【眠り姫異聞】たった一つのキスが
かぼちゃパンツ王子様を串刺しにするいばらになっちゃった女子高生の幻想譚です。
陽射しが織りなす模様が、ゆらめいている。
手の甲に紺の制服に、ゆらゆらと。
イバラが絡みあう隙間から、きらきらと舞う木漏れ日。
まだ夢を見ているんだと思った。
色とりどりの薔薇が咲き乱れる庭園とヨーロッパの古城、そんな絵ハガキにして売り出したくなる光景が目の前に広がっていたから。
でも、世話するひとがいないのか荒れている。イバラが強靱な生命力を発揮してあちこちにはびこっている。何百万円もしそうな最高級の石材である大理石の噴水にも、ロマンティックな中世のお城にも、イバラが浸食し覆いつくす勢いだ。
グリム童話『いばら姫』のイバラの森みたい。
私はふらふらと薔薇の小径を歩きだした。
なんて静かなんだろう。
イバラが空高く伸びてうっそうと茂っているのに葉がこすれる潮騒に似た音がしないし、噴水があるのに水の音がしない。
噴水の水は、吹き上がった状態で凍結していたからだ。
ダッシュして近寄ったのに飛び立たないハトの群れ、アヒルもガーガー鳴きながらキュートなお尻をふりふり追いかけてこない。ネズミの隣で猫が丸くなっている。馬は馬屋で、ブタやヒツジやニワトリは家畜小屋で。みんな眠っていた。
花に止まった蝶々も蜜蜂も。硝子細工めいた羽根は静止したまま。
イバラだけがゆっくりと伸びていく。長い長い年月をかけて。眠りについている城を揺りかごのように優しく包みながら。
私の周りにはいつも音があった。電車が突風とともに通りぬける音、踏切の鳴る音、車のクラクション、学校のチャイム、スマホが鳴る音、人の声、そんな雑多なざわめき。
ここでは気にも留めずに日常で聞いていた音の一切が聞こえない。
木漏れ日が踊る、しんと静まりかえった庭園。時おり聞こえるのは、イバラの森をよぎっていく小鳥の澄んだ歌声。
世界は傷一つなく美しくて、安らぎに満ちていた。
ああ、やっぱり、これは夢だ。だって、現実は傷だらけで、安らぎに満ちた楽園じゃないから。
夢が壊れることを恐れて、音をたてないように歩いていく。
城の中に侵入しても、誰にも呼び止められなかった。そばを通り過ぎても、兵士も召使いも眠りこけていてぴくりとも動かない。
台所ではかまどの火が赤い氷のように固まっていて、ぐるぐる回されていた焼き串も止まっていた。
大広間は宴会の最中だった。
上座の一段高くなったところにあるテーブルには、金の冠と豪華な衣装を身につけている王様と王妃様、両端に置かれた長テーブルには家来たち。たくさんの人が集まって食事をしているのに、海の底にいるみたいに静かだった。
転がった杯、白いテーブルクロスにひろがる葡萄色の染み。楽器を演奏している格好で固まっている楽師たち、宙に浮かんだまま静止している軽業師。テーブルの下で、転がっているパンに見向きもせずに寝ている犬。
給仕が巨大なパイに切れ目を入れ、召使いが二人掛かりで砂糖菓子の城を運んでいた。すでに運ばれた贅沢な料理が並んでいる。リンゴ、ブドウ、オレンジ、イチゴ、イチジク、みずみずしい果物が盛られた皿。肉汁がしみこんだパンを皿代わりにして、こんがり焼けたベーコン、とろけている分厚いチーズがのっている。ふっくら焼きたて白パンとアーモンド・ケーキ、木イチゴと薔薇の花びらがうかんだプリンっぽいデザート。
ブタの頭やイノシシを丸ごと焼いたのを大皿にどーんと出すダイナミックさに痺れる。クジャクやハクチョウの姿焼きなんかもある。羽根をむしってローストした後で、ふたたび美しい羽根で覆われている。どれも美味しそうだ。
よだれが出てきた。一口食べてみようとしたら、手がすりぬけてしまった。透明になってしまったみたいに何も掴めないのだ。
そうか、私は幽霊なんだ。幽霊になって魔法の城をさまよっている。そう思うと、なんだか月明かりの廃墟を吹きぬけていく風になった気がした。
城の中をあちこち歩き回っているうちに、イバラが食い込む黒ずんだ古い石の塔に足を踏み入れていた。
らせん階段をぐるぐるのぼり、屋根裏の薄暗い小部屋にたどりつく。
小さい窓から淡い陽光が射し込んでいる。部屋には埃がつもった糸車と古ぼけたベッドがあるだけ。
ベッドにひろがる月の光を紡いだようなプラチナブロンドの髪、雪のように白い肌、みずみずしい桜色の唇は蕾がほころんでいるよう。閉ざされたまぶたに睫毛は増量しなくてもびっしりとはえていて綺麗にカールしているのがうらやましい。
手から転がり落ちた紡錘。華奢な指に滲んだ赤いしずく。
眠り姫だ。
なにもかもが小学生だった頃に読んだグリム童話の通り。
眠っている少女の安らかな顔を見ていたら、目覚めることが本当にハッピーエンドなんだろうかと思えてきた。
起こさないで、と思っているかもしれないのに。
私だったら、ずっと眠っていたい。
目覚めるのが怖い。
だって、私は……。
高校三年生なのに、まだ進路を決めていない。
大学に入学するために勉強しようという気にならないし(そんなに行きたいわけじゃないから)、そうかといって就職して働くのも不安だった。
私みたいなボケーとした鈍くさいヤツが社会人としてやっていけるんだろうか。
結婚だって幸せな夢を見られない。だって、結婚しても夫の給料だけではやっていけなくて共稼ぎだろうし、なのに家事育児のほとんどを女の仕事だと押しつけられて、夫のため子どものため自分の時間を犠牲にして我慢の人生。ゾッとする。
若者には未来があるっていうけど、進学も就職も結婚もできなさそうな私には、平均寿命の八十歳ぐらいまで生きると想像するだけで真っ暗闇のどん底に落ちた気分。
ああ、嫌だ。もう考えたくない。ここにそんな将来の不安でドン詰まりの気持ちを持ち込みたくない。
眠りの森の城は秘密の花園。否応なく変化しなくてはいけない現実と違って何一つ変わることがない、完全無欠の世界。一人きりで満ち足りていられる場所。
でも、私にはわかっていた。眠り姫が目覚めたとき、この夢が終わることが。
だから、私は、願う。
「イバラよ、眠り姫の眠りを守れ。侵入しようとする者をその鋭い棘で突き刺せ!」
はじめて出した声は、沈黙の分厚い壁に吸い込まれてしまった。
それでもたしかに、この声は眠り姫に届いたはず。
滲んだ血が眠り姫の夢にしたたり落ちるように。
そう連想したとたん、私は血の滴になっていた。
ぽとん、ぽとん、と血がしたたる。暗い血に染まった糸を手に取り、眠り姫は夢を織る。
私の幽霊の体は高く高く天を目指してゆっくりと伸びていき、石に食い込んで覆いつくしていくことを夢想している、城を包みこむイバラの森になっていた。
根から吸い上げた水が隅々までみなぎり、樹液の甘い香りで私は満たされている。
時々、高くさえずる小鳥の歌が聞こえる。朝露が滴る音、葉に当たって弾ける雨音。小鳥と水が奏でる音楽に全身をゆだねて、私はまどろむ。
なのに、そのイバラの心地よさを壊すヤツらがいる。眠りの森の姫君の噂を聞きつけた王子たちだ。
イバラの森に侵入しようとする王子があらわれると、とたんに女子高校生の意識が浮上する。
王子たちはみんな膝上のかぼちゃのようにふくらんだパンツをはいていた。それだけじゃない、股間のあたりがもっこりとふくらんでいる。信じられないかもしれないけど、私も信じたくないけど、パンツのポケットに詰め物をいれてふくらませてるのよ!!
王子っていうのはね、手の届かないあこがれの存在でしょ。それが、かぼちゃパンツなんてはいてたら、乙女の夢がぶちこわしだろーっ。しかも、なにその股間のもっこりは!!
略してかぼパン王子の分際で、眠り姫を守る鉄壁のイバラを剣で払って、無理やり中に入ろうとする。
私は、高笑いをしながら、切られた先からすぐさま復元し、切られても切られても切られるほどに勢い良くぐんぐん伸びて、王子に掴みかかった。
もがく王子をがんじがらめにして、牙のように鋭く伸ばした棘で突き刺した。
息絶えた王子たちの股間のポケットからは、オレンジやリンゴなどの果物が転がり落ち、可愛くラッピングされたアメ玉がざくざく落ちて山になった。姫に贈るプレゼントなんだろうけど、股間にいれたオレンジを捧げる王子を許せる? 私はぜっーたい無理。
こんなふうにしてイバラは侵入者を索敵し、発見しだい捕獲して串刺しにしていった。
ぼうぼうと茂る森の中には、イバラに固く抱きしめられた王子の白骨がいくつも隠されている。
私が放った呪いの通りに。
まぶしい陽射しの夏、凍てつく寒さの冬が来ても、このイバラの森の中では四季は訪れない。姫が眠りについた時のまま、止まってしまった時間。
森の外では、どれだけの四季の移ろいを繰り返したのだろう。
そして、私はどれだけのかぼパン王子をイバラで串刺しにしただろう。
このまま、私が姫をイバラで守り続けることができたら、『いばら姫』の物語は変わってしまう。
眠り姫は眠ったままで、王子はイバラに退治されました。めでたしめでたし。
だけど、そんなふうにはきっとならない。
王子は白馬に乗ってイバラの森を訪れた。さらさらの金髪に夏の青空色の瞳。絵本から抜け出してきたような少女が夢見る白馬の王子様は、かぼちゃパンツをはいていなかった。
それで私は森の外では百年が経ったんだとわかった。眠り姫は百年後に目覚めることになっていたはず。かぼちゃパンツ・ブームが去るのに十分な時間が流れたってわけ。
この王子は今までの王子と違っていたのはファッションだけじゃなかった。剣でイバラを断ち切って、強引に中に入ろうとしなかった。
ただ、手をのばして、イバラの葉にそっと触れた。祝福するように。
その瞬間、イバラの枝の堅いつぼみがほころび、いっせいに花開いた。
甘い香りがただよう白い野薔薇をつけたイバラは、王子が進むのを歓迎してうっそうとしげっていた枝を開いていった。
私は、駄目! と叫んだ。王子が眠り姫にキスしてしまったら、私も夢から覚めてしまう。
だけど、イバラの使命と私の願いはもう一緒ではなかった。
私は一体化していたイバラから弾き出され、どう猛な棘をなくした、女子高校生の体に戻っていた。
だからって諦めると思ったら大間違いよ!
王子があの古い塔の狭い階段をぐるぐる回ってのぼっていくの必死で追いかけた。
だけど私はこの世界では幽霊で、つかみかかろうとしても、跳び蹴りをくらわそうとしても、王子の体をすりぬけてしまう。
そして、とうとう王子は眠っている姫を見つけてしまった。
王子は、そっと身をかがめて、朝露にぬれた蕾のような唇にキスをした。
眠り姫の繊細な長い睫毛が震え、まぶたが開いた瞬間――
噴水の水は涼しげな音をたてて流れ出し、蝶々と蜜蜂は花から花へ浮気をし、ハトは空に向かって飛び立った。猫はネズミをくわえて走り去り、眠っていた動物たちはヒヒーン、ブーブー、メェメェ、コケコッコーとかしましく鳴き出し、眠っていた城の住人たちもいっせいに起き出した。
台所ではかまどの火がぱちぱちと弾け、焼き串はぐるぐる回って、じゅうじゅう脂がしたたり落ちる。
大広間では、百年間も中断されていた宴会が音をたてて再開されていた。
軽業師は宙返りを見事に決め、楽師たちの楽器は美しい音を奏で、給仕がナイフで切れ目をいれると、放たれた黒い小鳥の群れが広間を飛び回り、召使いは料理と酒を運ぶのに忙しく、家来たちは大声で喋りながら飲み食いしている。
それらが一気に怒濤のように流れ込んできた。
もうどこにも、静寂も平穏も魔法のかかった美しさもなかった。
眠りから覚めたひとたちは、自分たちが眠っていたことすら気づいていない。
安らぎに満ちた楽園だったことを知っているのは私だけ。
王子のたった一つのキスが。
小鳥の歌あふれる秘密の花園を卵の殻のように粉々に握りつぶしてしまった。
目を開けると、金の髪の青年が微笑んでいた。
こぼれた涙が頬を伝っていく。
その涙は目の前の美しい青年のために流したのではなかった。
夢の中の少女の悲痛な叫びが胸を突き刺していたから。紡錘でついた指の傷より深く。
16年前の作品です。
ゲド戦記のアーシュラ・K・ル=グウィンの創作論で眠り姫の考察があって(本のタイトル忘れてしまった)、それに感銘を受けて、自分の眠り姫を描こうと思ったんです。
目覚めたくなかった少女の祈り。
たった一つのキスが。
止まっていた時を動かす。
自分の高校生時代を思い出して書いていました。
なんとか社会人やってるよ。なんとかなるもんです。




