ルーカスの本心
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「やったぞ、アリア!」
朝一番に兄がアリアの部屋に駆け込んできた。やっぱりノックがないことに、アリアは仕方ないと思いつつも注意をする。
「お兄様、ノックをしてください」
「ああ、悪かった。だけど今はそれどころじゃなくてな」
「お兄様はいつもそれね。もう、それで今度は何なの?」
注意したところでいつもそうやって言われるのだ。これからも直らないだろう。それなら話の続きを、と兄に促した。
「そうだった。メーベルト卿に勝ったぞ! これで終わりだ!」
「うそ……本当に……?」
「ああ、お前が婚約解消する必要はないし、事業の撤退も無しだ。やったぞ!」
現実味がなくて呆然としていたが、兄の喜色満面の笑顔を見ているうちに、じわりじわりと実感が湧いてきた。
「お兄様!」
「うわっ、何だよ!」
アリアは勢いよく兄に抱きついた。兄はしっかり抱きとめてくれ、幼かった頃のように、アリアの背を撫でてくれる。
「おいおい。抱き着く相手が違うんじゃないか? 一番の功労者はキースだぜ」
と言われて、アリアはさあっと青くなった。兄から体を離し、腕を掴みながら揺さぶる。
「お兄様、キースは無事なのよね?」
「当たり前だ。あいつは今、リーネルト卿の家でメーベルト卿と話をつけてるよ」
「よかった…」
安心すると力が抜けた。崩れ落ちそうになったアリアを兄が抱きとめる。
「よかったな、アリア」
「ええ、お兄様。本当にありがとう。お兄様のおかげよ」
「どういたしまして」
これで全て終わったと思いかけたアリアだが、婚約と聞いて思い出した。
ルーカスのことだ。
「忘れてたわ! ルーカスのこと!」
「急にどうした?」
「いえ、返事はまた今度でいいって言われてたから、すっかり忘れてたわ。婚約解消は無くなったって言わないと」
「別に急がなくても相手は逃げないんだ。慌てなくてもいいだろうが」
「そうはいかないわ。お茶会でのルーカスの態度で勘繰ってる人もいるし、私がキースとルーカスを二股かけてると思われているのは嫌なのよ。これからイェーガー子爵家に先触れを出して、行ってみるわ。私も頑張らないとね」
大きな問題が片付いたおかげで、アリアは気分がよかった。だからこそ、この時に判断を間違えてしまったのだーー
◇
ルーカスから訪問を許してもらい、アリアはイェーガー家へ向かった。応接室に案内され、待っているとルーカスが入ってきた。
「ようこそ、アリア。今日はいい返事が聞けるのかな?」
「ルーカス、突然の非礼をお詫びするわ。ごめんなさい。そのことなんだけど、色々あってキースとの婚約解消は無くなったの。だから今日はお断りにきたのよ。こういうのは早い方がお互いのためにいいと思って」
「……へえ、何で?」
ルーカスは意外そうに片眉を上げた。心なしか声も低くなっている。
アリアはルーカスの変化に戸惑いながらも答えた。
「メーベルト卿が諦めてくださったの」
「あのメーベルト卿が諦めるとは思えないんだけどね」
「そう言われても……」
メーベルト卿を脅したなんて言える訳がない。困ったアリアは本心を吐露した。
「……それに私はキースが好きで、彼じゃないと駄目なの。向こうはそう思ってないかもしれないけどね」
アリアがそう言って苦笑いをすると、ルーカスは俯いた。どうしたのかと首を傾げると、ルーカスは唸るように呟いた。
「……どうしていつもキースなんだ。キース、キース、キースってウンザリだ……」
「ルー、カ、ス?」
ルーカスの様子がおかしい。そう思ったアリアが戸惑いながら名前を呼ぶと、ルーカスは勢いよく顔を上げ、憤怒の表情でアリアを睨みつけた。
「何でキースばかり評価されるんだ! 運良く伯爵家に生まれたってだけで、何でも思い通りになる。彼女だってあいつのことばかりで僕を見てくれない……!」
「彼女……?」
話の脈絡がなく意味がわからないアリアがそう聞くと、ルーカスはアリアを睥睨した。
「君には関係ないよ。でも、そうだな……せめてあいつの大切な君を傷つけてやったら、あいつはどんな顔をするかな?」
暗い笑みを浮かべるルーカスに嫌な予感を覚えたアリアは、思わず後退りした。
「……ルーカス、何をするつもり……?」
「そうだなあ、キースに顔向けできないようなことかな」
それを聞いてアリアは咄嗟に扉へ向かう。男性と二人きりの時は扉を開け放しているので、そこから逃げようと思ったのだ。
だが、足の不自由なアリアよりもルーカスの方が動きが早かった。扉を閉められ、アリアは手を掴まれ、ソファに突き飛ばされた。
「きゃっ……」
そのままルーカスがのしかかってきて、アリアは自由になる両手と両足をばたばたさせて抵抗する。
「いやっ、やめて!」
「無駄だよ。右足もあまり動かすと痛むんだろう?」
「……っそれでも、何もしないより、マシだわ!」
アリアは右手でルーカスの目を狙う。咄嗟に右目をつぶり、その手をルーカスが抑えた隙に、アリアは左足でルーカスの胴を蹴った。そこそこヒールが高い靴だったせいか、ルーカスは痛みに悶えている。
「今だわ! 誰か、助けてー!」
叫びながら扉へ向かうが、今度は後ろから押され、前のめりに倒れてしまった。そこを馬乗りでルーカスに抑えられ、アリアは絶望した。
「お願い、やめて……」
恐怖と悲しみで涙が溢れてきた。
もう、ここまでなのか。そう諦めかけたアリアだったが、ばたばたと廊下を走る音が、だんだんと近づいてきた。
ばん、と勢いよく扉が開くと、頭上から声がした。
「この野郎!」
聞き覚えのある声に頭を上げると涙の向こうにキースが見えた。バキッと音がして、アリアの上から重さが消えた。キースがルーカスを殴ったのだ。
「大丈夫か?」
キースはそう言ってアリアを立たせてくれた。涙で顔はぐちゃぐちゃになっているし、服も髪も乱れてボロボロだ。それでもアリアは頷いた。
アリアの返事にほっとしたのか、キースはアリアの肩を抱き寄せた。アリアもこれがキースなのだと確かめたくてキースの肩に寄りかかった。しゃくり上げながらも、アリアはキースにお礼を言う。
「……っく、助けてくれて、……ふっ、あり、がとう」
「いや、間に合ってよかった。メーベルト卿に会ってからすぐにマクファーレン家に行ったんだ。そうしたらロイからアリアが一人でイェーガー家へ行ったって聞いて……」
キースはため息を漏らした。
アリアの前に影が差し、ふと顔を上げると、唇が切れたのか血を拭っているルーカスが立っていた。
「二人の世界に浸るのもいい加減にしてくれないかな?」
ルーカスの声に、アリアは先程までの恐怖が蘇ってきて、体の震えが止まらなくなった。そんなアリアを安心させようとしてか、アリアの肩を抱く腕に一層力が込もった。
「……どうしてこんなことをした」
キースが低い声で尋ねる。だが、答えるルーカスの声は明るい。
「アリアがキースを選ぶからだよ。折角僕が助けてあげようとしたのに。後はキースに対する嫌がらせかな」
「そんなくだらないことでアリアに酷いことをしようとしたのか。お前という奴は……!」
キースの声には怒気がこもっている。
だが、アリアにはそうは思えなかった。キースのおかげで大分落ち着いたアリアは、ルーカスに聞いた。
「……ねえ、彼女って誰のこと?」
「さあ、何のことだか?」
ルーカスはしらを切るが、関係はあるはずだ。そう思ったアリアは更に追及する。
「とぼけないで。キースがいるから彼女は自分を見てくれないって言ってたじゃない。それはもちろん私じゃないわよね」
「……まいったな。君は鈍いからわからないと思ったんだけどね。ああ、そうだ。君じゃないよ……僕はずっとエミリア様が好きだったんだ……」
「「えっ?」」
思いがけない告白に、二人の声は揃った。
「……僕が彼女と会ったのは、彼女の十一歳の誕生日に開かれた誕生日会だった」
「あれ、それって……」
「そうだよ。キースがエミリア様の婚約者候補として引き合わされたやつさ。キースは僕と騎士団で初めて会ったと思ってたみたいだけど、実はそれが最初だよ。僕のことは全く眼中になかったみたいだけどね」
自嘲気味に呟くルーカスに、キースは気まずそうに目を逸らした。
「僕はそこでエミリア様を好きになった。始まりは一目惚れだったけど、彼女の真っ直ぐなところを知ってもっと好きになったんだ。だけど彼女は最初からキースしか見てなかった。それにメーベルト卿は、格下の僕はエミリア様の相手として見てくれなかったし。だから諦めようと思ってたんだ。アリアに会うまでは」
「どうして私なの?」
エミリアを諦めることと、アリアに何の関係があるのかと、アリアは不思議に思った。
「アリアとキースが相思相愛だったからだよ」
「ちょっ……何言って……!」
慌てふためくアリアと真っ赤になって固まるキースは、お互いに顔を見合わせて、視線を逸らした。
話が逸れそうだったのを、キースが咳払いをしてから戻した。
「それが何の関係があるんだ?」
「エミリア様はキースを諦めるしかないから、僕を婚約者候補として見てくれる機会が巡ってきたと思ったんだ。でも、メーベルト卿は諦めてなんかいなかった。アリアとキースを力で引き離そうとした。僕は絶望したよ。そしてキース、君をもっと許せなくなった」
「俺はお前に何もしてないと思うんだが」
キースは不満気に言った。ルーカスはそれに頷いた。
「確かに君は何もしてないさ。でも、伯爵家の生まれってだけで、僕が欲しかったものを簡単に奪っていくんだ。そんなのずるいよ……だから僕はキースへの嫌がらせのつもりでアリアに求婚したんだ」
ルーカスのあまりにも身勝手な理由にアリアは腹が立った。
だが、それ以上にキースは怒っていたようだ。キースは唸るようにルーカスに問うた。
「……勝手なことを言うな。お前は手に入れるために努力したのか?」
「……君に何がわかるんだ? 元々持っている君に。僕がどんなに努力しようと格下ではメーベルト卿に認めてもらえない。僕と君が一緒にいても、エミリア様は君しか見ていない。努力しようがないだろう?」
「甘えるな」
言い訳ばかりのルーカスに、キースはピシャリと言った。よっぽど腹に据えかねたようで、目が据わっている。アリアは黙って成り行きを見守った。
「俺はアリアとの婚約を解消したくなかったから、死ぬ気で頑張った。それでようやくメーベルトに手を引かせたぞ」
「どうせカルヴァレストの力でも使ったんだろう?」
「いいや、今回は自分で切り抜けろと見捨てられたぞ。しかもお前は男爵位で俺は準男爵で、俺の方が身分的に下だ。それがどういうことかわかるか?」
「……」
ルーカスは悔しそうに唇を噛み締め、俯いた。ルーカスもわかっているだろうに、キースは事実を突きつけた。
「結局お前は俺を妬んで、言い訳ばかりで動かなかっただけだろ。俺は動いた結果、こうして守ることができた。人を羨む暇があれば、足掻けばよかったんだ」
「……っ、くそっ」
ルーカスの握り込まれた拳は震えていた。アリアはどうしていいかわからず、オロオロとルーカスとキースを交互に見た。
「アリア、行くぞ」
「でもルーカスが……」
キースはアリアの肩を抱いたまま、部屋を出ようとした。
だが、ルーカスを放っておいていいものだろうかとアリアは歩きながら振り返る。
「放っておけ。優しくするのはあいつのためにならない」
「……そうかもしれないけど」
「あいつのことはもういい。それよりロイが心配してる。さっさと帰るぞ」
「ええ、わかったわ……」
アリアは後ろ髪引かれる思いで、キースと一緒にイェーガー家を後にした。
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