因果応報
ああ、おいでなさいました。
はい。
あちらの御二人を、お待ちしていたのでございます。
ええ、貴方様に縁のある方でして。
は?
知らないとおっしゃる?
よく、御覧なさいまし。
思い出せない?
なんと。
冗談でしたら、今すぐにやめてくださいますよう、お願い申し上げます。
真面目に知らない、と?
駄目ですか。
本当に?
いやはや・・・・・。
貴方様には失望いたしました。
これほどとは、思いませなんだ。
はあ・・・・・。
今一度、伺います。
あちらの御二人に、見覚えはございませんか?
・・・そうですか。
分かりました。
どういうことか、と言われましても・・・。
貴方様は、最後の機会を棒に振ったのです。ご自分で、そうなさったのですから、もう何も言いますまい。
少々お待ちを。
ええ、私はあちらの御二人をご案内申し上げてから、また戻ってまいります。
これは、お待たせをいたしました。
じっとしていてくださったようで、助かりますでございます。
はあ、遅い、と?
これくらいで不平を言われては、困ります。
お言葉ですが、今しがたの御二人には、一年もお待ちいただいたのですよ。
元はと言えば貴方様のせいで、ずっと待ちぼうけでございました。
ええ、そうです。
その理由を、今からお教えしようと言うのです。心してお聞きなさいませ。
と思いましたが、もう一度だけ、伺います。
くどいのは性に合いませんが、私にも情というものがございまして。
先の御二人を、本当にご存知ではありませんか?
・・・分かりました。
こう言ってはなんですが、私にも気の進まない仕事はございます。今がまさに、そうでございます。
失礼、余談でした。
さて。
貴方様のことを、お話いたします。
今から一年ほど前のこと。
ちょうど、この場所で交通事故がありました。
死亡者二名、重軽傷者が十一名という、大きな事故でございました。
原因は、運転手のハンドル及びブレーキ操作誤り。
にも関わらず、運転手は自動車の不具合で事故が起きたと主張しました。
ブレーキが利かなかった、と言うのです。
もちろん、そんな事実はありません。
目撃者の証言も、ドライブレコーダーも、アクセルとブレーキの踏み間違いによる事故であることを、物語っておりました。
しかし、運転手は頑強に自分の責任を否定しました。
事故原因は自動車、及び自動車メーカーにある、と。
問題は他にもありました。
事故を起こした男性は、医者から自動車の運転そのものを、止められていたのです。
はい。それも間違いありません。
しかも複数の医師に止められておりました。
その理由を、貴方様はご存知で?
もちろん知らない、と。
そうですか。
ではお教えしましょう。
認知症です。
男性は、運転をやめるように注意を受けるくらい、重い認知症だったのです。
他人様を思いやる心、危ないから止めようという意志があれば、悲劇は避けられたのです。ただ、その意志の力が、もうずいぶん前に死んでいたのですなあ。
もちろん、家族は止めました。危ないから、運転はよせと。
しかし、運転手の老人は聞き入れなかった。というより、端から聞く耳を持たなかったのでしょう。
自分こそが正しいと思い込む長年の習慣は、最悪の事態をもって帰結したのでございます。
これぞまさに、老害でございましょう。
昨年の今頃でした。
医師の勧告を、家族の忠告を、無視して五年。事故は起こるべくして起こりました。
当時、事故の当事者である男は、車庫入れも出来ないほど、運転能力が低下していたとか。
杖が無ければ歩くこともままならないほどに運動能力は衰え、視力も聴力も、何もかも、通常生活に支障を来すレベルだったと言います。自動車の運転など、全く無理でございました。
ええ、そうでございます。
貴方様の大嫌いな、不合理そのものでございましょう。
気の毒なのは、犠牲者とその家族でございます。
怪我をした方はもちろんですが、死亡者はどうしようもありません。
残された家族の悲しみは、如何ばかりか。
もうお分かりでしょう。
死亡者とは、そう、先の御二人でございますよ。
ここで亡くなられたのです。
若い母親と幼い子供が。
余りに突然のことで、御二人は自分が死んだことを認識できずにいらっしゃった。それ以来ずっと、ここで途方に暮れていた、というわけでございます。
御二人を助けたくとも、いろいろと柵があって思うにまかせず、今日になってようやく、回収する機会が巡ってまいりました。
貴方様が死んだのでございます。
まさか、とおっしゃる。
ご安心を。
本当でございます。
私はこの日を待っておりました。もっと早く来ないものかと思いつつ、いっそ早めてしまおうかとさえ思いながら。
貴方様向けに突然死の準備までしていたのですが、使わずに済みました。良かったのか悪かったのか、今となっては分かりません。
なぜ、と申しましたか?
恨みでもあるのか、と?
いいえ。
私には何の含むところもございません。
仕事でございますよ。
ともかく、罪のない方々の死亡原因である貴方様が、後悔も反省もなしにのうのうと生きていては、御二人が成仏できませんからなあ。
それは、余りにもお気の毒というもので。
私は今、御二人が無事に成仏なさって、ほっとしている次第でございます。
後は、貴方様のことだけ。
ですが、はっきり言わせていただけるなら、こちらはもう、どうでもよろしい。
ええ、貴方様は御二人を知らないとおっしゃった。それで十分なのです。もう私にできることはございません。はい。
意味など聞いても仕方ありますまい。
どうしてもと言うなら、お教えしましょう。
貴方様には、懺悔の機会がございました。
御二人に会い、ご自分の過ちを思い出し、それを心から悔いるならば、多少の救いはあったのでございます。
しかし、せっかくの機会をフイになさいました。
もったいのうございます。はい。
知らなかった、では済まされませぬ。
生前から悔いていたなら、死なせた御二人を知らぬ、などということは絶対に起こり得ませぬ。つまり、貴方様は人を死なせておきながら、ご自分の責任を感じてさえいなかった、ということでございます。
起こってしまったのだ、とおっしゃる。
事故は単なる過ちだ、と。
ええ、そうでございましょう。貴方様ならそうでございましょうとも。
これ以上は時間の無駄でございます。
はい? 懺悔ができなければどうなるか、と。
気になるので?
今さら。
ハハハ・・・。
ああ、これは確かに。言い出したのは私でございました。
はい。
では、最後まで説明いたしましょう。
貴方様は、二人の若い命を奪いました。その代償を払わねばなりませぬ。
よくお聞きなさいまし。
貴方様が奪った御二人の残り寿命は、合わせて百四十二年と三か月でございます。これだけの命を、奪い取ってしまわれたのです。はい。
それと同じ年月、貴方様は人柱として、事故の現場を見守るのでございます。
その間毎日、事故のあった十二時に、自分の起こした事故の記憶を、自分の身をもって経験するのでございます。被害者の痛み、苦しみ、悲しみも、余すところなく経験するのでございます。
これから百四十二年の間、とっくりと味わいなさいませ。
ご自分の車が暴走して、自らを轢き殺す様が毎日見られるなど、なかなかに粋でございまするな。
ハハハ・・・。
酷い、と?
なにをおっしゃいますことやら。自業自得でございます。
酷いというなら、貴方様の方がよほどに酷い。
どれだけの方々を不幸にしたことか、まだ自覚がないのですなあ。
言葉を尽くして説明したつもりでしたが・・・。
被害者とその家族が貴方様を恨むのは当然のこととして、今は貴方様の家族に、世間の矛先が向いておりますよ。暴走老人を放置した罪は重い、とね。
こう言ってはなんですが、路傍でただひたすらに見守るより、痛い思いをする分、退屈せずに済む、そう思いなされ。
年季が明けるまで、寝ることも、休むことも能いませぬ。飢えも寒さもございますが、死ぬことだけはありませぬ故、安心なさいませ。
お伝えすべきは、お伝えいたしました。
最後に、これを。
御手に取って、御覧くださいまし。
どうですかな?
ははあ・・・たいそう驚いていらっしゃる。
おう、おう・・・、貴方様のような方でさえ、涙を流されますか。
そうでございましょうなあ。そうでございましょうとも。
これは、貴方様が死なせた御二人の魂でございます。
残した家族を思う気持ち、幼い我が子を死なせた気持ち。いかがです?
もしも孫が殺されたら、と言われただけで私を殴ったほどの貴方様ですから、よくよくお分かりになったでしょう。
ようやく、後悔なさいましたか。
少し遅かったようですな。
でも、しないよりはマシでございます。はい。
おや、まだ何か?
事故は意図しない過ちである、と。
確かに、そうですな。
しかしながら、過ちに至る過程は、看過できないのでございますよ。貴方様の場合、殺人の一歩手前と言っても過言ではない、重度の過失。しかも、過ちを避ける機会は無数にございました。それを悉く、フイになさったのです。はい。
しかも、現世での償いさえ、何もしていないに等しい。
ネットで叩かれた?
それくらい、なんだと言うのです。
こちらで償うのは、当然と言えば当然。理にも適っておりまする。
いかが?
それにしても、なんでございますねえ。つくづく、こういう歳の取り方だけは、したくないものだと思いますでございます。
愚かな自分から目をそむけ続けたあげく、最後の最後に最悪の結果が待っているとは。
年寄りだけに、やり直しもきかず、救いもない。
見ているだけで、胸が苦しくなってまいります。はい。
孤独死する方が、百倍も千倍も幸せでございましょう。
まだ何か?
ははあ、生前に良い行いをしたと、そうおっしゃる。それもたくさん、そのうえ賞賛もされた、と。
それと、事故の罪を相殺しろ、と?
ハハハ・・・。
無理でございます。
ご家族でさえも、感謝の気持ちなど、もう残ってはおりませんでしょうなあ。貴方様のお陰で大変な迷惑をこうむっておられます。むしろ恨みさえ抱いているかと。
そもそも、貴方様はご自分のためにのみ、生きて来たのではございませんか。
地位、名誉、金。
貴方様が遺したものは、いずれも、こちらでは意味がありませぬ。魂の価値には、微塵も影響しないのでございます。
今さらですが、せめて心からの後悔があれば、情状酌量の余地はあったのです。
はい。返す返すも残念でございます。
精々、泣いてくださいまし。時間はたっぷりとございます故。
あ、そうそう。危うく名乗るのを忘れるところでございました。
私、死神と申します。
はい。
以後、お見知りおきを。
長らくお付き合いをいただきまして、ありがとうございました。
まだ何か?
なかなかに、しつこい御方ですなあ、貴方様は。
自分はどうなるのか、と?
どうもこうも、貴方様は、今から百四十二年分の贖罪をなさるのですよ。
先ほど説明をしたばかりですが・・・。
はい、もう引き返すことはできません。
ここで、物分かりの悪い貴方様向けに、特別サービスでございます。
念のために、もう少しだけ説明をいたしましょう。通常は、ここまで言う必要はないのですが、ものはついでと申しますから。
原状回復の原則というものがございまして、財産の損失や怪我でしたら、過失相殺も可能でした。
ですが、死なせてしまっては無理でございます。
死亡となれば原状回復はできません。お分かりですね?
その場合、奪った余命に相当する期間を償うのが、通常の裁決でして。
本件の被害者は、割と短時間でお亡くなりになっておられますから、その点は被害者と加害者、お互いにとって不幸中の幸いでございました。
死亡に際しての身体的、精神的苦痛が長引けば長引くほど、贖罪の内容は重く、苦しくなるのです。はい。
贖罪を終えたら?
気の早い方ですな。
まだ先のことですが、消えるのでございます。
はい。きれいさっぱりと。
魂もろとも、貴方様は消えまする。
いやだ、と申されましても、困りましたな。
あ、消えるというのは、少々語弊がございました。
訂正いたします。はい。
貴方様の場合、まあ、意図した殺人ではございませぬ故、輪廻に戻ることも有りと言えば有りでございます。しかし、あまりお勧めはいたしません。
輪廻をご存知ない?
これはこれは。貴方様の御年でそのような。呆れましたな。
まあ、よろしい。
輪廻とは、生まれ変わりのサイクル、とご理解くださいませ。
是非にも生まれ変わりたい、と?
これはまた、随分と早い御決断で。
また人に生まれ変わるのか、と?
いいえ。
懺悔も後悔もしない方に、人としての来世はございません。はい。
ミジンコか雑草でよければ、また生まれ変わることもございましょう。贖罪の後で気が変わらなければ、申し付けてくださいませ。
では、ごきげんよう。
ふと死神が足元に眼をやれば、レンズのひび割れた老眼鏡が落ちている。男の魂であった。
一度それを拾い上げた死神は、しげしげと眺めて、また元の場所に置いた。
回収は、当分先のことである。
ヨーコや、迎えに来てくれたのかね。
ありがとう。
おや、どうした。
何をすねているのかね。
置いて行ったのは、謝るよ。
代わりに、お前の好きなものを御馳走しよう。
何がいい?
ハンバーグかスパゲティ? それはまたハイカラな。
よし、よし。
今から行こう。
死神はヨーコの頭に手を乗せて、心の内で呟いた。
今日の出先には、お前と同い年の女の子がいてね。その子が母親と一緒のところを、お前が見ては辛かろうと思い、一人にさせてしまった。
連れて行くには忍びなかった。
済まないね。
夕闇の迫る交差点は、人と車で溢れかえっている。
その一角に、年老いた男が、ぽつねんと立ち尽くしていた。電柱の影に隠れて、男の表情は見えなかった。
誰も男には眼を向けない。これから先も、誰一人として目を向けることはないだろう。
贖罪の日々は、始まったばかりである。
果たして、彼が心から後悔する日が来るのかどうか、それは誰にも分からない。
死神は交差点に背を向け、八百万の神が集う繁華街へと向かった。
リヤカーを引いて、傍らのヨーコと仲睦まじく、手をつないで。
了
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