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第9話:道しるべを見失った午後

雲海に午後の光が穏やかに差し込む頃、ノエルは統務庁からの呼び出しを受けました。

サリエル様から直接、重要な書類配達の依頼があるとのことです。


統務庁の建物に足を踏み入れると、いつものように完璧に整理整頓された空間が広がっていました。書類は種類別に分類され、家具は直角に配置され、すべてが規則正しく美しく配列されています。


「お疲れさまです、ノエル」

声の主を振り返ると、サリエル様が几帳面な姿勢で立っていました。


金色の髪をきちんと結い上げ、制服にも一切の乱れがありません。手には厚い書類の束と、詳細に記された配達先のリストを持っています。


「規則によると、重要書類の配達は複数名で行うことになっています」

サリエル様の説明は、いつものように正確で明瞭でした。


「今回は天界の北東区画にある『調和の館』まで、特急案件をお届けしなければなりません」


ノエルは頷きながら、任務の詳細を確認しました。

調和の館——天界でも奥まった場所にある、重要な会議施設です。これまで一度も訪れたことのない場所でした。


「きちんとしなければ」

サリエル様は地図を取り出しながら、責任感に満ちた表情を見せました。


二人は統務庁を出発し、雲の散歩道を歩き始めました。

最初の道のりは順調でした。サリエル様の手には詳細な天界地図があり、建物の番号や通りの名前を正確に確認しながら進んでいきます。


「この角を右に曲がって、三つ目の雲橋を渡ります」

彼女の指示は的確で、ノエルは安心して後に続きました。


しかし、天界の北東区画に入った頃から、様子が変わり始めました。


「えっと……」

サリエル様が地図を見つめながら、わずかに首をかしげます。


「北は……こちらでしたでしょうか」


周囲を見回すと、確かに景色が似たような雲の建物ばかりで、方角を判断するのは困難でした。太陽も雲に隠れがちで、方位を示す手がかりが少ないのです。


「地図によると、ここを左に行けば……」

サリエル様の声に、わずかな不安が混じり始めました。


十分ほど歩いた後、明らかに道を間違えていることが判明しました。

目の前にあるのは、地図には記載されていない小さな雲の庭園です。


「申し訳ありません!」

サリエル様の顔が、見る見るうちに青ざめていきました。


「私としたことが……重要な任務なのに」


普段の完璧な統制力とは打って変わって、彼女の動揺は隠しきれませんでした。几帳面で責任感の強い性格ゆえに、このような失敗は特に辛いのでしょう。


「大丈夫です。一緒に確認しましょう」

ノエルは落ち着いた声で提案しました。


二人は雲のベンチに腰を下ろし、地図を広げることにしました。サリエル様は地図を手に取りますが、手が微かに震えています。


「どうしましょう……」

彼女の声は、いつもの威厳ある口調とは全く異なり、頼りなささえ感じられました。


ノエルは隣に座り、地図を一緒に見ることを提案しました。

「こちらから、もう一度確認してみませんか?」


地図を挟んで肩を寄せ合うような形になった時、ノエルは初めてサリエル様の別の一面を間近で感じました。

普段の厳格さの下に隠された、人間らしい不安と弱さ。そして、それを必死に隠そうとする健気さ。


「ここが現在地だとすると……」

ノエルが地図上の位置を指差しながら説明します。


「はい、そうですね」

サリエル様は真剣に聞き入っています。


二人で地図を見つめる時間は、静かで親密な雰囲気に包まれていました。任務への責任感を共有し、問題を一緒に解決しようとする協力関係の美しさ。


「あ、わかりました」

やがて、ノエルが正しい道筋を発見しました。


「この道を戻って、あの雲の噴水のところで右に曲がればよいのですね」


サリエル様の表情に、安堵の色が浮かびました。

「ありがとうございます。一人では……」


その時、彼女の言葉が途切れました。自分の弱さを認めることへの複雑な気持ちが、表情に現れています。


「僕も、一人だったら絶対に迷っていました」

ノエルは自然に言いました。


「二人だからこそ、解決できたのだと思います」


この言葉に、サリエル様の表情が和らぎました。

失敗を共有することで、むしろ連帯感が生まれたのです。


正しい道を歩き始めると、サリエル様は次第にいつもの調子を取り戻していきました。しかし、時折ノエルに確認を求める様子には、先ほどまでの体験が影響しているようです。


「こちらの方向で間違いないでしょうか?」

「はい、地図通りです」


このやりとりには、対等な協力関係の芽生えが感じられました。上司と部下という関係を超えた、お互いを支え合う関係性の始まり。


調和の館に到着した時、二人は達成感を共有していました。

書類の配達を無事に完了し、任務を成功させることができたのです。


帰り道、サリエル様が静かに口を開きました。

「今日は、ありがとうございました」


「いえ、僕の方こそ勉強になりました」

ノエルの答えは、心からの言葉でした。


完璧に見える人にも苦手なことがあり、そんな時に支え合うことの大切さを学んだのです。そして、弱さを見せることが、かえって人間関係を深めることもあるのだと。


「実は、方向感覚だけは昔から苦手で……」

サリエル様の告白には、少し恥ずかしそうな響きがありました。


「でも、今日のように一緒に確認してくださる方がいれば、安心できます」


この言葉には、深い信頼の気持ちが込められていました。完璧主義者である彼女が、自分の弱点を認め、他者への信頼を表明する貴重な瞬間でした。


統務庁に戻った頃、夕日が雲海を美しく染めていました。

一日の任務を終えた充実感と、新たな関係性への期待感が、二人の心を満たしています。


「また、ご一緒に任務を行う機会がありましたら」

「ぜひ、お願いします」


別れ際の挨拶には、これまでとは異なる温かさがありました。困難を共に乗り越えた仲間としての絆が、確実に芽生えていたのです。


宿舎に戻ったノエルは、今日の体験を静かに振り返りました。

完璧主義者のサリエル様が見せた人間らしい一面。そして、お互いの弱さを補い合うことで生まれる、新しい関係性の可能性。


「……尊い」

今日もまた、この言葉が自然に浮かんできました。


人の弱さを知ることは、その人をより深く理解することでもあります。そして、弱さを共有することで生まれる絆は、表面的な関係よりもずっと強く、美しいものなのかもしれません。


夜が更け、雲海に静寂が戻った頃、ノエルは明日への期待を胸に眠りにつきました。

また新しい発見があるかもしれない。そして、今日のような温かい協力関係を、他の人たちとも築いていけるかもしれない。


遠くの統務庁では、サリエル様が明日の業務予定を整理しながら、今日の出来事を思い返しているかもしれません。一人で抱え込まずに、信頼できる仲間と協力することの大切さを、改めて実感しながら。


道に迷うという小さなハプニングが、予期せぬ絆を生み出した一日。その美しい偶然に感謝しながら、ノエルは穏やかな眠りに包まれていきました。

## あとがき


完璧主義者のサリエルが唯一苦手とする方向感覚を通じて、弱さを共有することで生まれる美しい絆を描いた物語でした。日常の小さなハプニングが育む予期せぬ親密さと、お互いを支え合う関係性の芽生えをお届けしました。次回は、神秘的な美貌を持つ天使の意外すぎる素顔に、ノエルがどのような驚きを感じるのでしょうか。

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