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独楽

作者: 森 高陽
掲載日:2026/07/02

 白黒模様の独楽を回すと、回る模様が色づいて見えることがあります。

 赤や青が、塗られていないのに、です。

 色は、それを見ているあなたの頭の中で生まれている。——では、あなたがいま見ているこの世界の色は、本当にそこにあるのでしょうか。

 これは、誰にも証明できないものを「聴いて」きた、ある男の手記。

 これを書いている私のことを、あなたは知らないでしょう。私も、あなたを存じ上げません。けれど、どうしても誰かにきいてほしいことがあって、これを書きます。


 いえ、きいてほしい、というのは、私が言うと、おかしな言い方かも知れません。私は生まれてこのかた、一度も人の声を聴いたことがないからです。


 生まれつき、耳が聞こえないのです。物の音も、雨の音も。だから私は、人に何か伝えようとすれば、文字で書くより他に、方法を持ちません。言葉の話し方どころか、意味のある声のあげ方さえ知らない私が、誰かに届けられるのは、紙の上の文字だけです。


 それで、私は書くこととします。たった一人でいい。私が「聴いて」きたものを、誰かに知ってほしいからです。


 そうです。私は、音を聴いています。ただし先ほど申しましたように、耳は聞こえませんから、耳で聞いているのではありません。目で、聴いているとでも言いましょうか。


 こう書くと、あなたは、何をよく分からないことを、と思われるでしょう。ですが本当なのです。どうかしばらく、私の言うことにつき合ってほしいと思います。


  *


 私の聴く音は、ひとつ残らず、この目に映る「動き」から生まれます。どう言えば伝えられるでしょう。


 たとえば、私の仕事は時計の修理です。今も、目の前の作業台には、分解した腕時計の心臓部が載っています。その中に、テンプという部品があります。髪の毛ほどの細さの渦巻きばねが、銀色の小さな輪を、左へ右へと、一秒に何度も振らせるという部品です。


 あなたがその様子をご覧になっても、ただ、せわしない銀色の往復が見えるだけで、何も聞こえはしないでしょう。ですが私には、その往復が音になって聴こえるのです。細く、澄んだ、絶え間なく続く高い音。輪が速く振れれば、その音は高くなり、振れが弱まれば、低く沈んでいきます。


 速い動きは、高く。遅い動きは、低く。なめらかな動きは澄んで、乱れた動きは、濁る——それが私の知っている、ただひとつの音の決まりです。


 ですから、私に聴こえるのは見えているものだけです。回るもの、揺れるもの、流れるもの、震えるもの——それらが、私の頭の中で鳴ります。目をつぶれば、世界は、ふつりと音を失います。見えないものは、私にとって、鳴らないのと同じなのです。


 背後で誰かが動いても、その姿が視界に入るまで、私には何も聞こえてきません。暗い部屋は、完全な無音です。それから、頭の中で思い描いた動きは、鳴りません。夢も同じです。夢のなかでどれほどのものが動こうと、私の夢は無音のままでした。鳴るのは、この目でじかに見た、ほんとうの動きだけなのです。


 あなたは、耳が聞こえぬ世界を、しんと静まりかえった寂しい場所だと想像されるでしょうか。ですが、私の世界についていえば、それほどではありません。むしろ、音で満ちています。ただ、その音は、あなた方の音とは、生まれ方が、違うといえます。


 正直にいえば、これが本当に「音」と呼べるものなのか、私には確信がありません。テンプの輪の、あの高い感じが、あなた方のおっしゃる「音」と同じものなのか、まるで別のものなのか、確かめようは永遠にありません。ですが私は、それを「音」と呼んできました。ほかに呼びようを知らないからです。それは、私にとって、美しいものです。


  *


 時計の修理は、そんな私の聴こえ方にぴったりの仕事でした。


 時計師は、ふつう耳で時計の調子を計ります。脱進機の刻む音の間隔が、揃っているかどうか。私には、その音は聴こえません。その代わりに、私は見ます。テンプの輪が左右に同じだけ振れているか。その振れ幅は一定か。歯車の回りに淀みはないか。


 私にとって、それは見ることであると同時に、聴くことなのです。動きが整っていれば、澄んだ音。どこかが狂えば濁ります。私は時計を、濁った音を頼りに直していきました。


 腕は、確かだと思います。あの店に持っていけば、どんな古い時計も生き返る、と言ってくださる客もありました。私がどうやってそれを聴き分けているのかは、誰も知りません。客は、筆談でやりとりする、無口な時計師の手元をただ不思議そうに眺め、帰っていきます。きっと長年の経験なのだろうというふうに、各自で納得なさるのでしょう。説明したところで、仕方がないことです。誰の耳にも、私の聴いている音を捉えるための物差しがないのですから。


 私の店には、修理や点検を待つ時計がいくつもかかっていました。柱時計の振り子が往復して、低く長く唸ります。置き時計の歯車が回って、細かく軽い音を立てます。掛け時計の秒針がひと刻みするたびに、短い音が点ります。


 もっとも、鳴るのは秒針だけです。分針も短針も、私には鳴りません。あまりに遅い動きは、見えていても音にならないのです。動きが音になるには、ある速さの、いわば敷居のようなものがありました。


 私にとって、店じゅうの時計は、それぞれが違う高さで歌う、ひとつの楽団でした。私にだけ聴こえる楽団です。狂った時計が一つ混じると、その合奏に濁った一筋の声が混じり、私にはすぐにそれと分かりました。毎朝、店に入ると、私はその楽団に目を凝らし、耳を澄ますのです。今日は風邪をひいている時計はないか、と。長い年月の間に、それは私の習慣になっていました。


  *


 仕事の手を休めるときは、私は店の硝子戸の向こうの通りを眺めました。行き交う人の足。回る自転車の車輪。流れていく車。風に揺れる、向かいの店の暖簾。電線にとまった雀が、ふいに飛び立つ——それらが、私の中でいっせいに鳴っていました。車輪は細く速い音をひき、人の歩みは低く規則正しく刻み、揺れる暖簾は何というか、ゆるい音を立てます。通りは私にとって、ひとときも同じ形にならない、生きた楽譜のようでした。信号が変わり、車や人が止まりますと、辺りはしんと静まります。動きが消えれば音も消える。世界が一息ついたように、その束の間だけ、すべてが静かになるのです。私はその静けさも好きでした。動きの音に満たされた一日のなかで、その数十秒だけ、自分が世界とおなじ拍子で息をしているように感じられたのです。


 私は、独りで暮らしていました。声のない暮らしは、外から見れば不自由で寂しいものと映るでしょうし、実際、そういうこともあります。けれど不自由さや寂しさなら、誰にでもそれぞれあるでしょう。私の世界にも、ささやかな喜びは存在したのです。


 ただ私の場合、人とは世界の出来かたが違っていたのです。その違いを分かち合おうとするたび、私は、誰にも伝わらないことの、あの疲れを味わわねばならなかったのです。それでいつしか、人との距離を一定に保つ習わしになってしまいました。今こうして、見も知らぬあなたに向けて書いていることは、ですから、私にとって生涯ではじめての、難しい試みなのです。


  *


 仕事を終えて家に帰ると、私はよく一つの遊びをしました。古いブリキの独楽を回すのです。子どものころから持っている、青い塗りの剝げかけた独楽。それに紐を巻き、勢いよく放ちます。独楽は回り、私の中で、明るく澄んだ、高い音を立てます。回る速さが落ちていくにつれ、その歌の高さも、少しずつ降りていきます。やがて独楽はぐらつき、傾きだして、ことりと倒れる。歌はそこで終わります。


 人は気まぐれです。いつどのように動くか分かりません。人の動きはいつも不意に始まり、不意に消えます。けれど独楽は違いました。私が回せば、回り、歌う。それは私が思いのままに鳴らせる、音楽だったのです。倒れれば、また紐を巻き、放つ。明るい歌が立ちのぼり、やがて消える。それを繰り返す間、私は安らかでした。——いま思えば、あれは、来たるべきものすべてを知らずに弾いていた、前奏だったのかも——


 私のもつ、古い独楽のことをお話しておきましょう。子どものころ、近所の子どもたちが、ひとつの独楽を回して遊んでいました。円い紙に、白と黒の模様だけを描いた独楽ですが、それを速く回すと、ありもしない色が湧いて見えるのだそうです。——後で知ったことですが、これは「ベンハムの独楽」と呼ばれるものです。子どもたちはそれを回しては、見えた色を口々に言ってはしゃいでいました。


 ただ、私には色は見えませんでした。代わりに、私には音が聞こえたのです。速く回るその独楽から、明るく澄んだ音が立ち上っていました。私はしばらく、その違いの意味を考えこみました。同じ独楽を、ほかの子は色として見、私は音として聴いている。ただの白黒の独楽が回ることで、ある者にとっては色が生まれ、ある者にとっては音が生まれる。独楽そのものには、色も音もありません。それを見ている者の頭の中だけで湧いているのです。


 その考えは私の気に入りました。誰もが、自分の頭の中だけにある、誰とも分かち合えないものを、世界そのものだと思いこんで生きている。私の聴いているすべての音は、きっと、そういうものなのだ——そう思いますと、私の孤独な感覚にも皆と共通するものがあるようで、どこか慰められるような気がしたのです。


 私は母に、あの独楽がほしいとねだりました。すると、似た独楽を買ってきてくれました。ブリキの青い独楽です。回してみると、母には回転して溶けるような模様が色づくのをみることができたようで、不思議だと言っていました。私には、やはり色は見えませんでした。しかし、代わりに音が聴こえたので、それで十分でした。私はその独楽を三十年、手元に置いて回しつづけました。


  *


 母と私は、手話で話しました。そして、これは私にとって、ひそかな幸いでしたが、母の手の動きは、私の中で鳴りました。母が手話で言葉を形づくるたび、その手は、柔らかく低い音楽を奏でました。それは、私が生まれてはじめて聴いた音楽であり、生涯を通じて、私が「人」から聴いたほとんど唯一の音楽でした。これを聴く体験が、どんな豊かさをもったことであるか、説明するのはちょっと難しいことです。父のことは、ほとんど覚えていません。私が幼いうちに家を出ていったので、別段、書くようなことはなにもありません。母と私、二人きりの声のない家でした。しかし別に寂しくはありませんでした。母の手が、いつも鳴っていたからです。


 ついでに申しておけば、私自身の手も、動けば鳴ります。ただ、自分の手の音というのは、あなた方にとっての、自分の声のようなものでしょう。あまりに馴染みすぎていて、ふだんは聴いていないのと同じなのです。


 子どものころ、私がなかなか寝つけないと、母は枕元に座り、手話で語りかけました。暗がりのなかで、母の手がゆっくりと動きます。何を語っていたのかまではもう覚えていません。ただ、その手の動きが優しい音楽になっていたことを覚えているのです。それが私の子守唄でした。私は、母の手の音を聴きながら眠りに落ちました。


 大きくなってからも、母はよくその話をしました。

〈あんたは私の手をじっと見ていないと眠らなかったんだよ。電気を消すと泣いてね〉

〈手の音を、聴いていたんだ〉と、私は答えました。

〈音? 手から音がするの?〉

〈母さんの手は、鳴る〉と私は言いました。〈いちばん、いい音だ〉

 母はしばらく、自分の手を不思議そうに見つめていました。母には私の聴いている音は、分からないのです。〈何だか分からないけど、嬉しいよ〉と、母は言いました。〈私の手があんたにとって、いい音なら、それでいい〉。分からないなりに、ただ受けとってくれたのを、私は嬉しく感じていました。


  *


 ある日、止まっているはずのものから音が聴こえる、という出来事が起きました。


 その日、私は、床に倒れたままの独楽をぼんやり眺めていました。すると独楽はふいに、回ってもいないのに歌いだしたのです。あの明るい一音が、止まったブリキから立ちのぼり、すぐに消えました。

 私は驚いて、母に手話で告げました。〈独楽が、鳴った〉

 母は独楽を見ました。それから、ゆっくりと、手を動かしました。〈独楽は、回ってないよ。動いてないでしょう〉

〈でも今、鳴ったんだ〉

〈気のせいだよ〉と、母は手を動かしました。〈それから、お前の聴いているというその音のことは、あまり人には言わない方がいいかも知れない。誤解を生むかもしれないからね〉

 私の耳のことは、母が一番よく知っています。それでも母は、私の聴く音のことは理解できず、喩えか何かだと思っていました。それで、自分でさえ怪訝に思うことならば、他所ではなおさら言わない方がいいと考えたのでしょう。私はそれきり、その話をすることはなくなりました。


 しかしその出来事は、小さな種のように残りました。止まっているものも鳴ることがある。——その一つの覚えだけが、長いあいだ芽を出さず、私の奥底に眠っていたのです。私は、その日のことをほとんど忘れて大人になりました。時計師になり、独りで暮らし、毎朝、店の楽団に耳を澄まし、夜には独楽を回す。その年月の中で、母は老い、私も四十に近づきました。穏やかな日々が、長いあいだ続いたのです。


 種がふたたび芽を出したのは、ある冬の入り口の、夜のことでした。


  *


 その夜、家に帰った私は、棚の上に置いたあのブリキの独楽から、かすかな高い音が伸びているのに気づきました。最初は、見間違いだと思いました。電灯の光の加減で、独楽が回っているように見えたのだろうと。私は独楽を手に取り、目の前で確かめました。回っていません。ですが音は消えませんでした。手の中で止まったまま、独楽は細く高く鳴りつづけていたのです。


 しかし動いていないものは、私にとって無音でなければならない。私は困惑して、とにかくその独楽を引き出しにしまい、閉めました。すると、音は消えました。ほっとしましたが、こわごわ引き出しを開けると、また鳴り始めました。何度くりかえしても、同じでした。見えているあいだだけ、その止まった独楽は、歌っていたのです。


 なぜ動いてもいないものが鳴るのか、私には分かりませんでした。しかし、よく考えてみると、動いているものがなぜ鳴るのかということ自体、そもそも私にも説明できないのです。その理由のなさが、なにか不気味でした。私はその夜、あまりよく眠れませんでした。朝起きると、昨夜の現象は止んでいました。


  *


 ところが、翌朝、店に入ると、掛け時計の分針が、細く鳴っていました。生まれてこのかた、一度も鳴ったことのなかった針が、です。そして、それから数日の間に、止まっているはずの他のものまでもが、鳴りはじめたのです。


 朝、店へ行く途中の路地に、誰かが乗り捨てた、錆びた自転車がありました。その前を通りかかったとき、私は、自転車から、低くざらざらとした音が伸びているのに、気づいたのです。車輪は回っていませんし、フレームも地面に倒れたままです。それでも自転車は、私の視界にある限り鳴り続けていました。


 家の台所では、熟れて柔らかくなりかけた果実から、かすかに、ぺたぺたと湿った、ぬるいような音が立っていました。壁に貼った、母と幼い私が写る、色の褪せた古い写真——その紙の表面からもかさかさと乾いた質感の音が。


 私は気づきました。止まって見えるものも、本当は、完全には止まっていないのです。果実が内側から静かに崩れていくように、錆も、写真も——目には捉えられないほどゆっくりと、しかし確かに、動いている。世界のすべてが、「朽ちる」というごく遅い速さで、絶え間なく動いていたのです。


 あの敷居が、遅いほうへ、低いほうへと、ずれたのでした。分針が鳴り、やがて短針が鳴り、ついには、朽ちていくものの動きまでが、私の耳に届くようになってしまった。世界に、本当に止まっているものは、ひとつもありませんでした。すべては終わりに向かって、ゆっくり崩れていたのです。


 敷居が、なぜ動いたのか。それは分かりません。ただ、いまになって思うのです。動いたのは敷居のほうではなく——遅くなったのは世界ではなく、ひょっとすると、私のほうだったのではないか、と。


  *


 通りを歩くのが、つらくなりました。かつて通りは私にとって、動くものの楽団でした。回る車輪、流れる車、揺れる暖簾。明るく、せわしない音の楽団です。でもいまは、その底に別の音が敷かれていました。


 錆びていくガードレールと、剝がれていく壁の塗装。罅の入っていくコンクリートと、朽ちていく街路樹の幹。——止まって見える、それらすべてが、目に見えぬ速さで崩れながら、低く絶え間なく鳴っていました。動く車輪の高い音の、その下に。歩く人の足音の、その底に。


 ある日、私は、公園のベンチに腰かけた一人の老人を見ました。膝の上に、両手を静かに置いていました。その手から、私は、低い唸るような音を聴きました。手は特に動いていないのに、鳴っている。つまり、その手もまた、ゆっくりと終わりに向かっているのでした。私は、そこから目をそらしました。ですが、そらしても、見えているかぎり音は消えませんでした。


 世界が、これほどたくさんの音を立てながら崩れていたとは。私は、これまでそれを知らずに生きてきました。それがどれほどの幸いだったか、そのとき初めて思い知ったのです。


  *


 店でも、それは起きました。ある客から預かった、古い柱時計です。私はそれを直し、振り子を揺らしました。振り子はゆっくり往復し、規則正しく鳴ります。それは私のよく知る、健やかな時計の音でした。ですが、その音の底のほうに、私は別のものを聴いたのです。


 濁った、ぐらつく音。倒れる少し前の、独楽と似た音でした。回る速さを失った独楽が、よろめき傾きはじめる、あの濁って沈んでいく音。それが振り子のまっすぐな音の底に、小さく混じっていました。私は手を止めました。振り子は、ちゃんと規則正しく振れています。狂いはどこにもなく、目に見えるかぎりでは、その時計は完璧でした。


 しかしその柱時計は、三日後に止まりました。客が店に来て、紙に書いて知らせてくれました。〈直していただいたばかりなのに、また止まってしまいました〉。私はその時計を、もう一度預かりました。ですが、私には、もう分かっていたのです。あの時計の中で何かが、倒れかけの独楽の音で鳴っていたことを。あれは止まる前のよろめきだったのです。


 それから私はいくつもの「ぐらつき」を聴きました。機械の唸りの底にその濁った音を聴くと、ほどなくその機械は壊れました。街灯の細かな震えの底にそれを聴くと、その街灯は数日のうちに消えました。あのぐらつきの音が聴こえると、ほどなく何かが倒れ、止まり、終わるのだと私は悟りました。私は、世界じゅうの、倒れる前のよろめきを、聴くようになっていたのです。


  *


 その音は、店の常連である、ある客から鳴りました。毎月、自分の懐中時計のねじを巻きに来る、年寄りの客です。その日もいつものように入ってきて紙に用件を書きました。〈いつものをお願いします〉。私はその懐中時計を受け取ろうと、客の手を見ました。そのとき、私は聴いたのです。客の手の動きの底に、ごく薄く、あの倒れかけた独楽と似た、濁った音を。


 私はぞっとしました。時計を危うく落としかけたほどです。ですが、私は何も言えませんでした。何を言えましょう。あなたの手が、倒れる独楽の音で、鳴っているとでも? あなたはもうすぐ……とでも?


 私はいつものようにねじを巻き、時計を返しました。客は口を動かして礼を言い、私はその唇を読みました。ありがとう、また来月、と言っていました。しかしその客は二度と来ませんでした。半月後、その老人が亡くなったことを、私は人づてに知りました。物だけではなかったのです。人もまた、倒れる前によろめく。そして、そのよろめきの音は噓をつきませんでした。


  *


 夜が、つらくなりました。横たわっていても、部屋中が絶え間なく鳴っていました。柱が、壁が、布団が、天井の木目が——朽ちていく、すべてのものが、それぞれの低い音で、鳴りつづけていたのです。私は、世界が崩れていく音のただ中に横たわっていました。


 耐えかねて、私は目を閉じました。すると、世界が消えました。完全な暗闇。そして無音。


 動くものが、ひとつも見えなくなれば、鳴るものも、ひとつもなくなります。私にとって、目を閉じることは、世界の音を、まるごと消すことでした。聞こえる人が両手で耳を塞ぐように、私は、瞼を閉じることですべての音を塞ぐことができるのです。私は、その、しんとした暗闇のなかに、ひとり横たわりました。久しぶりの完全な静けさでした。初めは、その静けさに安堵を覚えたものでした。


 しかし、時が経つにつれてだんだんと怖くなってきました。その闇のなかでは、何かが近づいてきても私には聴こえないのです。背後の闇から何が忍び寄ろうと。床を何か恐ろしいものが這おうと。戸がひとりでに開こうと。見えなければ鳴らない。鳴らなければ分からない。聞こえる人なら、目を閉じていても、足音や衣ずれや息の気配を、耳が捉えます。ですが、私にはそれがありません。目を閉じた私は世界に対して完全に無防備なのです。何が起きていようと、それを見るまで知ることができません。


 神経が、疲れていたのでしょう。怖くなった私は、目を開けてしまいました。すると、何もかもが崩れていく音が戻ってきます。そして私は悟りました。私の前には、ふたつしかないのだと。崩れていく世界の、耐えがたい音の中で起きているか。何も知ることのできない闇に、無防備に沈むか。このふたつの極のあいだに、私の余生は挟まれていました。


  *


 その冬、近所で葬式がありました。母の古い知り合いが亡くなったのです。私は母に連れられて通夜に出ました。線香の煙がまっすぐに細く立ちのぼっていました。その動きを、私は低い一音として聴いていました。別れの順番がくると、母とともに棺の前に進み、手を合わせました。棺の蓋の小窓が開いていて、白い布の上に故人の顔が見えています。そして——その横たわる、動かないはずの顔から、私は聴いたのです。あの低く伸びる音を。


 背筋が凍るような気がしました。気のせいだと思おうとしました。ですが、私にとって、音は「気のせい」ではありえないのです。その音は、たったひとつのことを、はっきりと告げていました。この亡骸は、動いている、と。


 それは確かに動いていました。目に見えぬほどゆっくりと。朽ちながら、崩れながら、それはまだ止まっていないのです。私はどうしても、それを聞かなかったことにはできませんでした。鳴るものは動き、動くものは鳴る。それが私の世界の掟だからです。


 私はそれまで、死とはすべてが静かに止まることだと思っていたのです。やすらかに動かなくなることだ、と。ですが、ちがいました。私の耳には、死者は静まりません。目にはじっと横たわって見える亡骸が、その底の底では、いつまでも低く動き、鳴りつづけている。母に肩を叩かれて促されるまで、私は棺の前から動けずにいました。


  *


 以来、私は人を見るのがこわくなりました。母の手を見るのでさえ。


 ある日、母の家で、二人でいつものように手話で話していました。母は近所のことや昔のことを楽しそうに語ります。その動く手は、いつものように柔らかく低い音楽を奏でていました。ですが、その音楽の底のほうに、私はついに聴いてしまったのです。ごく薄く、ごくかすかに、倒れる前の独楽の、あの濁ってよろめく音を。


 私の手話の手が止まりました。〈どうしたの?〉と母が手で訊きます。私は首を振りました。〈なんでもない〉。それから、さり気ないふうを装って訊きました。〈母さん、体は、どう? どこか、悪いところはない?〉

 母は笑いました。〈元気よ。急にどうしたの。あんたこそ近ごろ顔色が悪いよ。ちゃんと食べてるの?〉

 母の手の底で、濁った音が、たしかに鳴っていました。私が聞き違えるはずのないあの音が。〈ちゃんと食べてるよ〉と、私は答えましたが、手がすこし震えました。


 私は、母を病院に連れていきました。母は嫌がりましたが、私は押し切ったのです。医者はひととおりの検査をして首をかしげました。私は医者と、筆談でやりとりしました。〈どこか、悪いところは、ありますか〉。〈お年のわりに、お元気ですよ。どこも悪いところは見当たりません〉。何度連れていっても、同じでした。検査の紙は、いつも「異常なし」と告げました。


 ですが、私には聴こえていたのです。日を追い、週を追って、母の手の底の、あの濁った音が、すこしずつはっきりしていくのが。検査の機械には何も映りません。ですが、それが何の証明にもならないことを、私は、誰よりも知っていました。おそらく、あの常連の老人も、検査を受けていれば、異常なしと言われたことでしょう。それでも実際そうであったように、半月後に亡くなったことでしょう。


  *


 私は、それを母にどう伝えればいいのか分かりませんでした。〈母さんの動く手が、倒れかけた独楽の音で鳴っている〉と言ったとして、その意味をどうやって理解させればいいでしょう。〈母さんは死にかけている〉と、どうして、その、語っている当の手に向かって告げられましょう。私はそれを伝えるための言葉を持っていませんでした。また、たとえ伝えられたとして、それが何になりましょう。医者が異常なしだといったものに、時計師の私が異を唱えたところで。


 伝えるかわりに、私は母の手を覚えておこうと思いました。その手が、まだ動いているうちに。その手の歌を、ひとつでも多く自分の中にしまっておこうと。私はこれまで以上に、ひんぱんに母を訪ねました。何ということもない話を、とりとめなくしました。母の手が語り、笑い、昔をたどる。その一つ一つの動きの音を、私は目を凝らして聴きました。やがて消えてしまうかもしれない、その音楽を。


 ある日、私は母の手を、残しておこうと思いつきました。携帯電話の小さな画面で、母が手話で語る、その手を映したのです。母は怪訝な顔をしました。〈母さんの手が、好きだから〉と、私は答えました。それは噓ではありませんでした。その夜、私は撮った映像を、家で繰り返し見ました。小さな画面のなかで母の手が動きます。そして——動く手は、鳴りました。画面のなかの小さな手からも、たしかに、あの柔らかい、低い音楽が聴こえたのです。私は、ほっとしました。これで母の手の歌を、いつでも聴ける、と。母が、いつかいなくなっても。


 ですが、その画面のなかの手の、音楽の底にも、それはありました。倒れる前の、独楽の濁った音。映像に撮っても、それは消えませんでした。手の動きの底にある、死にゆくよろめきまで、いっしょに、映ってしまうのです。私はそれきり、その映像を見るのがこわくなりました。母の手の歌を、聴こうとするたびに、その死を、いっしょに聴かねばならなかったからです。私はその映像を見ないまま、携帯電話の奥にしまいました。


  *


 母は、その冬の終わりに逝きました。あっけない、突然の発作でした。朝、近所の人が訪ねていくと、もう冷たくなっていたそうです。医者は、こういうものは誰にも防げなかった、検査でも分からなかったでしょう、と言いました。私が駆けつけたとき、母は布団に横たわっていました。私は、母の手を見ました。


 布団の上に揃えて置かれた、その手は止まっていました。生まれてからずっと私の音楽だったその手が、もう動きません。鳴りません。私は、その止まった手を、長いあいだ見ていました。私の世界で、いちばん大切な音楽が永遠に消えたのです。あとには何も聴こえませんでした。

 ——いや。聴こえないのは、ほんのしばらくのあいだでした。やがて、その動かない母の体から、別の音が伸びはじめたのです。低い、無機質な音。あの、棺のなかの遺体から聴いた音と同じ。あの、公園の老人の手から聴いた音と同じ。朽ちていくものの唸り。私のいちばん愛した手が、音楽をやめ、そして崩れていく音を立てはじめていました。


 私は母の止まった手を握りました。とても冷たかった。そしてその手は、私の中で、もう子守唄を歌いませんでした。

 棺のなかの母の、その動かない顔を見るたび、私は、そこから伸びる低い唸りを聴きました。線香の煙のまっすぐな一音と、人々の動く手や口のざわめきと、その底に流れる、母の崩れていく唸り。私は、誰とも、その音を分かち合えませんでした。私にしか聴こえなかったのです。声を知らぬまま生きてきたこの私は、母の死の音さえ、たった独りで聴かねばならなかったのです。


  *


 母を見送ったあと、私は、ほんとうに独りになりました。手話で語り合う相手はもうおりません。私の中で鳴る、人の手の音楽は、母とともに消えました。あとに残ったのは、世界じゅうの崩れていく音だけでした。私の店の止まった時計たちも、私の家の古い柱も、路地の錆びた金物も、すべてがそれぞれの低い音で、絶え間なく、朽ちて鳴っていました。世界は、ありとあらゆる速さで崩れていく、巨大な、濁った和音で満ちていました。どこにも静けさはありませんでした。


 ただひとつだけ。目を閉じれば、それは消えます。ですが目を閉じれば、そこは何も知ることのできない、無防備な闇でした。私はそのふたつのあいだで、すり減っていきました。


 そして、ある日、私は気づいたのです。ものを取ろうとして、手を伸ばしたとき、その自分の手の動きの音の底に、私は聴きました。ごく薄く。倒れる前の独楽の、あの濁った、よろめく音を。私の手も、鳴りはじめていました。母の手と、同じ音で。馴染みすぎて、ふだん聴いてさえいなかった自分の手の音の、その底に、それは、いつから混じっていたのでしょう。私の中でも、何かが目に見えぬ速さで、倒れかけていたのです。私もまた、ゆっくりと止まりかけていたのでした。——さあ、ここまで書いて、私の手はいま、震えています。この震えにも、あの音が混じっているのが、私には聴こえます。ですから私は、急いで、最後のことを書いておかねばなりません。


  *


 その夜、私は棚の奥から、あの青いブリキの独楽を取り出しました。子どものころから持っている、塗りの剝げた古い独楽。母が買ってきてくれた独楽。何度も回し、何度も、あの明るく高い歌を聴いた独楽です。私は、それを最後にもう一度回そうと思いました。崩れていく世界の音から、目を閉じて逃げこむ前に。せめて一度、いちばん好きだったあの歌を、もう一度、聴いてから。


 私は床に独楽を置きました。紐を巻きました。そして勢いよく放ったのです。独楽は回りました。明るい、澄んだ、高い一音が、立ちのぼります。子どものころ、店の前で聴いた、あの音。母の手のそばで、聴いたあの音。私は床に膝をつき、その回る独楽を見つめ、音を聴きました。回る速さが、すこしずつ落ちていくと、歌の高さも、つられて降りていきます。やがて独楽はぐらつきはじめました。歌がよろめき、濁り、沈んでいきました。私は、止まった独楽のそばに座っていました。世界の崩れていく音が、ふたたびまわりに満ちてきます。私は、長いあいだ、そうしていました。


 それから、私はゆっくりと目を閉じます。自ら、望んで目を閉じるのです。世界の音が消えます。崩れていくすべての音が、消えます。完全な暗闇。完全な無音。私が生涯、いちばんこわがってきた、何も知ることのできない、無防備な闇。ですが——いま、その無音の暗闇のなかで、私は、見たのです。あるいは、見た気がする、と申すべきでしょうか。母の止まった手が、もう一度動きはじめるのを。閉じた瞼の、その奥の暗がりのなかで、母の手がゆっくりと形を結んでいきます。私の中で、その手がふたたび鳴りはじめます。柔らかく馴染んだ、低い音楽。夢のなかでさえ、鳴ったことのない、この闇のなかで、です。私が生まれてはじめて聴いた、あの子守唄が。


 不思議なことです。崩れていく現実のなかで、母の手は止まり、二度と鳴りませんでした。ですが、目を閉じた、この何もない闇のなかでだけ、母の、もう動かないはずの手は、もう一度、動き、歌うことができるのです。崩れていく世界の音の、届かない場所。すべてが消え去った、その奥にだけ、母の手の子守唄は残っていたのでした。


 私には分かっています。目を閉じることは、私にとって、見える世界のすべての音を捨てることです。それは、生まれつき目の見えない人が、ずっと暮らしている、あの、ひとつの暗闇へ、自ら入っていくことなのです。光のない、そして、私にとっては音のない世界へ。すべてを手放したその先へ。ですが、その、何もない闇のなかにだけ、母の手の子守唄は鳴っています。崩れてゆくこの世のどこにも、もう聴こえなくなった、その歌が。


 ですから、私は行きます。あなたに、これだけは信じてほしかったのです。私の聴いてきた音は、本当にあったのだ、と。あの明るい独楽の歌も、母の手の子守唄も。証明はできませんが、噓ではありません。——これを書き終えたら、私はこの紙を置いて、目を閉じます。そして、あの暗闇のなかへ入っていきます。母の手の子守唄だけを、抱いて。世界でただひとり、私にしか聴こえない、その歌を聴きながら。


 どうか、あなたの世界が、いつまでも、よい音で満ちていますように。

 私の聴いたものを、ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

 では、もう、目を——

はじめて書いたホラーというか、心理スリラー?

夏のホラー2026のお題が「音」だったので、挑戦してみました。お題に乗るのは難しいけど、自分らしいものができたと思います。

ただ、書いてて気分が悪くなりました。ホラーはもうやめておきます。

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