迷える子羊と一条の光
15話目です。
・・・ではどうぞ。
「芳彰?」
弁当をテーブルに置いて見回す。
あれ、いない・・・はずは無いよな、鍵は開いてたし靴もあった。
とりあえず、リビングから見える場所には居ない。
風呂やトイレでも無さそうだし、後は寝室か?
・・・あの場所は行きにくい。何というか・・・恥ずかしい。
だけど・・・思い切って寝室の扉を開けると、
ベッドに突っ伏している彼の姿があった。
「芳彰、寝てんの?」
声に反応したのか、少し動いた。
返事は無いが寝ているわけでは無いらしい。
「髪跳ねてるぞ?」
そこを触ろうとして手を伸ばすと、掴まれて引っぱり込まれた。
「んあっ!?」
そのまま抱きつかれて身動きが取れない。
背中から抱え込まれているので、窺い見る事もできない。
まだこういうの照れるんだけどな・・・。
頭に血が上って、顔が熱くなってきた。
「ぁえっと・・・私は抱き枕なのか?」
ずっと黙っていた彼が、
「・・・うん、俺専用の抱き枕。」
そう頷いてぼそりと呟く。
・・・どこか様子がおかしい。
ただ縋る様に私に抱きついている。
「・・・何かあったの?」
そう問うが、しばらくは呼吸の音しかしなかった。
「母親が来た。」
ようやく聞こえた声は、どこか感情の抜け落ちたものだった。
母親、彼曰くここに逃げてきた原因の相手か。
「そっか、それで?」
芳彰しだいだ。
私がどうするべきかは、それを聞いてからだ。
「芳彰はどうした?」
「・・・今までの事、何か・・・口から出た。言いたかった事とか、色々・・・。」
一言一言噛み締めるように、ゆっくりと。
言葉を紡ぐ度に腕の力が少しずつ強まり、少し痛いがそれは後の話だ。
「そっか、言えたんだ。偉い偉い。」
子供をあやす様に言って、手の届く腕をゆっくりと撫でてやった。
優しさ故か、弱さ故か、向き合う事を躊躇していた彼が、
ようやく一歩を踏み出した。
「美晴?」
「何?」
恐る恐る彼は言う。
「・・・言って良かったのかなぁ?」
心細そうな彼に、自信満々に返した。
「もちろん。言わなきゃいけなかったんだよ。」
これで納得できるかどうかは分からないけれど、私はそう思う。
「・・・そっか、」
そう答えて腕の力が緩んだ。
止められていた血が一気に流れ、手が痺れてきた。
・・・とりあえずこれで大丈夫かな?
母親に反抗する自分と、母親が大好きで気遣っていた自分。
そのバランスが取れなくて動けなくなっていたんだろうな、
でっかいくせに可愛いじゃないか。
「お母さん何て言ってた?」
好奇心でそう聞いてみた。痺れた腕の分くらいは返してもらうよ?
「・・・もっと早く言えってさ、」
そりゃそうだ。
笑いたくてたまらないのだが、今笑うと絶対気を悪くするだろうから、
「私も同感だ。」
その一言だけで止めといた。
「いらっしゃい弘美ちゃん、今日は早いね。」
入口のベルの余韻とマスターの声が重なる。
「とりあえずいつものコーヒーお願いします。
あと話を聞いてくれると嬉しいんだけど、いい?」
「もちろん。」
笑顔で承諾してくれた。
「というわけだから文紘、後はよろしくな。」
レコードを吟味して選んでいた青年が苦笑いで承諾した。
朝一の2時間、事前に仕事の予定は空けておいた。
考え過ぎて仕事に身が入らない・・・駄目ねまったく。
一人で考えていても出口が見えなかった。
だから今日はマスターに縋りに来た、そう昔みたいに。
私はいつものカウンター席ではなく窓際の席を選び、店内を眺めた。
ここから見ると、見慣れた店内もまた違って見える事に少し驚いた。
冬にピアノを入れて、配置が変わった事もあるけれど、
私・・・私達はずっとカウンターに座ってばかりだった。
いつもの場所で、いつものように皆で語らった。・・・いつもだ。
そしてそこから一つ欠け、また新しいいつもになっていった。
居心地の良い空間に慣れ、変わる事をを恐れ、
違う見方ができなくなっているのかもしれない。
文紘くんは適当に選んだ一枚をプレイヤーにかけて、カウンターの奥に戻って行く。
・・・彼はここに、いくつかの新たな変化を持ち込んだ。
ジャズではなく、名前は知らないけど聞き覚えのあるクラシックの曲が流れ始めた。
ぼんやり考えていると、マスターがコーヒーを2つ運んできた。
そのまま正面の椅子に座り、テーブルの上で腕を組んだ。
「弘美ちゃん、何かあったのかい?」
マスターはいつも優しい。その優しさにいつも癒されそして安心する。
私と主人は、それに甘えて学生時代から色々とお世話になっている。
もちろん結婚する前からの付き合いだ。
「私ね、実くんの事・・・ちゃんとけじめつけてたつもりだったのに、
実はそうでもなくて参っちゃった・・・」
「そうなのかい? 君達は仲良かったからなぁ、」
「・・・うん、今でも大好き。」
マスターは優しく頷く。
「もう、どのくらいになるのかな?」
「5年になります。」
コーヒーから湯気が上がる。何だか煙みたいね・・・
「そうか・・・時間が過ぎるのは早いな。」
そう言って、感慨深げに黙り込んでしまった。
深呼吸を一度して、少し気分を切り替えた。
ぬるま湯のような感慨に浸っていても、何も解決しない。
私には変化が必要なのだ。
「まったくよ、美晴に彼氏ができるくらいだもの。」
「へ~、ちゃんと年頃の娘だったんだね。」
マスターは美晴が聞いたら怒りそうな事を言ったが、その顔は優しく、
まるで自分の事のように嬉しそうに笑った。
美晴は産まれて間もない頃から、ここの常連だ。
私達がここに顔を出すのに必ず連れて来ていたのだから当然だ。
歩くようになり、話すようになり、憎まれ口を叩くようになり・・・
その美晴の成長をマスターはずっと見てきた。もう、孫みたいなものよね。
と、実は勝手に思っている。
「それがね、宮原医院の末っ子君だったの・・・それで私、動揺しちゃって・・・。
やっと自分の事に目を向けてくれたようで、嬉しいんだけど、
でも、どこか素直に喜べない自分がいて・・・駄目だなって、
相手が悪い人なら堂々と反対したっていいんだろうけど、評判もいいし、
私もちっちゃい頃を少し知ってるし・・・私の気持ちだけなのよね、本当。」
隠す事なくそのまま話した。
昔、写真館に勤めていた頃、毎年家族で記念写真を撮りに来てくれた。
可愛らしい、やんちゃな子で、写真館の中をあれこれ見て回っては、
母親に叱られていた。
「縁があったんだね、」
目を細めて言ったマスターの言葉は、とても以外だった。
「縁?」
「そう、縁。確か宮原さんとこのがいくらか上だったろう?
高校も違うしな、それでも逢ったんだ。
確かに、実くんが世話になったとこだから少し複雑かもしれんが、
でも・・・何かの巡り会わせかもしれないよ?
あるいは、実くんが取り持ってくれたとかな。」
悪戯っぽくウインクをして、コーヒーを口に運んだ。
・・・私は、そんな風に考えた事は無かった。
娘の相手を選ぶ父親がいるかしら?
でも、変なのに捕まるよりは・・・って事もあるかもしれないわね、
それにしても、マスターも詳しいわね末っ子君の事・・・。
言った方も精神的なダメージ負ってます。
お母さんの決心。
ここが一番出てこなかった。
最初は旦那さんが死んだ事を、実は受け入れてない設定だったのですが、
それは無理でした。
もし自分がこの状況なら(ごめん旦那)
受け入れられない。先には進めない。
これが結論でしたので・・・
どうにもならず、少し軽くして逃げました。