動き始めた時間
4話目です。
・・・ではどうぞ。
「おねぇちゃーん、ごはん。」
呼んでも出て来ないし、返事もないから、部屋に入ってみたら、
「また寝てるし。」
仕方が無いから先に食べようと、部屋から出ようとしたら。
「芳彰のバカ・・・」
そうはっきりと声がした。
「は?」
あのおねぇちゃんが、寝言で男の名前?
少し待ってみたが、寝返りをうつだけでその先は続きそうにない。
部屋から急いで出て、ダイニングに戻る。
「お母さん、お母さん大変なの!!」
「どしたの和歌奈? 美晴は?」
「寝てた。でね、寝言で男の名前が出たの。」
「そう。」
お母さんは優しく笑っただけで、先に食べようと言って取り合ってくれない。
「『よしあきのバカ』って言ったんだよ?」
「いいんじゃない? やっと自分の事に興味持ってくれたんなら。」
母はよく分からない事を言う。
「えー、からかわないの?」
これが楽しみだったってのに、やらないっていうの!?
歯痒く思っていると、
「今はまだよ、そんなのは後からいくらでもできるわ。」
と心強く、そして敵には絶対回したくない事を言った。
「美晴?」
部屋に入ると娘はベッドに転がっていた。まだ起きる気配は無さそうだ。
大きくなったわね、本当に。
ベッドに腰掛けて娘を見やる。
廊下から差し込む明かりに照らされた娘の体は、私の背を僅かに抜き、
女らしい曲線を描いている。が、心の方はどうだろうか?
そこが少し心配だった。
父親を早くに亡くし、家計のために仕事の量を増やした私のその穴を埋めようと、
代わりに進んで家事をやり、また良い姉たろうと頑張っている。
私はついつい美晴の優しさに甘えてしまっているが、無理をさせているのではと
常々思っていた。
だから今回の事で少しホッとした。
好きな人ができて、人の事ばかりでなくちゃんと自分の事も考えてくれるように
なってくれれば、親としては嬉しい。
相手も、美晴が選んだのなら大丈夫だろう。
・・・そう思っていた。
だが、その彼は私にとっては予想外の人物だった。
一体どこに接点があったのか。
娘の選んだ人があの病院の息子らしいと知った時、私の心に細波が立った。
きちんと整理をつけたつもりでいたのに・・・。
ひょっとしてこれまでの5年間は、
ただ忙しさで誤魔化してきただけだったのではないか?
そういう考えが頭を過ぎった。
・・・いえ、それは違うと思いたい。
頭を軽く振って溜息を落とす。
規則正しく上下する体をそっと撫でる。大きくなっても寝ている姿は、
小さい頃と変わらない。横向きで少し丸くなり布団を握っている。
昔からそうだった。
夫に大きくなった娘を見せてあげたいような、
でも好きな人ができたのはショックだろうからやめた方がいいかしら?
「・・・母さん?」
物思いに浸っていると、娘の声がした。
「あら、起こしちゃった? ご飯どうする?」
「ん、食べる。」
そう答えたものの、しばらく待っても向きを変えただけで起き上がらない。
「美晴?」
「ねえ、母さん。」
「なあに?」
寝起きの美晴は普段と違う。今は何を言い出すのだろうか?
「母さんにとって、父さんってどんな人?」
直球が投げつけられたようで、一瞬言葉に詰まる。
「そ、そうね、大好きで、大事な人ね。」
「うん。」
美晴は相槌を打って、起き上がった。
「私ね、男の人の事知らないんだなって思ったんだ。別に興味無かったし、
マスターや文紘さんは友達だから、そんな目で見た事無いし・・・。」
やはり、そんな目で見る相手ができたという事だろう。
そんな娘の成長が、素直に嬉しい。
「そう、確かに違うわね。違うからこそ惹かれるし、知りたいと思うのかもよ?」
「知りたい?」
「美晴は知りたいと思わない?」
真っ直ぐ美晴を見て聞いた。
「知りたいと思う・・・。」
薄暗いのが残念なほど、かわいらしい顔をしている。
「うん、美晴が認めた人なら、きっと大丈夫よ。」
「えっ?」
「変に怖がる事じゃないわ。」
そう笑って言ってやった。
「母さん?」
「さ、ご飯食べちゃいなさい。」
妹と母親の悩める日々の始まりです。