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ペンキくん

「……をください」


道で倒れていた男の人に慌てて駆けつけると、男はガラガラな声でそう呟いた。最初の部分が聞き取れず、もう一度なんて言ったか聞こうとしたその時


私の唇と男の唇が触れた。それはほんの一瞬の出来事で、私は理解できず頭の中で整理しようと試みるがそのまえにまず考えることができず、どうしようかとあたふたしていると、さっきまでぐったりとしていた男はもう大丈夫だと言うように猫みたいな伸びをしている。伸びを終えた男はポケットから小さいブラシを出すと綺麗な赤髪を撫でるように梳いた。ブラシを再びポケットの中にしまうと私の目をみてにっこりと笑った。


「助けてくれてありがとうございます。あなたは、たくさんの人から愛されているんですね」

男はそう言うと何事もなく去ってしまった。私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。


人生で一番恐怖を感じた出来事だと思う。


それは二年前のこと。あの時のことはできればもう、思い出したくなかった。





現在



「緊張する……お兄ちゃん、私大丈夫かな」


私、夏風蛍(なつかぜ ほたる)は今日、最高に緊張しています。なぜなら、待ちに待った草早学園(そうそう がくえん)の入学式だからです。

草早学園とは、中等部、高等部とエスカレーター式の学校で、制服はセーラー服で、学年で違うネクタイの色と模様で可愛かったり、頭のいい優等生が集められる学園です。普通は中等部から入学するのですが、中学でレベルの高い学習をすれば高等部からの入学も許可されていて、私はこの学園の入学式のために寝る間も惜しみ、日々勉強して中学生活を過ごしてきました。


「ああ……制服、よく似合っているよ、蛍。これでやっと一緒に寮で暮らせるね」

「うん、ありがとうお兄ちゃん、これからよろしくね」

「もちろんだよ。もう絶対離れないからな」

「お兄ちゃん、おおげさ」


二つ上の兄、夕凪(ゆうなぎ)兄さんは二年前に草早学園に入学しました。しかし、驚いたことに兄さんはその学園が寮制とは知らず入ってしまい、家に一人私が取り残されてしまったのです。父もいるのですが、父はごくまれに帰ってくるだけで、ほぼ毎日と言えるほど一人で二年間過ごしていました。しかし、それも今日で終わりです。


「賑やかな毎日になりますように」

指を組んでお祈りするように私は言う。

「それじゃ、行こうか」

「うん!」

大きな荷物を持ち、深呼吸してから玄関の扉を開ける。すると暖かく心地よい風が緊張で火照った身体を冷ましてくれる。

「何か良いことありそう」

そう呟いて私は駅へと足を向ける。





実家から電車二時間バス20分、乗り物酔いでふらふらしながらも草早学園前に着いた。学園前にいるのは新入生達だろうか、落ち着かない様子で門が開くのを待っている。

「お兄ちゃん……」

少し不安を感じて兄に視線を向けると兄は私の気持ちを察したのか、私の肩にそっと手を置いて、微笑みかけてくれた。

「大丈夫、蛍が思ってるよりもいい学園だから」

「うん、ありがとう」

私が兄にそう一言お礼を言うと、金属と地面を擦る不快な音をさせながら門がゆっくりと開いた。



入学式が終わり、人が少なくなった体育館で私は寮のことを聞くために兄を待っていた。しかし、いつまでたっても兄が来る様子はなく、広い体育館で唯一ある無駄に大きい円形のデジタル時計に目をむけると、私は驚き声をあげた。

「!え、どうしよう、二時間も待ってたなんて……」

仕方ない、寮のことは先生に聞こう。そう考えた私は体育館を出て、学園内の地図を開き、職員室を探した。しかし、地図の見方がわからず、くるくると地図を回転させながら現在地がどこかを確かめる。

「えーと……」

その時、地図を見ながら歩いていたのが悪かったのか、目の前に人がいることに寸前まで気付かず、避けようと考えた時にはもう遅かった。

「わあっ」

真正面からぶつかってしまい、相手の方は短く悲鳴を上げると尻餅をついたのか「痛いっ」と、また声を上げた。

「っ!ご、ごめんなさい」

私は開いていた地図を小さく折りたたみ、制服の内ポケットの中に入れ、ぶつかった相手に謝る。相手の方は立ち上がれないのか、動こうとせず、手を差し延べようと近づいたその時、私は二年前の男を思い出し、今ぶつかった相手と重ねる。


──似てる

「あれ?」

先ほどまで動こうとしなかった男は目を見開いてこちらをみている。男はゆっくりと立ち上がり、顔を近付けて私の顔をみる。

──やっぱり、似てる

「ねえ、君」

──声も少し

「もしかして」

──この人は私のことを知っている?

「二年前の」

──思い出したくない

「……人違いですよ」

そう言って私はこの場から逃げようと体育館へ向かおうとするが、男に腕を捕まれ、引かれる。文句を言おうと男の顔をみた瞬間、唇に違和感があった。

……目の前に男の顔、二年前と同じ光景。

「うん、同じ味だ。やっぱり二年前『助けて』くれた子だ」

二年前と再び同じ恐怖を味わった私は、言いたいことと共に、色んな感情と、涙が溢れてきた。

「へ!?あれ!?僕何かしましたか!?」

溢れてきた涙は一つ、また一つとこぼれ落ち、止まる気配はなかった。

「何してるんだ」

ふと、声が聞こえた方を向くが、視界が霞み、顔はわからなかったが、声は兄が本気で怒るときの声に似ていた。

「お兄ちゃん……?」

涙を拭き、もう一度声の聞こえた方を向くと、不気味なくらい無表情の兄が立っていた。

「へ?お兄さん?何をそんなに怒って……あ、まさか……待ってください!勘違いです!話を……」

辺りにゴン、という鈍い音が響き、男は数メートル先に吹っ飛んだ。兄は吹っ飛んだ男のところへ行き、拳を振り上げる。さすがにまずいと思い、兄の元へ駆け寄り、止める。すると、男は立ち上がり、頭を下げて兄と私にお願いをした。

「……話を聞いてください」

男は無傷だった。




「僕の身体は愛で出来ています。僕は愛がなければ生きていけません。愛を食べないとだめなんです」

男が真顔でそう言うと、兄は意味がわからない、と苦笑した。

「愛をもらうためには、その……言いにくいんですけど、キス、しか方法がないんです」

私は二年前のことを思い出し、納得していた。確かに、今にも死にそうな顔をしていたと思う。しかし、キスした途端、彼は魔法でもかけられたかのように元気になっていた。しかし、愛、と言われてもいまいちピンと来なかった。愛、と言うと私がこの人を愛している、ということになってしまうのだろうか。

「私はあなたを愛していません」

「え!?」

思い切ってそう言うと、男は驚いた顔をした後、笑い出した。しかし兄が拳を振り上げた瞬間、男は笑うのをやめ、説明を始めた。

「僕が食べるのは愛されて育ってきた人がもらった愛情だよ」

「愛されて……?」

彼が言う『愛』は『家族愛』も含まれるのだろうか、今まで優しくしてくれた兄を思い出し、少し照れた。

「今まで食べてきた中で君の愛は一番おいしい。愛がまさかこんなに美味しいものとはね」

男は眼を輝かせて愛の美味しさを語る。しかし、愛を食べない私にとっては、愛の味なんて興味がなく、次の質問を考えた。

「あの……本当に愛を食べる方法ってキスしかないんですか?」

「うん。それ以外方法ないんだよね……探してるんだけどさ……君を傷つけちゃったみたいだね。ごめんね」

そう言った後にがくりと肩を落とした男はため息を吐いた。それからしばらく沈黙が続き、兄が質問を思い付いたのか、口を開いた。

「もし……もし食べられる愛がなくなったらどうなるんだ?」

「……溶ける」

「と、とける……」

兄は理解が出来なかったのか、男の答えを復唱した。

「溶けて、壁とか地面と一体化する。まあ、一体化したとしても、僕が溶けた跡はピンク色になって残っちゃうけどね」

男は言い終えると、わかってくれたかな、と少し困ったような笑顔で聞いてきた。

私は、話を聞いて驚愕しかできなかった。愛がなければとけて、乾いてしまう。まるで、人間なのに、人間のようなのに……

「まるで、ペンキみたい」

私がそう言うと男は吹き出した後、納得したように言った。

「ペンキ?確かに……そうかも」

愛がなければ乾いてしまう。方法はキスしかない、しかしその方法は人を傷つけてしまう。

──助けることは出来ないだろうか

しかし、キスはもう二度としたくない。他の方法を一緒に探せないだろうか。

「貴方のことを誤解していました……ごめんなさい」

「いいよ気にしなくて!それにさ、ネクタイの色と模様、一緒ってことは同い年なんでしょ?敬語やめようよ」

「そうですね……そうだよね、じゃあ、よろしくね、ペンキくん」

「ペ、ペンキくん?」

私があだ名を考え、呼んでみると不思議そうに首をかしげた。

「うん。ペンキみたいだから、ペンキくん」

「僕にはちゃんと淡雪柳(あわゆき やなぎ)っていう名前があるんだからそっちで呼んでよ」

あだ名が気に入らなかったのか、やっと本名を言ってくれた。しかし、呼びにくい。

「呼びにくいからペンキくん」

「ゆっきー、とか、やなやな、でもいいんだよ?」

今思いついたばかりなのか、簡単なあだ名ばかりだ。

「嫌。ダサい」

「だっ……!?」

ショックをうけた、ということはがんばって考えたあだ名なのだろうか?ダサいは言い過ぎたかな、と思い謝ろうとすると

「じゃ、俺のこともよろしくな、ペンキくん」

兄もわざとらしく不敵な笑みを浮かべてペンキくんの気に入らないあだ名で呼んだ。

「だから!僕の名前は……!」

名前の呼び方ごときで怒ったペンキくんをみて、私と兄は冗談だ、と言いながら笑った。ペンキくんは納得がいかなかったのか、口を尖らせて文句をぶつぶつ言っている。

「ペンキくん、協力するよ。あなたがとけない方法、探す」

そう言うとペンキくんはしばらく驚いた表情をみせた後、口角を上げ、手を差しのべ、握手を求めてきた。

「大変かもしれないけど、よろしく」

私は差し伸べられた手を握り、役に立てるかわからないけど、と言いながら微笑んだ。


忙しくて楽しい日々になるかもしれない。そんな期待を抱いて、また明日ペンキくんと会う約束をした。

心地よい風が吹き、揺れる髪を片手で抑える。

「蛍、楽しくなりそうで良かったな」

「……うん」

兄は手を差しのべ、私はゆっくりと兄の手を握る。兄に手を引かれながら寮へ向かう。寮の大きさに驚いて腰を抜かしたのは言うまでもない。

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