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第7話:師の天然な導き

雲海に朝露が輝く頃、ノエルは治癒庁の一室で、生まれて初めて師匠と呼ぶ方との面会を待っていました。

ラファエル様——天界でも指折りの治癒術師であり、多くの天使の指導経験をお持ちの方です。


扉が開くと、穏やかな微笑みを浮かべた天使が入ってきました。

柔らかい金髪と優しい瞳、そして何となくのんびりとした雰囲気。それがノエルの新しい師匠でした。


「おはようございます、ノエル君。私がラファエルです」

温かい声が、朝の静寂に優しく響きました。


「はじめまして、ラファエル様。よろしくお願いいたします」

ノエルは深く一礼しました。緊張の中にも、師匠の穏やかな雰囲気に安心感を覚えます。


「そうですね〜、まずは私の指導方針をお話ししましょうか」

ラファエルは椅子に腰掛けると、ゆったりとした調子で話し始めました。


「私は『焦らず、優しく、着実に』を大切にしています。急いで成長しようとするより、一歩ずつ確実に歩んでいく方が、結果的には早く目標に到達できるものですよ」


なるほど、と ノエルは頷きました。

確かに理に適った考え方です。しかし、その直後に起こった出来事が、ノエルの心に小さな困惑を生みました。


「あれ?今日は戦闘訓練でしたっけ?」

ラファエルが、きょとんとした表情で首をかしげたのです。


ノエルは慌てて答えました。

「いえ、今日は基礎の神託受信について教えていただく予定でした」


「あっ、そうでしたね〜。えっと……神託の基礎でしたか」

師匠の表情には、どこか頼りなさが漂っています。


(大丈夫だろうか……)

ノエルの心に、小さな不安がよぎりました。


これほど著名な方なのに、こんなにもうっかりしておられるとは。本当に適切な指導を受けられるのでしょうか。


しかし、実際に神託の指導が始まると、ノエルの心配は杞憂であることがわかりました。


「神託受信の基本は、心を空にすることです」

ラファエルの説明は、わかりやすく丁寧でした。


「難しく考える必要はありません。まるで雲海の風を感じるように、自然に神意を受け入れてください」


その指導ぶりは、先ほどのうっかりぶりとは打って変わって的確でした。複雑な技術を簡潔な言葉で説明し、ノエルの理解度に合わせて進めていく。まさにプロフェッショナルな指導者の姿がありました。


「大丈夫、大丈夫。最初はうまくいかなくて当然ですから」

ノエルが神託の受信に失敗しても、ラファエルは決して焦らせることがありません。


「では、もう一度やってみましょう。今度は息を吸うタイミングを少し変えて」


その優しさは、表面的な甘さではありませんでした。

確実に上達に導く的確なアドバイスと共に示される、深い愛情に基づいた配慮。厳しさと優しさが絶妙なバランスで調和していました。


午前中の訓練が終わる頃、ノエルは師匠への印象が大きく変わっていることに気づきました。

確かにうっかりしておられることは多いけれど、教えることに関しては本物の技術をお持ちです。


昼食の時間になると、また別の面が見えました。

「あっ、お弁当を持参するの、忘れてしまいました」

ラファエルが困ったような顔をしています。


「それでしたら、天界の食堂で一緒にいただきませんか?」

ノエルの提案に、師匠は嬉しそうに微笑みました。


「ありがとう、助かります。実は方向感覚もあまり得意ではなくて……」


食堂への道中、ラファエルは案の定、二度ほど道を間違えました。

しかし、その度に「あれ〜?」と首をかしげる様子が、なぜかとても微笑ましく感じられます。


「すみません、情けない師匠で」

「いえ、そんなことありません」

ノエルの答えは、心からの言葉でした。


確かに日常的なことでは少し頼りないかもしれません。けれど、本当に大切なことについては、これ以上ないほど頼りになる方なのだと理解していました。


午後の訓練は、飛行技術の基礎でした。

「飛行も、焦らないことが大切ですね」

ラファエルの指導は、ここでも一貫していました。


「無理に高く飛ぼうとせず、まずは安定した姿勢を保つことから始めましょう」


ノエルの飛行は、まだまだふらつきがちでした。

しかし、師匠は決して急がせようとはしません。


「そうそう、今のは良いバランスでしたよ。着実に上達していますね」


小さな進歩も見逃さず、必ず褒めてくださる。その温かい励ましが、ノエルの心を支えました。


夕方になり、今日の訓練が終わりに近づいた頃、ノエルは改めて師匠について考えていました。

最初に抱いた不安は、完全に消え去っています。


「ラファエル様」

「はい?」

「今日一日、ありがとうございました。とても勉強になりました」


師匠の顔に、温かい笑顔が浮かびました。

「それは良かった。明日からも、一緒に頑張りましょうね」


「はい。『焦らず、優しく、着実に』ですね」

ノエルが師匠の言葉を繰り返すと、ラファエルは嬉しそうに頷きました。


「その通りです。急がば回れ、という言葉もありますからね」


別れ際、ラファエルがまた道を間違えそうになったのを、ノエルがそっと正しい方向を教えました。

「あっ、ありがとう。助かります」


その自然なやりとりに、師弟関係を超えた温かい絆を感じました。

完璧でない部分があるからこそ、親しみやすく、人間味があるのかもしれません。


夜になり、宿舎に戻ったノエルは、今日の体験を静かに振り返りました。

師匠の天然な一面を改めて深く知ることができた一日でした。


これまでも優しく的確な指導をしてくださることは知っていましたが、ここまで日常的なことで頼りないとは思っていませんでした。しかし、それがかえって師匠の魅力を際立たせているのです。


失敗を恐れさせず、小さな成長を大切にしてくださる。

そして、自分自身も完璧ではないことを隠さず、親しみやすさを保ってくださる。


「……尊い」

今日もまた、この言葉が自然に浮かんできました。


完璧さとは異なる種類の尊さがあるのだと、ノエルは学んだのです。人を安心させ、成長を促し、温かい関係を築く能力。それもまた、とても尊敬すべき資質でした。


翌朝の訓練が楽しみになってきました。

きっとまた、師匠のうっかりぶりを目撃することになるでしょう。そして同時に、的確で温かい指導を受けることもできるはずです。


「焦らず、優しく、着実に」

師匠の指導方針を胸に、ノエルは新しい学びの日々への期待を膨らませました。


完璧でなくても、いえ、完璧でないからこそ持つことのできる魅力。人を育てることの本当の意味。そして、師匠と弟子が共に成長していく関係の美しさ。


多くのことを学んだ一日でした。明日からも、この温かい指導のもとで、着実に成長していこうという決意が、静かにノエルの心に根付いていました。


師匠の天然ぶりも含めて、すべてが愛すべき個性なのだと理解した夜、雲海には穏やかな月光が注いでいました。完璧でない美しさを教えてくれた、かけがえのない師匠への感謝を胸に。

## あとがき


天然で親しみやすいラファエルの人柄と、その奥にある確かな指導力を通じて、完璧でない美しさとは何かを静かに描いた物語でした。師弟関係の温かさと、お互いを補い合いながら成長していく関係性をお届けしました。次回は、知的で冷静な天使の隠された意外な一面が、どのような微笑ましい発見をもたらすのでしょうか。

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