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第8話:雲上のお茶会マスター

雲海に午後の陽光が降り注ぐ頃、ノエルは審判庁への書類配達を任されました。

ガブリエル嬢からの重要な案件についての連絡書を、ウリエル様にお渡しするのです。


審判庁の建物は、いつ見ても厳格で重厚な雰囲気を醸し出していました。

正義と公正を司る部署にふさわしい、威厳に満ちた造りです。受付で来訪を告げると、ウリエル様の私室まで案内されました。


扉の前で、ノエルは軽くノックをします。

「失礼いたします、ウリエル様。ガブリエル嬢からの書類をお持ちしました」


「どうぞ、入ってください」

聞こえてきたのは、いつもの冷静で知的な声でした。


扉を開けて部屋に入ると、デスクワークに集中しているウリエル様の姿がありました。きちんと整えられた銀髪、凛とした表情、そして完璧に整理整頓された執務環境。すべてが彼女の几帳面で理性的な性格を表しています。


「ありがとうございます。こちらに置いてください」

ウリエル様は顔を上げ、指定した場所を示しました。


その時でした。

ノエルが書類を置こうとして振り返った瞬間、部屋の片隅にある美しい棚の存在に気づいたのです。


そこには、見事に整理された茶器類が並んでいました。

天界各地の名工が手がけた茶碗、人間界から取り寄せられた希少な茶葉の缶、精巧な細工が施された茶筅や茶杓。どれも一級品ばかりで、まるで茶道の博物館のような充実ぶりです。


さらに驚いたのは、それぞれの茶葉に添えられた詳細なメモでした。

産地、製法、最適な湯温、抽出時間まで、学術的とも言える精密さで記録されています。


「あの……」

思わず声が漏れたノエルに、ウリエル様の視線が向けられます。


「ああ、茶器をご覧になったのですね」

彼女の表情に、わずかな誇らしさが浮かびました。


「お茶会の準備はお任せください」

その声には、普段の冷静さに加えて、確かな自信が込められています。


ノエルは改めて棚を見回しました。これほど本格的で体系的なコレクションは、単なる趣味の域を遥かに超えています。まさにプロフェッショナルの道具立てでした。


「すごい知識をお持ちなのですね」

率直な感想を述べると、ウリエル様の目が輝きました。


「そうですね。お茶というものは、単なる飲み物ではありません」

普段の静かな口調が、次第に情熱的な響きを帯びてきます。


「茶葉の選定から始まり、水の温度、抽出時間、茶器との相性……すべてが調和した時、初めて完璧な一杯が生まれるのです」


話し始めると、ウリエル様の表情は明らかに変わりました。

審判者としての厳格さは残りながらも、専門分野への深い愛情と知識が溢れ出しています。


「この茶葉は天界東区画の『雲霧茶園』の特別品で、朝露と共に摘まれた新芽のみを使用しています。湯温は85度、抽出時間は2分30秒が最適です」


手に取った茶葉の缶を見つめる瞳には、芸術家が作品を語る時のような輝きがありました。


「こちらの茶碗は、天界の名工・雲月斎の作品です。この微妙な厚みと曲線が、お茶の香りを最大限に引き立てるのです」


ノエルは聞き入っていました。

知的で冷静なウリエル様が、これほど情熱的に語る姿を見るのは初めてです。専門知識の深さはもちろん、それを語る時の生き生きとした表情が印象的でした。


「もし、よろしければ……」

ウリエル様が、静かに提案しました。


「今度、お茶会を開催いたします。せっかくですから、ノエルにも参加していただけませんか?」


「ぜひ、参加させてください」

ノエルは喜んで承諾しました。


「では、準備を始めましょう」

ウリエル様の表情に、企画者としての責任感と喜びが浮かびました。


書類の件を終えて、ノエルはウリエル様と共にお茶会の計画を立てることになりました。参加者の好み、季節に合わせた茶葉の選定、会場の設営まで、すべてに彼女の細やかな配慮が行き届いています。


「ガブリエル嬢はまろやかな味がお好みでしょうから、この雲霧茶がよろしいでしょう」

「ラファエル様には、癒し効果の高いこちらの薬草茶を」


一人一人の特性を考慮した茶葉の選定に、ノエルは深い感動を覚えました。これは単なる知識の披露ではなく、参加者への心からの気遣いです。


「お茶会とは、お茶を飲むだけの場ではありません」

ウリエル様の言葉には、哲学的な深みがありました。


「参加者が心を開き、真の交流を深める場なのです。そのためには、環境のすべてが調和していなければなりません」


会場の配置、お茶菓子の選定、BGMに至るまで、すべてに意味と目的がありました。完璧主義者として知られるウリエル様の真骨頂が、このお茶会企画に現れています。


夕方になり、お茶会の準備が一段落した頃、ノエルは改めてウリエル様への尊敬の念を深めていました。

審判という重責を担いながらも、人々の心を和ませる場を創造する技術を極めている。その両面性の美しさに、深い感銘を受けたのです。


「……尊い」

心からの感嘆の言葉が、自然に口をつきました。


完璧を追求することが、決して冷たいものではないのだと学んだ一日でした。ウリエル様の完璧主義は、参加者への深い愛情に基づいているのです。


「明日から準備を本格化いたします」

ウリエル様の声には、大きなプロジェクトを成功させる責任者としての気概が込められていました。


「楽しみにしています」

ノエルの答えは、心からの言葉でした。


審判庁を後にする時、ノエルの心は温かい期待で満たされていました。

厳格で知的なウリエル様が持つ、人を幸せにする技術の素晴らしさ。そして、完璧を追求することが愛情表現でもあるという発見。


夕方の雲海を歩きながら、ノエルは今日の出来事を振り返りました。

お茶会という文化的な活動を通じて、人々の心を豊かにしようとするウリエル様の姿勢に、新たな尊敬の念を抱いたのです。


数日後に迫ったお茶会が、とても楽しみになりました。

ウリエル様の完璧な準備による、心温まる時間を過ごすことができるでしょう。


夜が更け、雲海に星が瞬く頃、ノエルは一つ確信していました。

天界で働く人々は皆、それぞれに人を幸せにする特別な技術を持っているのだと。そして、その技術への情熱を知ることで、人への理解と感謝がより深くなるのだと。


明日もまた、新しい発見があるかもしれません。

そんな期待を胸に、ノエルは静かな夜を過ごしました。


遠くの審判庁では、ウリエル様が明日の準備のためのメモを整理しながら、完璧なお茶会の実現に向けて最終確認をしているかもしれません。参加者全員が心から楽しめる時間を作り上げるという、美しい使命感を胸に。


やがて開催されるお茶会では、きっと皆が心を開いて交流を深めることでしょう。ウリエル様の技術と愛情が生み出す、かけがえのない時間を期待しながら。

## あとがき


知的で冷静なウリエルが見せたお茶会マスターとしての情熱的な一面を通じて、完璧主義が愛情表現でもあることを描いた物語でした。専門技術への深い知識と、それを人の幸せのために活用する心の美しさをお届けしました。次回は、真面目な委員長気質の天使が見せる意外な弱点に、ノエルがどのような優しさで応えるのでしょうか。

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