第85話:剣を交えた過去の重み
魔界の宮殿、訓練場。
ミカエルが、そこにいました。
天界の戦士長が、魔界を訪れているのです。平和協定に基づく、定期的な交流の一環でした。
「久しぶりだな」
ミカエルが、前を見て言います。
そこには、アスモデウスが立っていました。
二人の間に、静かな緊張が漂います。
ノエルは、少し離れた場所で見ていました。
ガブリエル嬢と共に、この場に同席していたのです。
「ああ」
アスモデウスが、頷きます。
「元気そうで何よりだ」
その言葉は、穏やかでした。
でも、二人の間には、言葉にならない何かがありました。
「稽古を、つけてもらえるか」
ミカエルが、尋ねます。
「もちろん」
アスモデウスが、剣を構えました。
二人の稽古が、始まります。
剣と剣が、ぶつかりました。
金属音が、訓練場に響きます。速い——どちらも、素早い動きです。
ノエルは、息を呑んで見ていました。
これが、戦いなのだと。たとえ稽古でも、その迫力は本物でした。
ミカエルの攻撃が、鋭く繰り出されます。
アスモデウスは、それを受け流しました。反撃——それも、見事に防がれます。
互角でした。
どちらも、一歩も譲りません。
「やはり、強いな」
ミカエルが、剣を交えながら言います。
「お互い様だ」
アスモデウスが、応えました。
稽古は、続きます。
二人の動きに、無駄がありません。長年の鍛錬が、滲み出ています。
やがて、区切りがつきました。
二人は、剣を下ろします。
「……昔を、思い出すな」
ミカエルが、静かに言いました。
その声に、重みがありました。
「ああ」
アスモデウスも、頷きます。
「あの頃は……」
言葉が、途切れます。
二人の間に、沈黙が落ちました。
ノエルは、その様子を見ていました。
昔——戦争の時のことでしょう。二人は、激しく戦ったのです。
「水を、持ってきます」
給仕が、水差しを運んできました。
二人は、ベンチに座ります。
水を飲みながら、しばらく黙っていました。
ノエルとガブリエル嬢も、近くに座ります。
静かな時間が、流れていきました。
「あの時は、本気だった」
ミカエルが、ようやく口を開きます。
「お前を倒さなければ、と思っていた」
「私もだ」
アスモデウスが、応えます。
「負けられない、と」
その言葉に、当時の緊迫感が滲んでいました。
「何度、戦ったかな」
ミカエルが、遠くを見ます。
「数えきれない」
アスモデウスが、苦笑します。
二人は、何度も何度も戦場で相まみえたのでしょう。
命をかけた戦い——その記憶が、今も残っているのです。
「傷も、たくさん負った」
ミカエルが、自分の腕を見ます。
「今も、痕が残っている」
「私もだ」
アスモデウスが、頷きました。
傷痕——それは、戦争の証でした。
癒えても、完全には消えない。過去の記憶を、体が覚えているのです。
「でも」
ミカエルが、アスモデウスを見ます。
「今は、こうして稽古ができる」
その声が、やわらかくなりました。
「ああ」
アスモデウスも、微笑みます。
「不思議なものだな」
二人の表情が、穏やかでした。
かつての敵が、今は稽古相手。その変化を、噛みしめているようです。
「お前の剣技は、素晴らしい」
ミカエルが、率直に言います。
「昔から、そう思っていた」
「お前もだ」
アスモデウスが、応えました。
「戦いながら、尊敬していた」
その言葉に、驚きました。
戦いながら、尊敬——そんなことがあるのでしょうか。
「敵だからこそ、分かることがある」
ミカエルが、言います。
「相手の強さ、覚悟、生き様」
「命をかけて向き合うからこそ」
アスモデウスが、続けます。
「理解できるものがある」
ノエルは、静かに聞いていました。
戦争——それは、悲しいことです。でも、その中でも、人は相手を理解しようとするのでしょうか。
「だから、今がある」
ミカエルが、立ち上がります。
「あの戦いがあったから、今の関係がある」
その言葉が、深かったです。
過去を否定するのではなく、受け入れている——そんな強さを感じました。
「もう一度、やるか」
ミカエルが、剣を構えます。
「ああ」
アスモデウスも、立ち上がりました。
稽古が、再開します。
でも、先ほどとは少し違っていました。緊張が解けて、楽しんでいるようです。
剣がぶつかり、離れ、また交わります。
二人の動きが、まるで舞のようでした。
ノエルは、思いました。
これが、和解なのだと。過去を忘れるのではなく、受け入れて前に進む。そうやって、新しい関係が生まれるのだと。
稽古が終わりました。
二人は、満足そうに笑っています。
「良い稽古だった」
ミカエルが、言います。
「また、やろう」
アスモデウスが、応えました。
その約束が、温かかったです。
ガブリエル嬢が、静かに立ち上がります。
「お二人とも、お疲れさまでした」
その声が、優しく響きました。
訓練場を出ると、魔界の空が広がっています。
紫の空が、静かに色を変えていました。
ノエルは、胸に刻みました。
戦争の傷——それは、消えません。でも、それを乗り越えて、新しい関係を築ける。人には、そんな力があるのだと。
かつて敵だった二人が、今は互いを尊敬し合っている。
その姿が、希望を感じさせました。
平和——それは、簡単には訪れません。
でも、諦めずに向き合えば、必ず道は開ける。そう信じたくなりました。
魔界の夕暮れは、静かに深まっていきます。
## あとがき
剣を交えた過去が、今は尊敬の礎となっていました。傷は消えなくても、新しい関係は築ける。和解とは、過去を受け入れて前に進むこと。次の物語でも、絆の深さを知ります。




