浮気の問い詰め中に「脳内実況」が始まったので、全レス論破したらファミレスの床で泣き崩れやがった。
日曜日の昼下がり。家族連れで賑わうファミレスのボックス席で私は目の前に座る男――婚約者の蓮二を冷ややかな目で見つめていた。
テーブルの上には一枚の写真を叩きつけてある。
蓮二が知らない女と腕を組んでラブホテルから出てくる決定的瞬間の写真だ。
「……瑞希、これは、その、誤解なんだ」
蓮二が口を開いた、その瞬間だった。
実況:「さあ、始まりました! クズ不倫疑惑への初動対応、蓮二選手、まずは『誤解』という名のバックパスを選択だぁぁ!」
解説:「非常に甘いですね。あの鮮明な写真を見て誤解で済ませようというのは、J3どころか草サッカーレベルの判断です」
(えっ、何!? 誰の声!?)
頭の中に突然サッカー中継のような熱血実況と、ベテラン審判のような冷静な解説の声が響き渡った。
驚いて周囲を見回すが店内の客は平然とハンバーグを食べている。聞こえているのは私だけのようだ。
「誤解? じゃあこの女の人は誰? なんでホテルから出てきたの?」
私が問い詰めると蓮二は泳ぐ視線を隠すように、コーヒーを一口飲んでから言った。
「彼女は……、仕事の取引先の人だよ。急に体調が悪くなったっていうから、休憩できる場所に連れて行っただけで……」
実況:「出たぁぁぁー! 不倫界の伝統芸能『体調不良の介抱』! 休憩場所がたまたま回転ベッド付きのホテルだったという超展開だーっ!」
解説:「今の発言、右手が鼻を触りましたね。嘘をつく際の典型的な自己親密行動です。はい、減点20点。不誠実のイエローカード、リーチといったところでしょうか」
脳内の解説が驚くほど冷静に蓮二の「嘘」の根拠を提示してくる。
……なるほど。これが何なのかは分からないけれど、使える。
「本当にただの仕事の相談なんだってば!」
蓮二は必死に食い下がる。その額には嫌な汗が滲んでいた。
実況:「出たー! 定番の『仕事の相談』! これほど面白味に欠ける手垢のついたプレーが他にあるでしょうかぁぁ!」
解説:「あー、見てください。目が露骨に右上に泳ぎましたね。嘘をつく時の典型的な動作です。はい、マイナス10点。プロとしては恥ずべき初歩的ミスです」
脳内の解説が冷ややかに断じる。私はそれをそのままなぞるように、冷徹なトーンで口を開いた。
「今の言い訳、目が右上に泳いでるから嘘ね。はい、マイナス10点」
「……えっ? な、何その占いみたいなの……。何の話だよ」
蓮二が困惑と恐怖の混じった顔で引きつる。そして実況はさらにヒートアップしていく。
実況:「さあ、動揺を隠せない蓮二選手! ここで状況を打開しようと必死の形相だーっ!」
「瑞希、聞いてくれ。信じてくれよ、俺が本当に愛してるのは瑞希お前だけなんだ!」
蓮二はテーブル越しに身を乗り出し私の手をつなごうとしてくる。その手はまるで壊れた機械のようにガタガタと震えていた。
実況:「おっとぉ! ここで伝家の宝刀『愛の安売り』カードを切ったぁぁ! しかし見てくださいあの指先! 武者震いか、はたまた恐怖か、生まれたての小鹿のように震えているーっ!」
解説:「瑞希さん、騙されてはいけません。今の発言は全くの加点対象外。むしろ、カバンの中にある『あの紙きれ』をぶつける絶好のチャンスですよ」
(……そうね。これ以上、汚い手で触られたくないし)
私はスッと手を引き、代わりにカバンから一枚の紙を取り出してテーブルに滑らせた。
「愛してる、ねぇ。……じゃあ、これ何? 三日前にジュエリーショップで切られたレディース用指輪の領収書。私、こんなの貰ってないんだけど」
実況:「決まったぁぁー! 不倫相手への貢ぎ物、決定的な証拠のパスが通ったぁぁぁ!」
解説:「蓮二選手、完全にフリーズしましたね。愛を語った直後にこれを出されるのは、ゴール寸前で豪快なオウンゴールを決めるようなものです。致命傷ですね」
蓮二は目を見開き、領収書と私の顔を交互に見て金魚のように口をパクパクとさせた。
「あ……、い、いや……、これは、その……」
「そんなに『仕事の相談』が好きなんだ。じゃあ、その相談の成果である『退職勧告』についても、今から話し合わなきゃいけないわね」
私の言葉に蓮二の顔から一気に血の気が引いていく。
「……あ、いや。それは、その、サプライズで渡そうと思ってたんだよ……!」
実況:「苦しい! 苦しすぎるぞ蓮二選手! もはやゴールポストがどこにあるかも分かっていない泥沼のドリブルだーっ!」
解説:「はい、往時を彷彿とさせる見事なまでの『往復ビンタ待ち』状態ですね。瑞希さん、ここからは波状攻撃です。一気に畳みかけましょう」
(言われなくても、そのつもりよ)
私はカバンから次々と「爆弾」を投下した。
不倫相手が「運命の彼とデート中」と浮かれてアップしたSNSの魚拓。
二人で通いつめた高級レストランのレシートの束。
そして彼の車のダッシュボードに仕込んでおいたGPSの移動履歴。
「……これ、全部あなたと彼女の『仕事の相談』の記録。一カ月でずいぶん熱心に会議したのね。特にこの土曜の夜の新宿のシティホテルとか」
並べられた証拠の山を前に蓮二の顔が歪んだ。
絶望が極まったとき、彼はついに――最悪の選択をした。
「……しつこいぞ! お前だって最近冷たかっただろ! 仕事仕事って、俺を構わないお前にも原因があるんだよ!」
ドン、とテーブルを叩いて立ち上がる蓮二。周囲の客がビクリと肩を揺らす。
実況:「あーっと、ここで『逆ギレ・責任転嫁』だぁぁぁ! 反則! これは悪質! あまりにも醜い、非常に悪質なプレーです!」
解説:「救いようのないクソムーブですね。完全に競技規定違反です。文句なしのレッドカード。退場……、いや、社会的抹殺の時間です。瑞希さん、笛を吹いてください」
私は震える蓮二を座らせることすらせず、冷たく言い放った。
「はい、逆ギレにつきレッドカード。退場よ、蓮二」
「……は? カード……?」
ポカンとする彼に私はスマホの画面を見せつける。そこには録音アプリの波形が刻まれていた。
「もちろん蓮二との婚約は破棄。慰謝料ともう振り込んじゃった結婚準備のキャンセル料全額、一週間以内に私の口座に入れなさい。おまけに、今のあなたの見苦しい言い訳も含めたこの『実況ログ』……、つまりボイスレコーダーの音声、あなたの親御さんと、うちの両親、それからあなたの会社の上司にも一斉送信しておくから」
「待ってくれ、瑞希! 俺が悪かった、やり直そう! 頼むから親父たちには……!」
床に膝をつき必死に縋り付こうとする蓮二。だが、その手は空を切り彼はそのまま「もう喋りたくない、勘弁してくれ……」と頭を抱えて泣き崩れた。
かつての爽やかな面影はどこにもない。そこにあるのは自業自得の果てに惨めに震える一塊の肉だけだ。
実況:「決まったぁぁぁーーー! 蓮二選手、ここで完全に戦意喪失! 膝から崩れ落ち芝生ではなくファミレスの床で涙の土下座だぁぁぁ!」
解説:「はい、試合終了。資産没収、社会的地位の喪失、そして残るのは絶望的な孤独。文句なしの完勝ですね」
私は冷めたコーヒーを一気に飲み干すと、伝票を手に取って立ち上がった。
「あ、ちなみに。その『仕事の相談』相手の旦那さん、私の大学の先輩なの。もうすぐそっちからも内容証明が届くと思うから楽しみに待っててね」
「……っ!? ひっ、あ、あぁ……!」
絶叫にも似た呻き声を背中で聞き流し私はレジで会計を済ませた。
ドアを抜けると外は抜けるような青空。不倫男をゴミ箱に捨てた後の空気は驚くほど美味しかった。
実況:「瑞希選手! 晴れやかな表情でスタジアムを後にします!」
解説:「本当にお疲れ様でした。素晴らしいタクティクスでしたよ。実況・解説は私たちが務めさせていただきました。それでは……」
実況・解説:「「お疲れ様でした。次回の良縁という名の新シーズンにご期待ください!」」
脳内に響いていた賑やかな声が、ふっと霧が晴れるように消えていった。
――数週間後。
私は友人から蓮二のその後についての風の便りを聞いた。
彼は両親から絶縁され、多額の慰謝料とキャンセル料で借金まみれ。さらに追い打ちをかけるように、あの不倫相手からも「金も地位もない男に用はないわ」とゴミのように捨てられたらしい。
「ふふっ」
私はスマホの画面を見つめ思わず独り言を漏らした。
「今の報告、文句なしの加点対象ね」
実況と解説の声はもう聞こえないけれど、私の心の中では今も勝利のファンファーレが鳴り響いていた。
(完)
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浮気男が追い詰められていく様子をスポーツ実況風に描いてみました。




