前半
ママの具合が悪くなって入院したのは去年、桜が散り始めた頃だった。 幼稚園の帰り道、パパと一緒に病院に寄るのが私のお決まりになった。 病院に着くと、ママのいる病室へと向かう。白い廊下は少しひんやりしてて、歩くたびに足音が響く。
ママの病室に着くと、扉を開けて中に入る。薄いカーテン越しに夕日が入り、ママのベッドを柔らかく照らしていた。
「未星、今日もいい子にしてた?」
顔を合わせると、ママはニッコリ笑って語りかけるから、私は大きく頷いた。
前よりも痩せてしまったママだけど、笑う時の優しい顔は変わってない。あったかくて安心する。
私はママの側に近寄り、手を握りながら今日あった出来事を話す。私の日課だ。
「今日ね、お歌の練習したの。ママの好きなキラキラ星!」
「本当に? じょうずに歌えた?」
「うん! それで先生に褒められたよ! 未星ちゃんは一番声が出てたって!」
「ふふ、それはよかったわね。未星はお歌得意だもんね」
「うん! ママがお家に帰ってきたら聞かせてあげるね!」
「それは楽しみねぇ」
ママはそう言って微笑みながら、ジッと私の顔を見つめる。
「ママ? どうしたの? 私の顔になにか付いてる?」
急に黙り込むから、私は訊ねると、ママは真剣な目つきになり、言った。「あのね未星・・・・・・もしママがこのまましん・・・・・・」
「ダメ!」
ママが言い切る前に私は声を上げていた。なにを言おうとしたかすぐに分かって、咄嗟に言葉をさえぎっていた。
「未星、聞いて?」
「いや、それ以上言わないで・・・・・・」
私は目も合わせないようにして、ママになにも言わせないようにした。けれどママは頭を撫でながら優しい声で語りかける。
「お願い、聞いて欲しいの」
「悲しい話ならやだ」
そう言うと、ママは困ったように少し苦笑いした。でもその後、気を取り直してママは言葉を続ける。
「そうねぇ、確かにこれはちょっぴり悲しいお話だけど、でもいいお話でもあるの」
「なにそれ? どういう事?」
私はよく分からなくて顔を上げた。するとママの優しい笑顔が見えた。その笑顔は、私のトゲトゲした心の部分を丸くしてくれる。
「あのね、よく聞いて? ママがね、もしこのまま死んじゃったら」
死ぬ。という言葉を聞いて、私の胸がぎゅっと詰まった。また声を上げそうになる。でも、ママは私の頬を優しく撫でながら続けた。
「ママは星になるの。夜空に輝くお星様」
優しく語りかけるママの声は、絵本を読み聞かせしてくれる時の声に似てる。とても心地いい。
「だからね、ママが星になったら毎晩、探して欲しいな。ママの事」
「・・・・・・探したら、会えるの?」
「うん、会えるよ。未星ならきっと見つけられる。だから探してね?」
――星になる。不思議とその言葉は怖くなく、ストンと私の心に入った。
最後にママは、今までで一番の優しい笑顔をして言った。
「ママの星は、未星の事を永遠に見守る星だから。だから絶対、夜空にいるよ」
「ママの星! 絶対見つけるよ!」 そう言うと、ママは嬉しそうに笑った。私もつられて笑った。
§
ママが死んだ日、パパは膝を屈め、目を合わせて言った。
「ママは星になったんだ」
その言葉で十分だった。
ママは死んで、星になった。
その日、私はたくさん泣いた。そして泣きはらした目で私は、夜空を見上げた。
「・・・・・・ママ・・・・・・」
ベランダから夜空を眺め、ママの星を探す。けれど、夜空にはたくさんの星があった。
どれがママなのか分からなかったけれど、光っている星のひとつひとつが、みんなママの星のように思えた。
――ママの星は、未星の事を永遠に見守る星だから。だから絶対、夜空にいるよ。
ママの言葉を思い出しながら、私は夜空を見つめる――次の日も。また次の日も、夜になると星を見た。
寒い夜は、パパが毛布を肩に掛けてくれた。一緒になって夜空を眺める。パパが側にいてくれるだけで、落ち着いた。
一人になると、ママがいない事を思い出して悲しくなるから。
パパも、それを分かって側にいてくれるのかもしれない。あるいはパパも、一人だと悲しいから側にいてくれるのかもしれない。
私たちはまだ、ママのいない生活に慣れない。
§
ママが死んでから、幼稚園の送り迎えはパパがするようになった。
ママが送り迎えしてくれた時は、一度も遅れてきた事はなかったけれど、パパはお仕事で遅れて来たり、急いで来たりと大変そうだった。
だから私も、パパ遅いよ、とは言わなかった。
ある日。
「なぁ、お前のママどうしたの?」
クラスの友達の大介くんが何げなく言った。それはただの好奇心で、悪気のない言い方だった。けど、私の胸はチクリと痛む。
「・・・・・・ママ、死んじゃったんだ」
言った途端、ズシリと体が重く、沈むような感覚になった。
でも、と私は続ける。
「ママは死んだけど、星になったんだ」
自分に言い聞かせるように、私は言った。すると大介くんは一瞬キョトンとした顔をした。でもすぐに真顔で反論した。
「人は死んでも星にならないぞ? 俺のママが言ってたけど、星ってただの大きな石ころなんだ。人が星になるなんて、絶対嘘だよ」
「嘘じゃないよ! ママ言ってたもん!」
「じゃあママが嘘吐いてたって事だろ」
「ママの事ウソつき呼ばわりしないで!」
「でも普通に考えて有り得ないから」
大介くんは自分の意見を変える気はなさそうに、頑なにそう言うから、私はムカついて何度も嘘じゃないと言い続けた。私たちの騒ぎを聞きつけて他の子たちが集まってくると、事情を訊ねられるので話すと、みんな大介くんの方を信じる。
私は余計に腹が立って大声で嘘じゃないと言い続ける。でも誰も私の話を信じてくれない。ママの話を信じてくれない。
私は悲しくて、ついに涙が溢れた。 それは、ママを嘘吐き呼ばわりされたからだけじゃない、嘘じゃないとしか言えない自分の弱さが情けなくて出た涙だった。
§
その日の夜、私はベランダに出なかった。
リビングのソファーでしゃがみこんでいると、パパがソッと近付いてきて言った。
「・・・・・・未星、今日なにかあった?」
心配するパパの声に、私は胸が痛んで苦しくなった。すると、さっきクラスで喧嘩した事を思い出して、引っ込んだ筈の涙がまた溢れる。
「・・・・・・うぅぅう、く、クラスの男の子が、ぁ、ママ、いぃないって・・・・・・。ひ、人はしんでも、星に、なんて・・・・・・、っならないって!」
嗚咽でつっかえながら、私は言うと、パパは黙って私の隣に座った。そして優しい声で、いたわるように一言、「そっか」と呟く。
すると急に、心の奥に引っ込んだ怒りがまたよみがえる。
私はガバリと起き上がって、パパに迫る。
「でも嘘じゃないって私言ったよ! ママはウソつきじゃないもん! でも誰も信じてくれなかったのっ・・・・・・でも、ママは星になって私やパパを見守ってくれてるよ! ねぇ、パパそうでしょ・・・・・・!」
パパはすぐには答えなかった。
なにか考え込むような表情を浮かべて、なにか言おうとしていた。
やがてパパは、私の頭に手を置いて、ゆっくりと撫でてくれる。
「そうだね、未星の言う通りだよ。ママは星になって未星やパパを見守ってくれてる」
その言葉が救いだった。
すーっと、私の心にモヤモヤした気持ちが引いていく。
よかった、パパが信じてくれて。
私は気持ちが落ち着くと、パパは言った。
「星を見よう」
「・・・・・・うん」
目元を拭い、私は頷く。
そして、今日も夜空を見上げた。
§
私は小学生になり、周りの友達にはママの星の事は言わなくなっていた。
わざわざ言う事じゃないし、きっと誰も信じてくれない。
それに、あの言葉を思い出す度に胸が苦しくなる。
でも夜空を見上げる度に、ふと考えてしまう。
この星空の中に、本当にママはいる?
けれど、その答えを探そうとは思わなかった。――本当の事を知ってしまうのが怖かったから。
§
教室の隅でいつも一人で座っている男の子がいた。
望月真くんだ。
彼はクラスに友達がおらずいつも一人だった。体育や図工、音楽の時間でグループやペアを作る時、彼はいつも余り物だった。彼にも友達はいるのかもしれないけれど、二年生になってクラスが変わって皆、違うクラスになったのかもしれない。
でも彼は一人でいる事を気にしてる様子はなくて、いつも自分の席で本を読んでいる。
ふと私は、彼がどんな本を読んでいるのか気になった。それはただの気まぐれな好奇心だけれど、クラスで友達もいないのに堂々としてる彼自身が気になったというのもある。「望月くん、いつもなに読んでるの?」
彼の席まで近付いて、そっと声を掛ける。すると彼はゆっくりと顔を上げた。
「天見さん。珍しいね、僕に声を掛けるなんて」
彼の声を聞いて、私は少しだけ驚いた。他の子たちとは全然違う、大人っぽい喋り方だった。他の男子はぎゃんぎゃんうるさいのに、彼の声は、パパや先生みたいな落ち着いたトーンだった。
「いつも本読んでるから気になって」
すると望月くんはとくに面倒臭そう感じもなく、親切に本を閉じて表紙を見せてくれた。栞挟んでないけどよかったのかな? と思ったけれど、言うより先に私は目を奪われる。――その本のタイトルに。
『よくわかる! 宇宙と星のひみつ』
――・・・・・・星。
「宇宙の本、読んでるんだ」
途端、彼の興味が一気に上がった。「星、好きなの?」
私は訊ねると、彼はコクリと頷く。「うん、好き」
静かに頷く彼の表情は優しげで、その好きには愛着が感じられた。
――もしかしたら、彼はなにか知ってるかもしれない。
そう思った途端――、
「ママの星」
「え?」
私は思わず、呟いていた。
小学校に上がってからは、誰にもママの事は話してないのに。話すのが怖いと思っていたのに。でも彼はなにか知っているかもしれない。もしかしたら、ママの星の真実について知ってるかもしれない。
そう思ったら、つい呟いていた。
望月くんはキョトンとした顔をするから、私は付け加えて言った。
「ママがね、死んだら星になるって言ったんだ。だから幼稚園の頃、ずっと夜空を眺めてたんだけど、ママの言ってた事って本当?」
すると望月くんは黙り込む。
急にこんな話をされて困ったのかもしれない。もしかしたらバカにしてるかもしれない。
私は言った事を急に後悔する。けど、少しして望月くんは私の目を真っ直ぐに見た。その目は私をバカにするような感じはなくて、真剣そのものだった。
そして望月くんは言った。
「・・・・・・人は、死んでも星にならないよ」
その言い方に感情的な感じはなく、淡々としていた。だからこそ、彼の言葉が事実を言っているのだと分かった。
望月くんは再び本を開きながら、話を続ける。
「星って、ここにも書いてるけど、ガスの塊なんだ。ガスは気体だから物体ですらない。だから人は死んでも星にはなれないよ」
望月くんの言う事は難しくてよく分からなかったけれど、人は星にならないという事は分かった。
事実を聞かされて、私はショックを受けた――という事はその実なくて、意外とすんなりと受け入れている自分がいた。
幼稚園の時に、人は死んだら星になるという言葉を嘘だと言った、あの男の子と、言われている事実は一緒なのに、望月の言葉には傷付かなかった。
でも、彼の言葉にこそ傷付かなかったけれど、彼の言った事実には悲しくなった。
ママは死んだら星になる。
あの言葉は嘘だった。そして、一緒になって信じてくれたパパも、嘘を吐いていたんだ。
でも、不思議だ――悲しい筈なのに、胸が温かい。
でもそれは一つも矛盾してない。
確かにママは嘘を吐いた。でも、それは優しい嘘なんだ。私を傷付けないようにと吐いた、優しい嘘。そして一緒に嘘を吐いたパパも優しい。 すると不意に、望月くんが申し訳なさそうに謝った。
「ごめんね、事実を知りたいとは限らない事は分かってるけど、でも僕、宇宙や星が好きだから、そういうの、誤魔化したくないんだ」
望月くんは正直に自分の気持ちを話す。それは誠実で、だから彼の事を悪く言うつもりも、悪い感情が出てくる事もなかった。
「ううん、いいよ。本当の事言ってくれてありがとう」
私はそう言って笑いかけると、望月くんは少しだけ救われた様子だった。
「てゆうか星って、ガスなの? 石じゃなくて?」
私はふと、思い出してそう訊ねる。 すると望月くんはフッと笑う。それはバカにしたとかじゃなくて、気を許した時に見える笑い方だ。
「たぶんそれは隕石と勘違いしてるんだろうね。隕石は流れ星って言うもんね。天見さんが言ってる星って、夜空に光ってる星を指してると思うんだけど、あれは恒星って言って、隕石とはまた別ものだよ」
「へぇ、そうなんだ。私てっきり星って石なんだと思ってた。望月くんは詳しいねぇ。星博士だね」
思わぬ事実を知らされて私は驚くと共に、望月くんの物知りっぷりに驚く。
すると彼は照れ笑いを浮かべた。
「博士って言うほどのものじゃないよ」
そんな事ない。他の男子に聞いたってまともな返事は返ってこないだろう。望月くんはすごいよ。
「でもそっか、星は石じゃないのか」
そこで私は、ふと気付く。
幼稚園の時、ママの事をウソつき呼ばわりした子の事は信じてなかったのに、その子の言った星が石ころって言葉は信じてたなんて。
もしその子の言う事が嘘なら、星がただの石ころっていうのも嘘だと思うのが正しい筈なのに。
なんだか、よく分からない基準に振り回されていた自分がバカみたいだ。
私は吹っ切れた気持ちになると、望月くんがふと話を戻す。
「確かに人は星にはならないけど、それに近い話で言えば、星座があるよ?」
「正座? なにか悪い事したの?」
「いや、正座じゃなくて星座だよ。てゆうか天見さんの正座のイメージって悪い時に座らされるイメージなの?」
「カツオくんがよくさせられてるよね」
「なるほど。ともかく正座じゃなくて星座ね」
星座。
「夜空に光る星と星を繋いで作った形や名前の事だよ。ほら、星座占いとかで聞くでしょ? 蟹座とか牡牛座とか、蠍座とか」
「あー、確かに。あれ星座なんだ」
「星座って、全部じゃないけどそれぞれに物語があって、それは全部人が作ったものなんだ。だからさ、人は死んでも星座にはならないけど――想いは人を星座にするよ」
その言葉は私の心に届き、指先でぷにぷに触れらたような気がした。心は柔らかい事を知る。だから心ない言葉には棘があって痛いし、、優しい言葉は触れられて気持ちいいんだ。
「だから天見さんも見つけるといいよ。自分だけの星座。お母さんの星座を」
「出来るの? そんな事」
「出来るよ。星は無数にあるし、誰のものでもないんだから好きに作ればいいと思うよ。大事なのは、天見さんの気持ちだよ」
「望月くん、本当に私と同い年?」
背中見たらチャック付いてない? 中身は大人が入ってそう。
「でもありがとう。早速、今日探してみるね」
「見つかるといいね」
「うん」
今度こそ見つけるよ。
ママの星。星座を。
その日の夜、私は久しぶりにベランダに出た。小学校に入学してから星を探す事は少なくなっていた。だからパパは私の事を不思議そうに見やり、「どうしたの?」と訊ねる。
「今日ね、クラスの男の子に星について教えてもらったの」
私はいつもの、今日あった出来事を話すみたいに言うと、パパは少しだけ暗い顔をした。それがなぜだかは分かる。から、私は明るい声で続けた。
「その子は望月くんって言うんだけど、宇宙とか星が大好きなんだ。で、その子に聞いたんだけど、人は死んでも星にならないんだって。だからママの言った事は嘘だったんだ」
「・・・・・・お母さんは未星を傷付けない為に言ったんだ。その事は分かって欲」
「知ってる」
私は遮り、言った。
「知ってる。ママの吐いた嘘は、優しい嘘なんだって事。そしてパパも」
「・・・・・・未星」
私は怒ってないと伝える為に笑顔を向けると、ふとパパと目が合った。するとパパの目は潤んでいた。
その目は悲しい涙じゃないのは分かる。涙にも色んな涙があるんだろう。でもパパがそんな表情を見せるなんて珍しいから少し気まずい。
だから私は話を戻す。
「それと望月くんが言ってたんだけど、人は死んでも星にならないけど、想いは人を星座にするって。だから今日はママの星座を探そうと思うの」
「なるほど、星座か」
「うん。だからパパも一緒に探して。ママの星座」
「いいよ、探そう」
そうして私たちは夜空を指差し、ママの姿を探す。ママの姿を重ねる。




