第59話:聖堂の守り人
雲の上の、とある穏やかな朝。
ガブリエル嬢が、窓辺で何かを見つめていました。
「ノエル」
彼女が、ゆっくりと振り返ります。
「少し、大聖堂まで行きませんか」
ノエルは、書類から顔を上げました。
「大聖堂ですか」
「ええ」
ガブリエル嬢は、小さく頷きます。
「今日は、祈りの日なのです」
こうして、二人は大聖堂へと向かいました。
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天界の中心に、大聖堂は静かに佇んでいました。
白い雲で作られた、美しい建物です。尖塔が、高く天に伸びています。
扉を開けると、温かい光が差し込んでいました。
「いらっしゃいませ」
穏やかな声が、響きます。
一人の年配の天使が、こちらに歩いてきました。
白い髭を蓄えた、優しそうな方です。
「ガブリエル様。今日も、お祈りに」
「はい」
ガブリエル嬢が、小さく頷きます。
「こちらは、ノエル。私の近侍です」
「ほう」
年配の天使は、ノエルを見ました。
「よく来てくれました。私は、セラフィエル。この聖堂を守る者です」
「よろしくお願いします」
ノエルは、深くお辞儀をします。
セラフィエルは、優しく微笑みました。
「ガブリエル様は、よくここで祈られます」
彼は、聖堂の奥を指差します。
「あちらの窓辺が、お気に入りの場所です」
ノエルは、少し驚きました。
ガブリエル嬢が、よくここに来ていることを知らなかったのです。
「見て回りますか」
セラフィエルが、尋ねます。
「お願いできますか」
ガブリエル嬢が、穏やかに答えました。
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聖堂の中は、静かでした。
天井が高く、光が柔らかく降り注いでいます。
「この聖堂は、とても古いのです」
セラフィエルが、ゆっくりと語り始めます。
「天界が作られた時から、ずっとここにありました」
壁には、様々な彫刻が施されていました。
天使たちの姿。神の言葉。全てが、丁寧に刻まれています。
「一つ一つに、意味があります」
セラフィエルは、ある彫刻を指差しました。
「これは、最初の天使たち」
七人の天使が、円を描いて立っている彫刻です。
その中心に、光が降り注いでいます。
「七つの役割が、天界を支える」
セラフィエルの声が、静かに響きました。
「それが、天界の始まりです」
ガブリエル嬢が、その彫刻をじっと見つめています。
小さく、頷きました。
「こちらへどうぞ」
セラフィエルが、奥へと案内します。
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聖堂の奥に、小さな部屋がありました。
そこには、何冊もの古い書物が並んでいます。
「祈りの記録です」
セラフィエルが、一冊を手に取りました。
「代々の天使たちが、ここで何を祈ったか。全て、ここに」
ページを開くと、美しい文字が並んでいます。
古い言葉で書かれていました。
「平和を祈る者」
セラフィエルは、一つの記録を読み上げます。
「愛する者の幸せを祈る者。様々な祈りが、ここにあります」
ガブリエル嬢が、そっと本に触れました。
指先で、文字をなぞります。
「……たくさんの想いが、ここに」
彼女の声が、優しく響きました。
「そうです」
セラフィエルは、頷きます。
「祈りは、消えません。この聖堂が、全てを守っています」
その時、窓の外から小さな音が聞こえました。
鳩です。白い鳩が、窓辺に止まっています。
「あら」
ガブリエル嬢の顔が、ふわりと和らぎました。
鳩が、首を傾げています。
まるで、挨拶をしているようでした。
「この子は、いつもここにいます」
セラフィエルが、微笑みます。
「聖堂の住人ですよ」
ガブリエル嬢が、そっと窓に近づきます。
手を差し出すと、鳩が飛んできました。彼女の手に、優しく止まります。
「……可愛い」
小さな声が、聞こえました。
ノエルは、その光景を見つめていました。
優しく鳩に触れるガブリエル嬢。穏やかな表情。
尊い、と。
心の中で、そっと呟きます。
鳩が、小さく鳴きました。
まるで、喜んでいるようです。
「動物たちも、ガブリエル様を慕っています」
セラフィエルが、温かく言いました。
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案内は、さらに続きます。
聖堂の中央に、大きな祭壇がありました。
「ここで、儀式を行います」
セラフィエルが、祭壇を示します。
「天界の重要な行事は、全てここで」
祭壇には、七つの燭台が置かれていました。
それぞれが、七大天使を象徴しているそうです。
「ガブリエル様の燭台は、こちらです」
セラフィエルが、一つを指差しました。
その燭台には、小さな羽根の装飾がついています。
伝令の天使を表しているのでしょう。
「時々、磨きに来るんです」
ガブリエル嬢が、少し照れたように言いました。
「大切なものですから」
「いつも、ありがとうございます」
セラフィエルが、深くお辞儀をします。
「いえ」
ガブリエル嬢は、優しく微笑みました。
「こちらこそ、いつも聖堂を守ってくださって」
二人の会話が、温かい空気を作っています。
ノエルは、それを静かに見守っていました。
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「では、少しお祈りを」
ガブリエル嬢が、窓辺に向かいます。
セラフィエルは、小さく頷きました。
「どうぞ、ごゆっくり」
彼は、そっと部屋を出ていきます。
ノエルも、少し離れた場所に立ちました。
ガブリエル嬢が、窓辺に座ります。
外の雲海を、静かに眺めていました。
目を閉じて、手を合わせます。
その姿が、とても神聖でした。
ノエルは、息を潜めます。
邪魔をしてはいけない。そう思いながら、そっと見守りました。
どのくらい時間が経ったでしょうか。
ガブリエル嬢が、ゆっくりと目を開けます。
でも、そのまま動きませんでした。
窓辺の光の中で、静かに座っています。
ノエルは、少し心配になりました。
そっと近づきます。
「……ガブリエル嬢?」
返事がありません。
もう少し近づくと、小さな寝息が聞こえました。
眠っていたのです。
祈りの後、そのまま微睡んでしまったようでした。
ノエルは、思わず微笑みます。
聖堂でも、お昼寝。それが、彼女らしい。
そっと翼カバーを取り出して、彼女の肩に掛けました。
起こさないように、静かに。
ガブリエル嬢の表情が、穏やかです。
安らかな寝顔が、光に包まれていました。
ノエルは、少し離れた場所に座ります。
彼女が目覚めるまで、ここで待とう。そう思いました。
聖堂の静けさの中で、時間がゆっくりと流れていきます。
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どのくらい経ったでしょうか。
「……あら」
小さな声が、聞こえました。
ガブリエル嬢が、目を覚ましたようです。
ゆっくりと、目を開けます。
「おはようございます」
ノエルが、優しく言いました。
「あら、ノエル」
彼女は、少し驚いたように周りを見ます。
「……眠っていましたか」
「はい」
ノエルは、微笑みます。
「とても、気持ち良さそうでした」
「そう」
ガブリエル嬢は、少し照れたように笑います。
「祈った後は、いつも眠くなってしまうのです」
肩に掛けられた翼カバーに、気づきました。
「これは……」
「寒くないかと思いまして」
ノエルが、答えます。
「ありがとう」
ガブリエル嬢の表情が、ふわりと柔らかくなりました。
「優しいですね」
ノエルは、少し照れます。
外では、鳩が窓辺でまだ待っていました。
ガブリエル嬢が起きるのを、ずっと見守っていたようです。
「待っていてくれたのね」
彼女は、鳩に優しく微笑みかけます。
鳩が、小さく鳴きました。
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聖堂を出る時、セラフィエルが見送ってくれました。
「また、いらしてください」
彼の声が、温かく響きます。
「はい」
ガブリエル嬢が、深くお辞儀をします。
「いつも、ありがとうございます」
「こちらこそ」
セラフィエルは、優しく微笑みました。
二人は、聖堂を後にします。
雲海の上を、ゆっくりと歩きました。
「聖堂は、良い場所です」
ガブリエル嬢が、静かに言います。
「心が、落ち着きます」
「はい」
ノエルは、頷きました。
「ノエルも、時々来ると良いですよ」
彼女は、優しく微笑みます。
「祈ることは、大切ですから」
「そうですね」
二人は、しばらく黙って歩きました。
穏やかな風が、雲を揺らしています。
「……ノエル」
ガブリエル嬢が、ふと立ち止まります。
「はい」
「翼カバー、ありがとう」
彼女の声が、温かく響きました。
「とても、嬉しかったです」
ノエルは、少し驚きます。
そして、嬉しくなりました。
「いえ、当然のことです」
「当然でも」
ガブリエル嬢は、優しく微笑みます。
「ありがとうは、言いたいのです」
その笑顔が、とても美しくて。
ノエルは、また心の中で呟きます。
尊い、と。
二人は、執務室へと帰っていきました。
聖堂での静かな時間が、心に温かく残っています。
明日も、きっと良い日になる。
そんな予感がしました。
## あとがき
静かな聖堂で、祈りと微睡み。ガブリエル嬢の穏やかな姿と、それを見守るノエルの優しさ。小さな感謝の言葉が、心を温めた一日でした。




