キースの決心(キースSIDE)
今回は「アリアの決心」より前にキースに起こったことです。
主人公がアリアなので、時系列的には反対ですが、敢えてこうしました。
それではよろしくお願いします。
キースは苛立たしげに力強く踏みしめながら、石造りの廊下を歩いていた。それもこれも、先程父からアリアとのことで話があると呼び出しをくらったからだ。
その様子からいいことではないと察したキースは、仕方なく書斎へ向かった。
◇
書斎に入るなり父に告げられた言葉に、キースは激昂した。
「婚約解消ってどういうことですか!」
「その通りだが。正直に言って、お前とアリア嬢との間には、政略的に何の利点もない。なのに何故アリア嬢と婚約しているのか、それならうちの娘の方がいいだろうと、メーベルト伯爵家から申し出があった」
「その話は以前にお断りしたはずです。今更どうして蒸し返すんですか!」
「それはお前がよくわかってるんじゃないか?」
そう言われてキースは考えた。思い当たることはあるが。
「……俺が叙爵するからですか」
「まあ、それも一つの要因だろうな。入り婿だから爵位なしでも構わないだろうが、伯爵家の息子で戦功で叙爵した有望な騎士なら箔がつく」
「そんなの俺は望んでない!」
どうしてどいつもこいつも権力に弱いのか。自分の手に余るものなどない方がいいに決まってる。
憤りにキースは拳を握りしめた。
だが、人というのは一度でもいい思いをすれば、それにしがみつきたくなるのだろう。キース自身が、そうやって力に溺れて破滅していく貴族たちを何人も見てきた。
「お前が望もうが望むまいが関係ない。それが政略というものだからな。だが、それだけではなさそうだぞ。あちらのお嬢さんがお前にご執心なのはわかってるんだろう?」
「……ああ、いい迷惑だ。前は彼女を困った人くらいにしか思わなかったが、今は心の底から軽蔑します。人の気持ちを権力でねじ伏せるようなことをするとは思わなかった!」
「言っておくが、それはお前の自業自得だろう。今回のことは、お前の優柔不断な態度が招いたようにしか見えん。もうメーベルトは動いているぞ。マクファーレンに脅しをかけて、身を引くように迫ったらしいからな」
どうしてこうも先手を打たれているのかと、キースは歯噛みしたくなった。
「……確かに俺が引き起こした事態です。それなら、うちが動けばいいじゃないですか」
カルヴァレスト伯爵家とメーベルト伯爵家は同じ伯爵家とはいえ、王の信頼が厚いカルヴァレスト伯爵家の方が上だ。
だが、キースの提案は父に厳しい声で一蹴された。
「甘えるな。これはお前の問題だろうが。成人前なら手助けすることも考えたが、お前はもう叙爵間近の一貴族だ。落とし前くらい自分でつけろ。
それにこれはあくまでも政略であって個人的な感情は必要ない」
「それならエミリア様はどうなんですか。あの人の個人的な感情に振り回されているのに、それでも関係ないと?
それに、アリアはどうなるんですか! あいつはただでさえハンデを背負っているのに、デビュー間近で婚約解消なんてされたら行き場がない」
「どうしてお前がそれを気にする。彼女だって貴族の端くれだ。そんなことくらいわかっているだろう。まあ、最悪、修道院送りといったところが妥当な線だろうな」
「……っ、そんなの……!」
修道院になど入ってしまっては、男のキースには会う手立てが無くなってしまうではないか。
アリアが自分の側からいなくなる。そんなこと許せるはずがない。
「……そんなのは駄目だ。俺はアリアに守るって約束したんだ」
「お前もまだ青いな。貴族が、惚れた腫れたで済む訳がないとまだ気づかないのか?」
「惚れた……って、誰が、誰に?」
「呆れたな。自分でわからなかったのか。お前がアリア嬢にだろう。だからといってどうすることもできないだろうがな」
父の声が遠くに聞こえる。
全てが今、繋がった。
戦場で死ぬかもしれないと思った時にアリアの顔が浮かんだのも、一緒にいられなくなるかもしれないと焦ったのも、全てアリアが好きだったからだ。
あまりにも近くに居過ぎて気づかなかった。
これがキースの初恋なのだと。
じわじわと恥ずかしさが沸き起こってきて、叫びたくなった。成人した男が何てザマだろうか。真っ赤になっただろう顔を、キースは右手の掌で隠した。
こんな顔は父には見られたくない。
「悔しければ自分で何とかしてみろ。お前ももう子どもじゃないし、立派な爵位持ちだ。お前が今回のことをなんとかできれば、一貴族としてお前を認め、これから先、お前やマクファーレン家の力になると約束しよう。だから今回は静観させてもらう」
「わかりました。父上、その言葉お忘れなきように」
そうと決まればやることは一つ。婚約を解消させないように動くだけだ。
こんな時に頼れる親友の顔を思い浮かべて、キースはニヤリと笑った。
◇
キースは早速ロイを呼び出した。ロイもおそらく事情を知っているのだろう。すぐに応じてくれ、屋敷に来てくれた。
そのまま自室へ入ると、キースは切り出した。
「ロイ、俺はエミリア様と婚約する気はない。でもこのままだと、避けられそうにないんだ。お前だったらどうする?」
「そうだな……それなら向こうから断るように仕向ければいいんじゃないか?」
「そうか! でも、どうやって……」
ロイの言葉に一瞬目を輝かせたが、その手段が思いつかずキースは顎に手を当てて考え込む。そこでロイが助け舟を出してくれた。
「俺は生まれながらの貴族だから、思いつくのは思いつくが、お前は嫌がるだろうな」
「何でもいいから、言ってみてくれ。聞いてから考える」
「まあ、それなら。俺だったら、相手の弱みを握って脅すとか、相手を失脚させるとか……最悪、アリアとの間に既成事実を作るとか、かな」
涼しい顔をして言うロイにキースはドン引きだ。
「お前、そんな奴だったか……?」
「俺は善人ではないが、悪人でもないぞ。考えはしても実行はしてないだろうが」
「俺はとんでもない奴と友人だったのか……」
「俺だって好きでこうなった訳じゃないさ。貴族社会で生き残るためには、変わらざるを得なかった。だから、キース。お前のその真っ直ぐなところは羨ましいが、妬ましいよ」
そう言ってロイは寂しそうに笑った。
ロイはずっと子爵家を継ぐために生きてきたのだ。領地や領民のために、綺麗事だけでは生きていけないと悟ったのだろう。
「……悪かった。だが、今はお前が頼りなんだ。アリアを守るために力を貸してくれ」
「ふーん、アリアを守るためねえ」
ロイは意味有り気に呟く。
「ようやくアリアが好きだって認めたんだな」
「なっ!お前、もしかして気づいてたのか?」
「気づかない方がどうかしてるよ……」
ロイは呆れているようだ。
キースは恥ずかしくなって、わざとらしく咳払いをした。
「まあ、そういうことだから、さっきのアリアと既成事実を作るってのは無しな。アリアが俺を好きになってくれるまで待ちたいんだ。傷つけたくないからな」
「……そっちには気づいてないのか。やっぱり鈍いな」
「? なんのことだ?」
「いいや、こっちの話。ああ、そうだ。言っとくが、お前がアリアを好きなことは知られない方がいい。エミリア様はもちろん、アリアにもだ。あいつはすぐ顔に出るから、エミリア様に悟られるとまずい。
もしバレたら、エミリア様がアリアに何をするかわからない。そこまで愚かではないと思いたいが、あの方のお前への執着を考えるとないとは言い切れないんだよなあ。
何であんなにお前がいいのか。俺でなくてよかったと喜ぶべきか……」
「最後の言葉は引っかかるが、まあいい。そうだな……残る手は、脅すか、失脚させるかだったか。メーベルト伯爵家が失脚するのは、勢力図が変わってしまうからまずいな。そう考えたら弱みを握って諦めさせるのが一番か」
キースは冷静に分析した。それをロイは意外そうに見ていた。
「お前、そういう駆け引き嫌いじゃなかったか? 結構平気そうに見えるな」
ロイの言葉にキースは苦虫を噛み潰したような顔になる。
「平気な訳がないだろうが。でもこうしないと大切なものが守れないんだ。俺は覚悟を決めないといけない」
一度でも貴族の汚い手口を使ってしまったら、そのまま落ちていくのではないかと怖かった。だからこそ、貴族社会から遠ざかりたくて騎士にもなった。
それでもやっぱり自分は貴族なのだとキースは受け入れなければいけないのだ。
覚悟を決めても不安はある。
だが、キースはアリアがいてくれる限り、その闇に取り込まれないという確信があった。
あくまでも目的と手段は違うのだ。
大切な人を思い浮かべながら、これからどう動くかを夜遅くまでロイと話し合っていた。
ありがとうございました。




