第57話:七つの部署の一日
雲の上の、とある爽やかな朝。
音楽祭が終わって三日が経ちました。
執務室では、ノエルが報告書をまとめていました。
ガブリエル嬢は、窓辺の雲クッションで、小さく寝息を立てています。
「ノエル」
穏やかな声が、静かに響きました。
ノエルは顔を上げます。
ガブリエル嬢が、目を開けていました。少し眠そうですが、こちらを見ています。
「はい、何でしょう」
「今日は、少し遠出をしませんか」
ガブリエル嬢は、ゆっくりと立ち上がりました。
「天界の各部署を、見て回りましょう」
ノエルは、少し驚きました。
これまで個別に訪れたことはあります。でも、七つの部署を全部回るというのは初めてです。
「皆さんの仕事を、もっと知ってほしいの」
彼女は、優しく微笑みます。
「きっと、勉強になりますから」
こうして、二人の見学が始まりました。
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最初に訪れたのは、ミカエルの訓練場です。
雲海の端、広々とした空間が広がっていました。
「おお、ガブリエル嬢。それにノエルも」
ミカエルが、こちらに気づいて歩いてきます。
「見学か。ちょうど良い時間だ」
訓練場では、若い天使たちが真剣に鍛錬を続けていました。
一人の天使が、剣を構えています。その動きは、まだ少しぎこちない様子でした。
「構えが甘い」
ミカエルの声が、訓練場に響きます。
「敵は待ってくれない。もう一度」
若い天使は、深く頷いて再び構えました。
今度は、先ほどより安定した姿勢です。ミカエルは、満足そうに頷きます。
「良いぞ。その調子だ」
別の場所では、翼の制御訓練が行われていました。
空中で静止する練習。バランスを崩した天使が、慌てて高度を下げます。
「焦るな。呼吸を整えろ」
ミカエルが、冷静に指示を出しました。
「翼は心を映す。心が乱れれば、翼も乱れる」
ノエルは、その指導の的確さに感心しました。
厳しくとも、一人一人の状態をよく見ている。それが、ミカエルの強さなのだと。
「戦士として、日々の訓練は欠かせない」
ミカエルの声が、二人に向けられます。
「天界を守るためには、常に備えが必要なのだ」
そう言いながら、彼の視線が訓練場の隅に向きました。
そこには、小さな子犬がいます。迷い込んできたようでした。
ミカエルの表情が、わずかに緩みます。
「……訓練の邪魔をしないよう、後で保護しておこう」
少し照れたように、彼は咳払いをしました。
ガブリエル嬢が、小さく微笑みます。
「では、次へ参りましょう」
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次は、ラファエルの治癒の間です。
温かい光に満ちた、静かな部屋でした。
「やあ、いらっしゃい」
師匠が、穏やかに迎えてくれます。
「今日は見学ですか。どうぞゆっくり」
治癒の間には、何人かの天使が休んでいました。
一人の天使が、翼に包帯を巻いています。任務中に負った傷のようでした。
ラファエルが、その天使の隣に座ります。
手をかざすと、優しい光が翼を包みました。
「痛みは、どうですか」
ラファエルの声が、穏やかに問いかけます。
「もう、大丈夫です」
天使は、安心したように答えました。
「ラファエル様の治癒は、いつも温かくて」
「それは良かった」
ラファエルは、優しく微笑みます。
「でも、無理はしないでくださいね。完全に治るまで、ゆっくり休んでください」
別のベッドでは、若い天使が不安そうな顔をしていました。
初めての大きな任務を控えているようです。
ラファエルが、そっと近づきます。
「緊張していますか」
「はい……失敗したら、どうしようかと」
「大丈夫ですよ」
ラファエルの声が、温かく包み込みます。
「あなたは十分に準備をしました。自分を信じてください」
若い天使の表情が、少しずつ和らいでいきました。
不安が消えていくのが、見て取れます。
「治癒というのは、体だけではなく心も癒すものなんです」
ラファエルは、ノエルたちに説明してくれました。
「痛みを取り除くことも大切ですが、不安を和らげることも同じくらい重要なんですよ」
ノエルは、師匠の仕事の深さを改めて知りました。
技術だけではない。人への思いやりが、治癒の根本にあるのだと。
「ありがとうございました」
ガブリエル嬢が、礼を言います。
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三つ目は、ウリエルの審判室です。
静かで、どこか厳かな雰囲気が漂っていました。
「お二人とも、よくいらっしゃいました」
ウリエルが、冷静な口調で迎えます。
「審判の場は、公正でなければなりません」
彼女の机には、一冊の分厚い記録が開かれていました。
天界の法規。過去の判例。全てが、丁寧に記されています。
「今日は、少し難しい判断がありまして」
ウリエルは、記録を指差します。
「二人の天使が、同じ任務で異なる判断をしました。どちらも間違いではない。でも、結果は違った」
ノエルは、その内容を見ました。
確かに、どちらの判断も理にかなっています。
「こういう時は、どうされるのですか」
ノエルは、思わず尋ねました。
「両方の意見を聞きます」
ウリエルの表情が、真剣になります。
「そして、状況を詳しく調べる。判断の背景には、必ず理由があるのです」
彼女は、別の記録を取り出しました。
そこには、過去の似た事例が記されています。
「前例を参考にしながらも、今回の状況を重視する」
ウリエルは、静かに続けます。
「感情に流されず、しかし冷たくもなく。それが、私の役目です」
ノエルは、審判という仕事の難しさを実感しました。
正しい判断を下すために、どれほどの知識と経験が必要か。
「お茶会の時とは、また違う顔ですね」
ガブリエル嬢が、優しく言いました。
ウリエルの表情が、少しだけ和らぎます。
「お茶会では、甘いものに集中できますから」
彼女は、小さく笑いました。
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四つ目は、サリエルの命令伝達室です。
整然と整理された空間が、広がっていました。
「ガブリエル様、ノエル。いらっしゃいませ」
サリエルが、きちんとした態度で迎えます。
「命令伝達は、正確さが命です」
机の上には、複数の文書が並んでいました。
神託を受け取り、それを各部署に伝えるための準備です。
「この言葉を使うべきか、それとも別の表現か」
サリエルは、一つの文書を見つめています。
「受け取る側の立場で考えないと」
ノエルが覗き込むと、そこには複数の言い回しが書かれていました。
同じ内容でも、表現によって受け取り方が変わります。
「例えば、『至急対応せよ』と『可能な限り早く対応してください』」
サリエルは、二つの表現を示します。
「命令の緊急度は同じでも、印象が違うでしょう」
確かに、前者は厳格で、後者は配慮がある印象です。
「状況と相手を考えて、最適な言葉を選ぶ」
サリエルの真面目な表情が、それを物語っています。
「皆さんは、私の言葉を信じて動くのですから」
そこへ、若い天使が書類を持ってきました。
新しい神託が届いたようです。
サリエルは、それを受け取って目を通します。
そして、慎重に言葉を選びながら、伝達文書を作成し始めました。
ノエルは、責任の重さを感じました。
正確な情報伝達が、天界全体の運営を支えている。
「いつもありがとう」
ガブリエル嬢の言葉に、サリエルは少し照れたように頷きました。
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五つ目は、ラグエルの調停室です。
穏やかな光が差し込む、温かい部屋でした。
「ようこそ、お二人とも」
ラグエルが、優しく微笑みます。
「今日は、ちょうど調停の仕事が一段落したところです」
部屋の中央には、円卓が置かれていました。
調停の際、対立する者たちが座る場所です。
「昨日、二人の天使が言い争いをしていました」
ラグエルは、椅子に座りながら話します。
「どちらも悪気はない。でも、誤解があったのです」
ノエルは、興味深く聞きました。
「最初は、お互いに譲りませんでした」
ラグエルは、穏やかに続けます。
「でも、ゆっくり話を聞いていくと、実は同じことを考えていたのです」
誤解が解けた時、二人は笑い合ったそうです。
ラグエルの顔にも、満足そうな笑みが浮かんでいます。
「復讐という名がついていますが」
彼は、静かに笑いました。
「実際には、許すことの方が多いんですよ」
ノエルは、その言葉に深く頷きました。
許すことの難しさと、その価値。ラグエルから学んだことは、今も心に残っています。
「あなたの優しさが、天界を支えています」
ガブリエル嬢が、温かく言いました。
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六つ目は、パヌエルの神託受信室です。
神秘的な雰囲気が、空間を満たしていました。
「こんにちは」
パヌエルが、明るく迎えてくれます。
「今日は見学ですか。嬉しいです」
部屋の中央には、特別な台座がありました。
神託を受信する時、パヌエルがそこに立つのです。
「普段は、ここで神様の言葉を聞きます」
パヌエルは、台座を指差しました。
「でも、神の顔として器になる時は、また別です」
ノエルは、以前見た神降臨の瞬間を思い出しました。
あの時のパヌエルは、全く違う存在になっていた。
「器になる時は、自分を空っぽにしないといけないんです」
パヌエルの表情が、少しだけ真剣になりました。
「自分の感情も、考えも、全部。そうしないと、神様が降りてこられません」
それは、想像を超えた責任です。
自分を完全に明け渡す。その覚悟と技術。
「とても神聖な時間ですよ」
パヌエルは、また明るく微笑みます。
「終わった後は、少し疲れますけどね」
「ありがとうございました」
ガブリエル嬢が、深くお辞儀をします。
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こうして、六つの部署を回りました。
ガブリエル嬢の執務室に戻ってきたのは、夕暮れ時です。
「さて、七つ目は」
ガブリエル嬢が、窓の外を眺めます。
「ここです」
ノエルは、少し驚きました。
「私の仕事は、神の伝令」
彼女は、穏やかに語ります。
「神の言葉を、皆さんに届けること。それが、私の役目」
執務室には、様々な記録がありました。
受け取った神託。それを解釈し、整理し、必要な人に伝える。
ガブリエル嬢が、一冊の記録を手に取ります。
「神様の言葉は、時に難しいのです」
彼女は、ページを開きました。
「だから、わかりやすく伝える。それが大切」
記録には、神託の原文と、それを解釈した文章が並んでいます。
原文は抽象的ですが、解釈は具体的で明確でした。
「皆さんが迷わないように」
ガブリエル嬢の声が、優しく響きます。
「正確に、でも温かく。それを心がけています」
ノエルは、改めて彼女の仕事の重要性を理解しました。
神と天使たちの架け橋。それが、ガブリエル嬢の役割なのです。
「みんな、それぞれの役割を持っています」
ガブリエル嬢は、静かに微笑みました。
「誰一人、欠けてはいけない。それが、天界という組織なのです」
ノエルは、深く頷きました。
一日かけて見た七つの部署。それぞれが専門性を持ち、誇りを持って働いている。
天界という組織の壮大さ。
複雑さ。
そして、美しさ。
全てを、ノエルは心に刻みました。
「勉強になりましたか」
ガブリエル嬢が、優しく尋ねます。
「はい」
ノエルは、心からの返事をしました。
「とても、勉強になりました」
外では、夕日が雲海を染めています。
長い一日が、ゆっくりと暮れていきました。
ガブリエル嬢は、雲クッションに静かに座ります。
おやつの時間は、もう過ぎていました。
「……明日からも、頑張りましょう」
小さな呟きが、聞こえました。
ノエルは、静かに微笑みます。
彼女の言葉が、心に温かく響きました。
天界を支える七つの柱。
その全てを知った今日という日は、ノエルにとって特別な一日になりました。
## あとがき
天界を支える七つの部署。それぞれの役割と誇り。一日かけた見学は、ノエルに組織の奥深さを教えてくれました。明日からも、この世界で歩んでいくのです。




