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第93話:戦争が残した深い傷跡

雲の上の、とある静かな夜。

天界の執務室に、ノエルは一人でいました。


窓の外には、星が瞬いています。

書類整理の手を止めて、ノエルは空を眺めました。


昼間のことが、まだ心に残っていました。

訓練場でのミカエルとレヴィアタンの姿。


二人は、かつて戦場で剣を交えた相手です。

でも今は、違う。新しい関係が、そこに芽生えようとしていました。


ノエルは、小さく息を吐きました。

戦争という言葉の重みを、改めて感じます。


扉が、静かに開きました。


「まだ起きていたのですか」

ガブリエル嬢の声でした。


「ガブリエル嬢」

ノエルは、振り返ります。


彼女は、いつものようにゆったりとした歩みで入ってきました。

手には、温かい光蜜水が二つ。


「夜更かしは体に良くないですよ」

そう言いながら、ガブリエル嬢は一つをノエルに渡しました。


「ありがとうございます」

ノエルは、それを受け取ります。


二人は、窓辺に並んで座りました。

光蜜水の温かさが、手のひらに伝わります。


「昼間、訓練場にいたそうですね」

ガブリエル嬢が、静かに言いました。


「はい」

ノエルは、頷きました。

「ミカエル様とレヴィアタン様が……」


「ええ、聞きました」

ガブリエル嬢は、光蜜水を一口飲みました。

「良いことです」


ノエルは、彼女の横顔を見ました。

穏やかな表情です。でも、その瞳には、何か深いものが宿っているように見えました。


「ガブリエル嬢」

ノエルは、少し迷いました。

それでも、尋ねます。

「戦争のこと……どれくらい、覚えていらっしゃいますか」


ガブリエル嬢は、少しだけ目を細めました。


「全部、です」


その声は、いつもより少しだけ低く聞こえました。


「戦場の景色も、戦った相手の顔も」

彼女は、星空を見上げます。

「忘れたくても、忘れられません」


ノエルは、黙って聞いていました。


「でも」

ガブリエル嬢は、小さく笑いました。

「それで良いのです」

「忘れてはいけないことも、あるのですから」


窓の外を、風が吹き抜けていきます。

星が、静かに瞬きました。


「ミカエル様も、きっと」

ノエルは、言葉を選びました。

「色々な記憶を、抱えていらっしゃるのでしょうね」


「ええ」

ガブリエル嬢は、頷きました。

「あの方は、誰よりも多くの戦いを経験しました」

「だからこそ、今の優しさがあるのです」


ノエルは、昼間のミカエルの姿を思い出しました。

レヴィアタンの言葉に照れていた、あの表情。


「レヴィアタン様も、同じですね」

ガブリエル嬢が、続けました。

「あの方は、戦場で多くの仲間を失いました」

「だから今、誰かを褒めることを忘れないのです」


ノエルは、息を飲みました。

レヴィアタンの、あの素直な賞賛。


それは、失った仲間たちへの想いでもあったのかもしれません。


「みんな」

ガブリエル嬢の声が、とても優しく響きました。

「傷を抱えています」

「でも、それを乗り越えて、今を生きているのです」


ノエルは、光蜜水を飲みました。

温かさが、胸に広がります。


翌日の午後。

ノエルは、ラファエル師匠の治癒の間を訪れました。


師匠は、薬草の整理をしていました。


「やあ、ノエル」

ラファエルは、いつもの穏やかな笑みを見せます。

「どうしたんだい」


「少し、お話を聞きたくて」

ノエルは、正直に言いました。


「お話?」

ラファエルは、手を止めました。


「戦争のこと、です」


ラファエルの表情が、わずかに曇りました。

それでも、笑みは消えません。


「そうか」

彼は、椅子を勧めました。

「座りなさい」


二人は、向かい合って座ります。


「僕は、治癒を担当していました」

ラファエルは、静かに語り始めました。

「戦場で傷ついた仲間たちを、治すのが役目でした」


ノエルは、黙って聞いていました。


「でもね」

ラファエルの声が、少しだけ震えました。

「治せない傷も、たくさんあったんです」


窓から差し込む光が、師匠の横顔を照らしています。


「体の傷は、治せました」

ラファエルは、続けます。

「でも、心の傷は……」


彼は、言葉を切りました。


「今でも思い出します」

ラファエルは、目を閉じました。

「助けられなかった仲間たちのことを」


ノエルは、胸が痛みました。

いつも優しく、穏やかな師匠。


その笑顔の裏に、こんな重い記憶があったとは。


「だから僕は」

ラファエルが、目を開けました。

「今、一人でも多くの人を癒したいんです」

「当時できなかったことを、今やりたい」


その瞳は、決意に満ちていました。


「師匠……」

ノエルは、言葉に詰まりました。


「大丈夫」

ラファエルは、また笑顔を見せます。

「過去は変えられない」

「でも、未来は変えられる」

「君も、そう思うだろう?」


ノエルは、頷きました。


夕方。

ノエルは、中庭でウリエルと出会いました。


彼女は、お茶の準備をしているところでした。


「ノエル」

ウリエルは、冷静な声で言いました。

「お茶、いかがですか」


「ありがとうございます」

ノエルは、誘いに応じました。


二人は、テーブルを挟んで座ります。

ウリエルが淹れたお茶は、完璧な温度でした。


「戦争のこと、聞いて回っているそうですね」

ウリエルは、単刀直入に言いました。


「はい」

ノエルは、驚きませんでした。

天界は狭い。情報は、すぐに広まります。


「私も、話しましょう」

ウリエルは、お茶を一口飲みました。

「聞きたいのでしょう」


ノエルは、頷きました。


「私は、審判を担当していました」

ウリエルの声は、いつもより少し重く響きました。

「敵の処遇を決める役目です」


彼女は、カップを置きました。


「多くの決断をしました」

ウリエルは、まっすぐにノエルを見ます。

「今でも、それが正しかったのか、分かりません」


「でも」

彼女は、続けました。

「あの時は、それしか選べなかった」

「だから、今は違う選択をしたいのです」


「違う選択……」

ノエルは、繰り返しました。


「ええ」

ウリエルは、小さく微笑みました。

「だから、お茶会を開くのです」

「みんなで集まって、笑い合える場所を作りたい」

「それが、私なりの償いです」


ノエルは、彼女の言葉の重さを感じました。

お茶会への情熱。それは、単なる趣味ではなかったのです。


夜。

ノエルは、再び執務室にいました。


一日で聞いた話が、頭の中で巡ります。


ミカエルの戦い。

ラファエルの後悔。

ウリエルの決断。


みんな、傷を抱えていました。

でも、それを乗り越えて、今を生きている。


扉が開きました。

ガブリエル嬢が、また訪れたのです。


「今日は、色々聞いたそうですね」

彼女は、ノエルの隣に座りました。


「はい」

ノエルは、正直に答えます。

「みんな……本当に」


言葉が、続きませんでした。


「辛いことも、知ってしまいましたね」

ガブリエル嬢は、優しく言いました。


「でも」

ノエルは、顔を上げます。

「知って良かったです」

「みんなの強さが、よく分かりました」


ガブリエル嬢は、微笑みました。


「そう言ってくれると、嬉しいです」


二人は、しばらく黙っていました。

静かな時間が、流れます。


「戦争は、終わりました」

ガブリエル嬢が、静かに言いました。

「でも、傷は残ります」

「それでも、前に進むのです」


ノエルは、頷きました。


「私も、そうです」

ガブリエル嬢は、続けます。

「今でも、夢に見ることがあります」

「でも、それで良いのです」


彼女は、窓の外を見ました。


「忘れてはいけないことを、覚えているから」

「今の平和を、大切にできるのです」


ノエルは、彼女の横顔を見つめました。

その表情は、穏やかでした。でも、その奥に、深い強さが宿っています。


「ノエル」

ガブリエル嬢が、こちらを向きました。

「あなたも、いつか傷を負うかもしれません」


「はい」

ノエルは、真剣に答えました。


「でも、大丈夫」

ガブリエル嬢は、微笑みます。

「傷は、人を弱くしません」

「むしろ、強くするのです」


その言葉に、ノエルは深く頷きました。


雲の向こうで、星が輝いています。

平和な夜空の下で、二人は静かに座っていました。


傷跡を知ることは、辛いことでした。

でも同時に、仲間たちの強さを知ることでもありました。


ノエルは、心に刻みます。

この平和が、どれほど貴重なものか。

そして、それを守る人々の強さを。


明日も、天界は穏やかに朝を迎えるでしょう。

傷を抱えながらも、みんなは笑顔で働くのです。


それが、今を生きるということでした。

## あとがき


過去の傷跡は、決して消えることはありません。でも、それを抱えながら前に進む姿には、何よりも強い光が宿っています。明日への希望は、そこから生まれるのかもしれません。

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