最期の時まで君を
「いい加減諦めたらどうです?」
「嫌」
僕の目の前の少女は、俯きながら公園を徘徊する。その後ろをついて回っている僕は、このご時世、通報されても無理はないだろう。黒のスーツ、黒の髪、黒の靴、黒のネクタイ。葬式帰りのような男が少女の後ろをついて回っているのだから。
少女は小さな袋を手に、時折しゃがみこむ。小さなそれを嬉しそうに拾い上げては袋の中へと入れていく。
どこかで爆発音がした。昨日は誰かの悲鳴だった。一昨日は衝突音だった。三日前は誰かの嬌声だった。四日前は、なんだったか。少なくとも、昼下がりの住宅地で容易に響き渡ってはいけない言葉だったと思う。
明日、宇宙人がこの地球に攻め入ってくるらしい。そう知ったのは一週間前のテレビのニュース。キャスターが困惑と恐怖を貼り付けた顔でリポートし、地球はもう終わりなのです! とわぁわぁ机に突っ伏して泣いたのだった。正直言って、ドン引きだ。
「死神さんは、知ってましたか」
「いいえ、初耳ですね」
そのときは、少女と一緒に昼食を摂っていたのだった。外食するよりも安く二人分を調理するのは容易い。長年の低賃金死神生活において自炊スキルはもはや必須といえた。茄子と玉ねぎと人参の肉味噌と、白米を食べながら、少女と二人して突如突きつけられた現実をなんとか飲み込もうとしていた。
上司に問い合わせようと携帯の番号を叩く勢いでプッシュしても、返ってきたのは、コノ番号ハ現在使ワレテオリマン。帰ろうにも、少女の母親の魂を看取っていない状態では帰れない。こんな状態で宇宙人が攻め込んだらどうなるのだろうか。案外普通に、看取る相手が宇宙人に変わるだけなのかもしれない。
「死神さん、お母さんはあと何日ですか」
「一週間ですね」
病院の大部屋のベッドで、彼女の母親は静かに横たわっている。病名には興味がない。僕は僕の仕事を行う日付だけを重要視する。うっかり少女にその存在を認識されようとも、ただ仕事を遂行するだけだ。
「宇宙人は、五日だそうです」
「そうですね」
「お母さんは、宇宙人の攻撃のなか生き残れますか?」
「さあ」
「さあ……」
「地球のことしか知りませんので、宇宙人が来た場合の運命なんて知りません」
「困る」
いやにハッキリと言われたことを覚えている。沈痛した面持ちの少女が、こうもきっぱりと言い切れるのかと驚いた記憶がある。
「お母さんが殺されるのダメ。痛いのダメ」
「知りませんよ。最期がどうだなんて」
「でも、地球の原因なら、眠ったようにって」
「宇宙人は管轄外です」
かんかつ、と呟く。どうやら小学生には難しい言葉だったらしい。宇宙人のことは僕は一切知らないんですよ、と訂正してやる。そっか、と少女は一応意味を理解したようだ。
「じゃあ、戦わないと」
本当に、この少女は理解したのだろうか。
あれから人間は自暴自棄になったようで、もうこの世界は終わるのだ、と嘆き好き勝手やるようになってしまった。強盗殺人強姦解剖、欲望露出の性癖オンパレードである。自殺者は赤丸急上昇である。回収係の死神はとうとうシャベルでは事足らず、ダンプカーを持ってくるまでになってしまった。
人間に寄り添い、最期を看取るなんて、と面倒臭い仕事だと同僚は揃いも揃って笑ったけれど、こうなるとこの部署でよかったと思うのだ。プリンも美味しいことだし。
「食べ終わったら、お母さんのところに行く」
「そうですか」
では、と一足先に食べ終わって、食器を片付け始める。彼女が食べ終わるまで、もう少し時間がある。
宇宙人が来たとしても、平和的解決が見込めるかもしれない! もちろんそんな声も上がっていた。そしてそんな声は地球人に一蹴されるまでもなかった。平和を掲げて、ハローと挨拶しに行った平和主義団体様は赤色噴水マシーンへと仕立て上げられてしまったのだ。これでは声も出せまい。
一方で、切実に声を出したいのに出せない人間もいた。それが少女の母親であった。病室のベッドに横たわり、力なく笑っている。呼吸を補助する機械に繋げられ、わずかに表情をかたどる筋肉を動かすことができる程度だ。
彼女は幸運であった。医者が匙を投げて家族を選ぶ病院も多いなか、治療まではいかずとも痛みを抑える投薬ぐらいはしてくれる病院であったからだ。患者はみな納得してくれた。反抗する者もいたが、病院で苦しみながら死ぬ患者の声をニュースで聞いてからは静かになった。
「お母さん」
彼女は薄い笑みしか浮かべられない。
重い病であった。死はすぐそこまで迫っている。今のままだと、静かに死を迎えるはずだ。
少女と出会ったのも、ここであった。彼女は、母親にべったりであったため、彼女に正体をバラさなければそばにいられぬと判断したためだ。
少女は気丈にも現実を受け止めた。……受け止めたと思い込んでいる。葬式のあとには、決壊するかもしれないが。そして彼女は懸命に美しい最期を飾れるように努力し始めた。
そんなところに宇宙人である。ちょっとばかし運がないように思える。
学校もとうになくなった。彼女は日々の出来事や、過去の思い出を語る。
けれど彼女は、ポケットに入れた袋については言及しない。
帰り道でも、公園に寄った。
夕日が沈み、街灯がつくなか、少女は黙々と地面を見つめて、探し物をする。暗いため、なかなか目当てのものは見つからない。
夜は更けていくが、僕には彼女を止める権限などないため、黙って見守り続ける。よからぬ輩がこっちを見たが、僕がいるのを見てそそくさと去っていった。
いつもなら適当なところで帰ると言うのだが、今日はずいぶんと長く頑張る。夕食も食べてすぐに公園に逆戻りだ。熱心に探し続けている。
「あ」
と、嬉しそうにしゃがみこむと、小さな薄橙色を拾い上げた。BB弾。少女はBB弾を嬉しそうに袋のなかに入れ込んだ。
もう夜も更けて、小学生が公園にいるような時間ではない。
「今、何時?」
「もうすぐ日付が変わりますよ」
「そっか」
上の空へと視線を向ける。雲の隙間から光が溢れる。飛行機も飛ばなくなったこの現状、この光はなんだろうか。
まさか、これが。
少女が生唾を飲んで、背負っていたBB弾の銃に、袋の中身を入れた。たぁん、と一発、空撃ちをして具合を確かめる。
少女は、サイケデリックな光とともに現れた巨大浮遊物をまっすぐ見つめる。僕は眩しさに目を細めるが、少女はそんなこともしようとはしない。
「諦めないんですか」
「嫌」
圧倒的な力量と物量を目の前にして、彼女は引こうとはしない。
「戦わないと」
エアガンを片手に少女は立ち上がる。
小さな背中が、大きくなる瞬間を見た。
Twitterのタグ.#フォロワーさんの好きな要素を詰め込んだ小説を書く、ということで、「主要人物に黒スーツの男」「主要人物が絶望的な環境にめげないで立ち向かう」を入れた作品になります.