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あいおい橋にて(本日の引きつぎ・夏)

作者: 雨昇千晴

安らかに眠って下さい

(みえるものも みえぬものも)


 広島の夏は、光でまっしろ。

 オーブンみたいに、熱が空気にこもります。

 外にいるだけであぶられる、こんな季節は、ひんやり冷えた路面電車が大人気。

 ただし、氷をはこぶ新米さんは汗だくです。みんなの知ってるちいさな氷じゃなくて、おとなががんばって抱えるような、おおきな氷をたらいにいれてはこんでいます。

「よっ、こいせっ!」

 どん、と氷いりのたらいをおいたのは、いつもの電車のゆかの上。みんなが歩いてささくれだった木のゆかに、散ったしずくがしみこみます。

「はい、ご苦労さま」

 そういったのは、白髪まじりの先輩さん。新米さんにいろいろなことを引きつぐために、この先輩がいるのです。

「それじゃあ、あと六つがんばろうか」

「ええぇ~~」


 さて、新米さんたちのすむ街では、六つの川にたくさんの橋がかかっています。

 そのなかでもいちばんかわっているのが、トのかたちをしたあいおい橋です。

 屋根のない橋のうえ、大勢の見えないかたがたが、かげろうを起こすほどおどっています。

「この辺りでとめるんだ」

「ほんとうに橋のまんなかですね」

 電車をとめた線路から、川をはさんですぐ目の前。

 背のたかいビルを背景に、灼き飛ばされた広島産業奨励館が見えます。

「意外とビルのそばにありますよね」

「そりゃあ、街の中だからね」

 氷をはこびながら新米さんがいうのに、先輩さんはそう返します。

「あの公園だって、もとは、大勢がすんでた町だった」


 大勢のヒトが住む場所には、大勢の"ヒトならぬもの"がすむものです。

 かまどのすみで。外灯のかげで。あるいは、家族や道具として大事にされて。

 もしかしたらヒトよりも、ヒトでないほうが、たくさんたくさんいたのかもしれません。

 まっしろにひかる、広島の夏。

 昔から、晴れの日のおおいこの街で。

 千の暴風と、万の熱線が、影すらのこさず灼きはらった日があるのです。

 からだのすみずみを壊していく、黒い雨をふらせた日があるのです。

 ヒトが、ヒトだけの都合で──けものも、花も、目に見えぬものも──あまねくものを、ころしつくしたことが。


 トのかたちをしたあいおい橋で、見えないかたがたは激しくおどります。

 たたいて、鳴らして、ふりあげて、その熱でほんとうの姿が見えそうなほど。

 その間をとおりぬけながら、新米さんは先輩さんのいうとおり、橋のあちこちに七つの氷をはこびます。

 ちゃぷ ちゃぷ

 ちゃぷ ちゃぷ

 みるみるとけて、たらいのなかでゆれる水は、とっても冷たくて涼しそう。

 一方の新米さんは、白いシャツも緑のぼうしも、汗みずくになっています。

 電車にもどるたびに、こおらせた麦茶をのんでいるのですが、それでもまにあわないほど暑くて、熱くて。

「あっ」

 おどるかたがたのなかから、ちいさな姿がこぼれ落ちます。新米さんは、とっさにそれをうけとめました。

 あぶるほどの熱のせいでしょうか、うすいうすい羽がしおれていて、よごれたみたいに茶色くなっています。

「熱中症かな……」

 あいてる手で氷水をすくって、頭らしきところを近づけてみました。

 かそり、と動いたちいさなかたは、からだと同じくらいちいさなおとで水をのむと、またおどりへともどっていきました。


「どうして、あんなにおどりつづけるんでしょう」

 帰り道、涼しい路面電車を運転しながら、新米さんはたずねます。

「私の先達は、耐えきれないからだ、と言っていた」

「たえきれない」

 オーブンみたいにあぶられる、夏の熱気の中であるくより耐えられないものを、新米さんは想像もできません。

「あのかたがたのほとんどは、私たちよりもずっと長く生きるからね。そして、長く生きれば生きるほどに、焼きついたことは古びてくれなくなっていく」

 それは、おとなになるほど、一日が早くかんじるのと同じことです。

 昨日とにたようないつもの朝に、一瞬で、影すらのこさず灼き飛ばされた街。

 そこにいたものは、みな、もとのかたちをわからなくされました。

 死体の皮をふんで生きのびたのに、その先でからだがおかしくなりました。

 だれかを探しにきただけで、病気になることも、死んでしまうこともありました。

 ヒトはヒトのことに手いっぱいで、けもののことも、花のことも、名のない見えないかたがたのことも、思うことすらできません。

 ただ、見えないかたがたも、自分たちがひとしく、壊されたことだけはわかったのです。

「もちろんひどいことは他にもたくさんあるし、ヒトが起こしてきた悪事も数えきれない。ただ……あのかたがたにとっては、一〇〇年は昨日にもならないから」

 熱いアスファルトのうえ、別の見えないかたがたの、激しくおどる姿がありました。

 まっしろな光のなか、木かげもない熱のしたで、全身めちゃくちゃにおどらせずにいられないほどの、耐えきれなさ。

「私たちには、水を絶やさないことくらいしかできないんだ」

 先輩さんがしずかにつげた、それが八月最初の引きつぎでした。

1945年8月9日、再び広電が走った記念に。

同日に、長崎の殺戮をヒトが起こしたこと、ただただ、つらいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほんわりとした温かみのある文章ですね。語り口と言えばいいんでしょうか。それがとても綺麗で、あの出来事を全部ふわりと包んでしまって、その中から少しだけ哀しいものが滲んでくるようなお話だなぁと…
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