あの日の出来事(過去)
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それからアリアは綺麗になるために、ダイエットや全身の手入れに力を入れた。それだけでは足りない気がして、淑女教育も頑張って中身も磨いてきた。
それでも不安になるのはやっぱり乙女心のせいなのか。
「ねえ、お兄様、私おかしくない?」
そう言ってアリアは兄の前でくるくる回る。まだ十歳なので、少しでも大人っぽく見えるようにドレスは赤で、自慢の金髪をハーフアップにして完成。これでキースも少しは自分に興味を持ってくれるといいのに。
「はいはい、綺麗だよ」
抑揚がなく適当に答える兄に、アリアは頰を膨らませる。
「もう、お兄様ったら。今日はキースと出かけるのよ?おかしな格好で行ったら彼に恥をかかせちゃうでしょう?」
「お前は本当に、キース、キースとうるさいな。そんなに好きならキースのところに嫁に行けよ」
「なっ!……行けるものなら行きたいわよ……」
アリアはボソッと呟いた。アリアにだってわかっているのだ。キースにとって自分は友人の妹だと。それでも思うだけなら迷惑かけていないし、いいじゃないか。
「お前は……何でそれを本人に言わないんだ?」
「……だって言ったら迷惑かけちゃうもの」
「子どものくせに変なところで大人ぶるよな」
「子どもじゃなくて、立派なレディなの!」
「立派なレディは怒らないんじゃないか?」
ああ言えばこう言う。この兄は口から生まれてきたのか。
「もういい! そろそろキースが来るからお兄様の相手なんてしてられないの!」
「わかった、わかった。まあ、たまには二人で楽しんで来いよ。お邪魔虫は用事があるからな」
そう言ってひらひらと右手を振る。今日二人きりになれるのは、兄が遠慮してくれたからだとアリアは知っている。でも感謝はするが、適当にあしらわれている感じが気にくわない。
そこで馬のいななきがした。どうやら馬車が到着したようだ。
「あ、キースが来たみたいだから行って来るわね、お兄様」
「ああ、行って来い」
待たせたら悪いのでアリアは急いで玄関に向かった。彼は今日の格好を褒めてくれるだろうかと思うとアリアの頰は緩む。いつもは三人で遊んだり、出かけるので、こんな風に二人で出かけるのは初めてだった。
だから今日は街へ買い物に行くついでに色々見て歩きたいとお願いしたのだ。もちろん護衛の騎士が付いては来るが。
そうして玄関ホールに着くと、すでにキースは中に案内されていた。
「キース! 待たせてごめんなさい!」
「ああ、慌てなくていいぞ。時間ならいっぱいあるからな」
そう言ってキースは苦笑した。アリアの淑女らしさのかけらもない走り方に呆れたのかもしれない。そう思うとアリアは恥ずかしくなった。
あれからキースはもっと格好良くなった。それはアリアの欲目だけではないはずだ。背も伸びて、声もより低くなって、別人に見える。アリアはそんな彼に釣り合う女性に少しはなれているだろうかと彼に見惚れながら思った。
「ねえ、キース。今日のドレス似合ってる?」
「あ? ああ。いいんじゃないか?」
キースはどうでもよさそうに答える。女心がわからないのか、女扱いされてないのか。どちらにしても自分はまだまだなんだなとアリアは少し落ち込んだ。
「そんなことより、早く行くぞ!」
「あ、待ってよ、キース」
そうして二人で馬車に乗り込んだ。
◇
「着いたな」
そう言ってキースは街の一角で先に馬車を降りた。
「それじゃ、お手をどうぞ、お嬢様?」
「ありがとう、キース」
おどけてキースが手を出した上に手を重ねて、馬車を降りた。たとえ冗談だとしても、レディ扱いをされるのは嬉しい。
そして降りた先は活気に満ちた通りだった。軒に店を構えて呼び込みをする店員や、まけてくれと値段交渉をする客、それらの合間を馬車が行き交っている。
「うわあ……!」
「ここら辺は賑やかだからな。アリアはここに来るのは初めてか?」
「ううん。ただ、いつもは馬車で通りすぎるだけだったから、こんな風に歩くのはまた違うのね!」
アリアは嬉しそうにはしゃぐ。見るもの全てが目新しく感じるのだ。思わずきょろきょろと周囲を見回しながら歩く。
「おい。危ないから前を向いて歩け」
「うん。わかってはいるんだけど……」
そう言っていると、人にぶつかりそうになってキースに腕を引っ張られた。
「ありがとう」
「だから言っただろうが。この辺は人通りも多いし、スリがいるんだよ。だから気をつけて歩けって言ったつもりなんだが」
「……ごめんなさい」
「わかったならいいけどな」
そうして気をとりなおして並んで歩いていた時。どこかから聞こえてくる怒声に、アリアは周囲を見回し、気づいたアリアの顔から血の気が引いた。
「……危ないぞー! 逃げろー!」
暴走馬車だ。
興奮した馬がすごい勢いでこちらに向かって来ている。逃げようにも逃げられないくらいに間近に迫っていて、アリアは頭が真っ白になり動けなかった。そんなアリアの腕をキースがもどかしげに引っ張る。
「…っアリアっ! 避けろ!」
キースの腕に巻き込まれ、二人は馬車から離れて助かったように見えた。だが、馬の暴走についていけない荷台が、遠心力でひどく揺れていた。
キースの背中ごしに荷台がこちらに迫っていることに気づいたアリアは、自分が荷台に背を向けるように体を入れ替えた。
「キース、危ないっ!」
背中を向けたアリアの右腰から太腿にかけて衝撃があった。最初に焼けるような熱さがあったかと思うと、それが痛みだとわかるまでにそれほど時間はかからなかった。
そして右腰のあたりから、温かいものが流れる感触にアリアは身震いをした。恐らく血が流れているのだろう。
「うっ……」
「アリアっ! 大丈夫か、アリア!」
焦ったキースの声が聞こえるが、アリアには痛みで返事ができなかった。油汗を浮かべながら、キースが無事でよかったと、かろうじて口角を上げてみせた。
「おい、アリアっ! しっかりしろ! 死ぬな!」
悲痛なキースの声を遠くに感じながら、アリアはそのまま意識を失った。
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