのびしょびしょが報われるほどの快感なんてものが、この世界のどこにあるというのだろう?
「快感はともかくとして。たったいま支払っているこの対価に見合うだけのものをわたくしは手に入れなければならないわ。すなわちそれは、あなたの協力よ。ダニエル・バルテル。この場でお返事を頂けるかしら。わたくしの持ってきた謎を、引き受けていただける?」
挑むように凄むように、コンスタンツェは問うた。
探偵ダニエル・バルテルは、魔の罠に誘うような闇色の瞳を煌めかせて、コンスタンツェを眺めている。
彼女が持ちこんだ謎を値踏みするみたいに。
いや実際に値踏みしているのだろう。
さて。
ここに一つの謎がある。
泡だらけ猫まみれになりながら探偵に謎を売らんとする深窓の令嬢は、いったいどのようにして出来上がったかという謎が……。
とりあえず、泡だらけ猫まみれなコンスタンツェの不幸のはじまりは、半日前に遡る——。