遥か昔のこと
ちょっとだけ残酷な描写があります。
Rはつかない程度だとは思います。
タンタンタン
寒い寒い冬の夜。
扉をたたく小さな音。
うとうととベッドの中でまどろんでいた女の人が目を開ける。
「ママン」
「なあに?」
扉を開けて入って来たのは小さな男の子と女の子。
同じ年の小さな二人はベッドの中のママンのもとに駆け寄って、
「さむいさむい」
「いっしょに寝よう」
ママンは呆れ顔にたっぷり慈愛をまぶして子供たちをベッドの中に入れる。
「ママン。ママン」
「お話して」
ねだる子供たちにママンは微笑む。
「何のお話がいいかしら?遠い南の海の八本足の生き物と海賊のはなし?遠い東の砂漠の夢物語、それとも西の森の獣たちのお伽噺?」
「北の山の花のはなし!!」
女の子がいう。
「あかいあかい椿のはなしがいい」
ママンは困った顔で微笑んだ。
「それは、とおい、とおい昔のこと」
北の雪が一年中降り積もる山には魔女がいた。
魔女は大きな力を持っていて、不老不死の命持っていた。
もとは西の立派なお屋敷に住んでいたこともある魔女だが、不老不死の力と大きな力を欲しがった貴族や不老不死の命求めた王さまに追われて、東に逃げた。
東でもお金持ちの商人や老いが怖い女王様に追いかけられて南に逃げた。
南では老いない魔女を怖がった司祭や民達にいぢめられて、とうとう北に逃げた。
「人間なんて、大嫌い」
北の山に逃げ込んだ魔女はすっかり人が嫌いになっていて、大きな力を使って、自分が住む山に雪を永遠に降らせる魔法をかけた。
一年中雪の降る山。
ふもとの民は怖がって、誰も入って来ない。
雪が降り積もる山の中、魔女は何年も何年もひとりで暮らしていました。
雪降る夜には暖炉の前で丸まって眠り、星降る夜には温かい飲み物と毛布でくるまって星を見て、太陽が顔を出す日には洗濯物を干したり、保存食を作ったり……。
何年も何年も。
たったひとりで暮らしていました。
そんなある日、山に傷ついた獣がやって来ました。
「まぁ、大きな狼ね」
白い雪の上に赤い花のような血を流しながら苦しんでいる獣をみて魔女は目を丸くする。
どう見てもこのお山に住んでいる獣ではなかったからだ。
「このまま放っておいたら、死ぬわねぇ?」
魔女はあっけらかんに告げながら、獣を覗き込む。
そのとたん、銀色の体の大きな狼は目を開いた。
金色の大きなお月さまのような瞳。
魔女は獣を助けました。
大きな傷は魔法で癒し、小さな傷には薬を塗って布を巻く。
温かい部屋の中に狼を入れてあげました。
それから、魔女と狼は一緒に暮らしました。
朝は一緒に食事をとり、昼になると一緒に薪を拾い、夜には一緒に眠りました。
ひとりぼっちでなくなった魔女は、毎日が楽しかったのです。
寒い日には狼の体に寄り添って眠りました。
狼はくすぐったがりながらも、魔女を嫌がりません。
温かな日には狼の体に跨って山を自在に駆けました。
狼は強い体で魔女を害そうとする獣を蹴散らしました。
二人は山の中、楽しく暮らしていました。
ゆっくりと、氷が溶けていくように、魔女の中の哀しみと人々に対する怒りが消えてゆく。
魔女は幸せだったのです。
なので、すっかり忘れていました。
自分と狼が暮らす山を覆う雪は、自分の悲しみの魔力で生まれているという事を。
狼と魔女が暮らし始めてから二年。
山を覆う雪は徐々に少なくなってゆきました。
雪が少なくなった途端、山のふもとの民達が山に入ってくるようになりました。
そんなある日、狼がふもとの民に見つかってしまいました。
美しい銀の毛並みに大きな体。
見た事のない狼は魔女の使い魔と呼ばれるようになりました。
魔女と彼女に従う大きな狼への恐怖、
不老不死の力をもつという魔女と美しい毛並みをもつ狼への欲望。
二つの感情に駆られた民達は山の中に入って来ました。
魔女と狼は逃げようとしました。
しかし、民達が仕掛けた狐獲りの罠に魔女がかかってしまいました。
雪の上、狼の毛皮の上に落ちた魔女の血は赤い花の様で……。
それに怒った狼は山に入って来た人々に襲いかかりました。
逃げまどう人達の中、民達の中にいた騎士の刃が狼の胸に突き刺さりました。
魔女が落とした血の上に狼の血が降りかかり、花はいっそう色を濃くし、まるで香るよう。
民達の歓声に魔女の慟哭が重なる。
その声が魔女の深い嘆きが山を震わせた。
雪津波が全てを飲み込んだ後、魔女と狼は二人で暮らしていた小さな山小屋の前で寄り添っていました。
「心優しき魔女。お前は人の中で生きろ。いとしい魔女よ。お前の幸せを私は望む」
「いいえ、狼さん。あなたがいなければ、わたしは幸せにはなれないのです。わたしの幸せを願うなら、どうか共にいて。わたしをもう一人にしないで。狼さん」
深い魔女の悲しみと狼の願い。
二人の体が冷たくなる頃、魔女の涙と血がひとつの魔法を生みだしました。
二人の流した血とその跡が美しい深紅の椿に変わりました。
その椿は雪の降る季節の中でも、一番寒くて雪の多い季節に燃えるように赤い花をつけるようになりました。
お話を終えたママンは子供たちの寝顔を見下ろしながら微笑みました。
お話の途中で子供たちは眠ってしまっていたのです。
子供たちの銀色の髪を撫で、ベッドから起き上がって窓辺に飾った椿の花にそっと口づけます。
「おやすみなさい。愛しい人」