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第6話:戦士の柔らかな一面

雲海に午後の陽光が差し込む頃、天界の中庭で小さな騒動が起こりました。

ノエルが書類配達の帰り道に通りかかると、雲の植え込みの陰から細い鳴き声が聞こえてきます。


「クーン、クーン……」

か細くて、どこか不安そうな声でした。


近づいてみると、白い毛玉のような小さな子犬が、震えながら座り込んでいます。雲上で迷子になってしまったのでしょうか。つぶらな瞳は不安そうに辺りを見回し、小さな体は心細さに震えていました。


「あら、どうしたのでしょう」

ノエルがしゃがみ込んで様子を見ていると、背後から威厳ある足音が響きました。


振り返ると、戦士長ミカエルが近づいてきます。

いつものように凛とした姿勢で、制服も完璧に整えられています。その威厳ある佇まいは、まさに天界の守護者にふさわしい風格でした。


「ノエル、何かあったのか?」

低く響く声には、普段通りの厳格さがありました。


「はい、こちらに子犬が……」

ノエルが説明しようとした時、ミカエルの視線が子犬に向けられました。


その瞬間でした。

ミカエルの表情が、明らかに変化したのです。


厳しく引き締まっていた眉が、わずかに緩みました。鋭かった瞳に、温かい光が宿ります。そして口元には、普段決して見せることのない、優しい微笑みが浮かんだのです。


「おお……この子は……」

声のトーンまでもが変わっていました。


普段の威厳ある低音から、どこか柔らかい響きへと変化しています。まるで別人のようでした。


ミカエルは静かにしゃがみ込むと、子犬に手を差し出しました。

「迷子になったのか、小さな勇者よ」


戦士長の大きな手のひらは、驚くほど優しく子犬を包み込みます。子犬も本能的に安全を感じ取ったのか、怖がることなくミカエルの手に鼻先を寄せました。


「可愛いな……」

呟かれた言葉には、心からの愛おしさが込められています。


ノエルは、この光景を信じられない思いで見つめていました。

あの厳格で近寄りがたいミカエルが、まるで父親のような優しさで子犬に接している。その優しい表情は、普段の戦士としての顔とは全く別人のようです。


「君の家族は、どこにいるのだろうね」

ミカエルは子犬を膝の上に抱き上げました。子犬は安心したように、彼の胸元で丸くなります。


「そうだな……まずは迷子の届け出を確認してみよう」

戦士長として当然の判断でしたが、その声は相変わらず優しい響きを保っていました。


ノエルが書類を整理している間、ミカエルは子犬の頭をそっと撫でています。その手つきは、まるで羽毛に触れるかのように繊細で、慈愛に満ちていました。


「この毛並み……よく手入れされている。きっと大切に育てられているのだろう」

ミカエルの観察眼は、戦士としての鋭さを保ちながらも、温かい配慮に満ちています。


やがて、管理事務所から連絡が入りました。

確かに迷子の届け出があり、飼い主が心配して探し回っているとのことでした。


「よかったな、小さな勇者よ。家族が心配している」

ミカエルは子犬の額に優しく額を寄せました。


その時、子犬がミカエルの頬を小さな舌でペロリと舐めたのです。

戦士長の頬に、さらに温かい笑顔が浮かびました。


「うむ、君も勇敢だな」

まるで部下を褒める時のように、しかしもっと優しく言葉をかけています。


飼い主が迎えに来るまでの間、ミカエルは子犬から離れようとしませんでした。膝の上で眠り始めた小さな体を、大切な宝物のように抱いています。


ノエルは、この予想外の展開に戸惑いながらも、深い感動を覚えていました。

強さと威厳の象徴だと思っていたミカエルに、こんなにも温かい一面があったとは。


「ミカエル様……動物がお好きなのですね」

思わず口にした言葉に、ミカエルは少し照れたような表情を見せました。


「うむ……戦士たる者、弱きものを守るのは当然だ」

そう答えながらも、その声は相変わらず優しいままです。


「でも、それ以上に……この子たちには、人の心を癒す不思議な力があるのだよ」

普段は決して見せない、内面的な一面を垣間見せる言葉でした。


やがて、飼い主の女性天使が慌ててやってきました。

「ミルクちゃん!」

子犬は飼い主の声を聞くと、嬉しそうに鳴き声をあげました。


ミカエルは名残惜しそうに子犬を飼い主に返します。

その時の表情には、確かな寂しさが浮かんでいました。


「ありがとうございました、戦士長!」

飼い主の感謝に、ミカエルは普段の威厳ある姿勢に戻ります。


「うむ、大事になくてよかった。今後は迷子にならないよう、気をつけるのだな」


しかし、子犬が去っていく後ろ姿を見つめる瞳には、まだ優しさが残っていました。そして、小さく手を振る仕草は、まるで大切な友人を見送るようでした。


二人だけになると、ミカエルは元の厳格な表情に戻りました。

「ノエル、訓練を怠るな。強くなければ、守るべきものを守れない」

いつもの指導の言葉でしたが、先ほどの出来事を見た後では、その言葉の重みが違って感じられます。


「はい、ミカエル様」

ノエルの返事には、新たな尊敬の念が込められていました。


戦士長として厳格であることと、優しい心を持つことは、決して矛盾するものではないのだと。むしろ、本当に強い人だからこそ、弱いものに対してこれほど優しくなれるのかもしれません。


夕方の訓練時間、ミカエルはいつものように厳しい指導をしていました。

しかしノエルには、その厳しさの根底にある温かい配慮が感じられるようになっていました。


「強さとは何か、よく考えるのだ」

ミカエルの言葉が、今日は特別な響きを持って聞こえます。


真の強さとは、ただ戦いに勝つことではない。大切なものを守り抜き、弱いものに手を差し伸べることができる力。そして、どんなに強くても、小さな命への慈しみを忘れない心。


「……尊い」

ノエルの心に、新たな感嘆の気持ちが生まれました。


ガブリエル嬢とはまた違う形で、ミカエルもまた尊敬すべき存在なのだと実感したのです。表面的な厳格さの下に隠された深い優しさ。それこそが、真のリーダーが持つべき資質なのかもしれません。


夜が更けてから、ノエルは今日の出来事を静かに振り返りました。

人には、外から見ただけではわからない多くの面があるのだと学んだ一日でした。


ミカエルの威厳ある姿も、動物に対する優しさも、どちらも真実の姿です。そして、その両方があるからこそ、彼は多くの天使たちから信頼され、慕われているのでしょう。


遠くで、夜警の天使たちの足音が響いています。

平和な天界を守る戦士たち。その中に、小さな動物への深い愛情を秘めた戦士長がいることを、ノエルは誇らしく思いました。


明日はどんな発見があるでしょうか。

天界で働く多くの人々の、まだ知らない素晴らしい一面を知ることができるかもしれません。そんな期待を胸に、ノエルは静かな雲海の夜を過ごしました。


強さと優しさが共存する美しさ。それを教えてくれた一匹の子犬と、一人の戦士長への感謝を込めて。

## あとがき


威厳ある戦士長ミカエルが見せた動物への深い愛情を通じて、真の強さとは何かを静かに問いかけた物語でした。表面的な印象の奥に隠された人格の多面性と、それぞれが持つ美しい一面をノエルの新鮮な驚きと共にお届けしました。次回は、癒しを司る優しい師匠の意外な天然ぶりが、どのような学びをもたらすのでしょうか。

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