夢のあと現のとき
9話目です。
・・・ではどうぞ。
お互い荒い息で倒れ込んでいる。
呼吸が整ってきた頃、手の甲で美晴の頬に触れた。
汗で湿り、幾すじかの髪が張り付いている。
美晴の手が上から被さる。
顔を見て微笑むと、笑みを返してくれた。
「大人の女になった感想はどうだ?」
しかし、返事はなく沈黙が続く。
この質問はまだ不味かったかと不安になり始めた頃に、
「まとまらない。」
そう返答があった。
「そっか、」
ホッとして、そう口からもれた。
「・・・本当、何か色々あってよく分かんない。」
「うん。」
美晴の手を握ると、彼女も握り返してくれた。
「でも、」
「ん?」
「芳彰で良かった。」
まったく、嬉しい事を言ってくれる。
「俺も、お前の始めてが俺で良かった。」
お互いにシャワーを浴び、リビングに移った。
美晴はソファに沈み込み、俺は台所でコーヒーを淹れている。
するとふいに、美晴が質問を浴びせてきた。
それは予想もつかないもので、俺は怯んだ。
「芳彰は、三途の川を何人背負って渡るの?」
顔が見えないので、どういうつもりで聞いているのかわからないが、
ただ質問の意味は分かる。
つまり、処女は何人目だ? ・・・と、そういう意味だ。
平安時代、女性は死後あの世に旅立つ際に、初めての男に背負われて
三途の川を渡ると言われていた。宗教的な意味合いだけでなく、
男女の駆け引きにも使われていたらしい。
とりあえず、様子を見るために質問で返す。
「・・・いつの時代の話だ、それは?」
すると美晴は嬉しそうに笑い、
「やっぱり、芳彰好きだ。」
と言う。
初めてはっきりと『好きだ』と言ってくれたのだが、素直に喜べない。
「・・・そりゃどうも。」
さっぱり判断の基準が分からない。
冷や汗の出そうな事を聞いておきながら、答えはどうでもいいらしい。
本当に、変なやつだ。
階段を上がる足は気だるく、一歩ごとに違和感を覚えるが、顔は自然とにやける。
二日間頭を占めていた問題は消え、心が軽い。
これでいつもの自分に戻れるという事と、自分で思っていたよりも、
もっと芳彰が好きだったという事に気づいて、軽いどころか弾んでいる。
・・・が、玄関の前で足を止める。
きっとこのままでは怪しまれる。妹にバレてしまうのは望ましい事ではない。
いや、絶対に嫌だ。
深呼吸を何度か繰り返し、心の中で平常心と何度も唱える。
最後に大きく息を吐き、力が抜けたところで扉を開けた。
「ただいま。」
と、普通に言えたはずだ。
「あ、おかえり。」
リビングから妹が返す。何事も無く普段通りだ。そう安心しかけた矢先、
「よしあきさんとこ行ってたんだねー。」
心臓が止まるかと思った。
「・・・何で?」
動揺を押し隠しながら問うと、
「何となく、いつも行ってるから。でも当たったみたいだねー。」
と、可笑しそうに笑っている。
先日から、和歌奈はやたらと私に絡んでくる。
今までと違って攻撃的な物言いでだ。
「和歌奈どしたの? 最近変だよ?」
「別に・・・おねぇちゃんもここの所おかしいよ?」
まぁ、否定は出来ない。挙動不審だったし、今の頭の中言えない事だらけだ。
妹は見ていたテレビを消して立ち上がり、こちらに向かって来る。
そして、すれ違いざま、
「お風呂入ったの? 匂い違うよ。」
あからさまに不機嫌な声でそう残し、自室に消えた。
真っ直ぐ立ち昇る煙が、途中でくゆり消えて行く。
それをただただじっと見つめる。
ここに来るといつもそうだ。
この石の下の白い壷の中にあなたの一部がいる。
そう事実としては理解しているけれど、ずっと側にいて欲しかった。
正直な所、変な気分だ。
両の手を合わせて、あちらでの幸せをようやく願えるようになったものの、
いなくなって寂しいのは、今も変わらない。
病院に不備があったわけではない。むしろ手を尽くして頂いた。
だから、とても感謝している。
ただ、そこで彼がいなくなってしまったというだけの事だ。
しかし、あの場所が私にとって、鬼門のような場所になったのも事実だ。
あれ以来、あの病院に行くのを避けてきた。
この気持ちは、いつか美晴の足を引っ張る事になるかもしれない。
それは親として、あってはならない事だと思う。
こう考えている事自体がどうなのだろう?
緑だった線香は随分と白くなり果て、時間の経過を示していた。
「芳彰は、三途の川を何人背負って渡るの?」
これがやりたかった。
言われたらドキッとするんでしょうね、
妹バレもドキドキでしょうね、