こわいひとにはこわいかも、こわくないひとにはこわくないやん、な実体験
読経
これは、私が就職して数年たった頃の話。
『足音』事件の後。
私は、ベッドの位置を変えた。
そんなことでどうこうなるわけもないのだが、当時の私は大真面目であった。
ベッドを南向き全面にある窓辺にぴたりとつけ、西枕で眠るようになった。
窓からは、家の前の道路を挟んで建つ家がはっきりと見える。
ここの家は多少複雑な家庭だったのだが、だからこそなのか、家人のひとりであるお婆さんは、朝と晩と、一日二回の読経を欠かしたことがなかった。
腰がくっきりと90度に折曲っているため、身長が130センチほどしかない小柄なお婆さんだったが、その体の何処からと思われる張りのある声で、お経を読み上げる。
暑くなってくると窓を開けるため、その声は此方のまで一言一句まるごと届く。
朝6時と夕方6時の二回の読経が聴こえてくると、夏が来たなあと思い、涼しくなってぴたりと止む虫の音のように聴こえなくなると、秋が来たなあと家族で笑いあったものだった。
元気なお婆さんだったが、寄る年波には勝てず、ある時を境に病を得て病院に入院し、そのままずっとそこで過ごされる事になった。(今と違い、入院規制などが違っていた)
暑くなって窓を開けても、お婆さんの読経が聞こえてくることはない。
それは何だか、不思議な感覚で戸惑うくらいだった。
しかしそれも、仕事に忙しさと何よりも面白さに囚われて、思うこともなくなってきた。
そんなある日のこと。
私は、耳元で、大音量で唱えられる読経によって、貪っていた安眠を破られた。
慌てて飛び起きるが、窓はしまっているし、そもそもそんな時期ではない。
時計を見ると、5時を少しだけ過ぎたところを針は示していた。
ため息をついて、二度寝しようと布団を被りかけた時、ふと、窓の外の、例のお婆さんの家に、ぞくぞくと人が集結しているのが見えた。
なんだろう?
と不思議に思いつつも、そのまま横になって、二度寝する。
そしていつものように6時半に起きて、会社に出勤した。
帰ってきた私を待ち構えていたかのように、母にとっつかまる。
「ねえ、前のお婆さん、亡くなったらしいよ」
私は、今朝の読経を即座に思い出した。
「いつ亡くなったの?」
「今朝方、病院でね、まあ年も年だったし、大往生だけどね」
「ふうん、で、何時頃なくなったの?」
「今朝方といっても、夜中の2時前だったから、ギリギリで今夜お通やは出しちゃうみたいよ」
「へえ…」
私はちょっと、ほっとした。
読経が聞こえた時間帯が、亡くなられた時間だとか言われたら、目も当てられない。
胸をなでおろしている私に、母は無邪気にこう続けた。
「家に帰ってみえたのは、今朝の5時くらいだったって」
あの読経は、一体、何を告げたかったのだろうか……。