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第52話:無意識が紡ぐ言葉

雲の上の、とある静かな午後。


執務室に、穏やかな時間が流れていました。ガブリエル嬢は、雲クッションで深い眠りについています。まどろみベルの三分を過ぎても、まだ目覚める気配はありません。


ノエルは、そっと書類を整理していました。


音を立てないように、慎重に。ガブリエル嬢の眠りを邪魔しないよう、足音も忍ばせて。窓から差し込む光が、執務室を優しく照らしていました。


羽ペンが、紙の上を滑ります。


書類の内容を確認して、分類していく。神託の記録、業務報告、来週の予定表。日常的な作業を、淡々と続けました。


「……ん」


小さな声。


ノエルの手が止まります。ガブリエル嬢の方を見ると、まだ眠ったまま。寝返りを打ったのかもしれません。


また書類に戻ろうとした時。


「……ノエル……」


はっきりと、名前が聞こえました。


ノエルは、羽ペンを置きます。ガブリエル嬢が、自分の名前を? でも、まだ眠っています。寝言、なのでしょうか。


「……お疲れ様……」


また、言葉が漏れました。


穏やかな声。眠っているのに、気遣いの言葉。ノエルは、少し戸惑います。寝言を聞いてしまって良いのだろうか。でも、耳を塞ぐのも変な話で。


「……雲クッション、ふわふわ……」


次は、雲クッションの話。


ガブリエル嬢の表情は、穏やか。満足そうな、優しい顔でした。ノエルが調整した雲クッション。気に入ってくれているのだと、改めて分かりました。


(良かった……)


心の中で、ほっとします。


「……おやつ、おいしかった……」


また寝言。今度は、おやつの話でした。今日のお茶会で出た、雲菓子のこと。ウリエルが選んだ、特別な一品。


ガブリエル嬢の口元が、わずかに緩みます。


夢の中でも、美味しさを思い出しているのでしょうか。その様子が、微笑ましくて。ノエルは、静かに見守ることしかできませんでした。


「……ウリエル、ありがとうございます……」


感謝の言葉。


眠っていても、お礼を言う。その優しさに、ノエルは胸が温かくなります。ガブリエル嬢の人柄が、無意識の言葉にも表れていました。


書類整理を続けながら、時々聞こえてくる寝言。


「……ミカエル、頼もしいですね……」


「……ラファエル、優しいです……」


「……サリエル、真面目ですね……」


みんなの名前が、次々と出てきます。そして、それぞれに何か一言。特徴や、感謝や、褒め言葉。


ガブリエル嬢は、いつもみんなのことを考えているのだと分かりました。


「……パヌエル、元気ですね……」


「……ラグエル、温かいです……」


寝言は、まだ続きます。


ノエルは、もう書類に集中できませんでした。聞くつもりはないのに、自然と耳に入ってくる。そして、その内容に心を動かされてしまう。


「……明日も、頑張ろう……」


前向きな言葉。


眠っていても、明日への意欲。ガブリエル嬢の真面目さが、そんなところにも現れていました。


ノエルは、静かに立ち上がります。


窓辺に近づいて、雲海を眺めました。ガブリエル嬢の寝言が、頭の中で繰り返されます。日常への気遣い、みんなへの感謝、明日への希望。


(こんな人なんだな……)


改めて、実感します。


意識がある時は、言葉を選んでいるのかもしれません。でも、無意識の時に出る言葉こそ、本当の心。ガブリエル嬢の本質は、こんなにも優しくて、温かい。


「……みんな、大切……」


また寝言。


その言葉に、ノエルの胸が締め付けられました。みんな、大切。自分も、その中に入っているのでしょうか。


きっと、入っている。


そう信じたい気持ちが、湧き上がります。


「……平和、続いて……」


願うような、優しい声。


平和を願う心。それも、無意識に出てくる。ガブリエル嬢は、本当に平和を大切にしているのだと分かりました。


ノエルは、また執務机に戻ります。


書類を手に取るけれど、文字が頭に入ってきません。ガブリエル嬢の寝言が、まだ耳に残っていて。その内容が、心を揺さぶって。


「……雲、綺麗……」


空の話。


「……光、温かい……」


光の話。


些細な日常のこと。でも、それを大切に思っている心。無意識でも、感謝を忘れない優しさ。


(……尊い)


心の中で、呟きます。


ガブリエル嬢の寝言は、まだ続いていました。でも、だんだん小さくなっていきます。深い眠りに入っていくのでしょう。


「……幸せ……」


最後に、そう聞こえた気がしました。


ノエルは、ペンを置いて静かに目を閉じます。ガブリエル嬢の言葉が、胸の中で反響していました。


幸せ——。


彼女は、幸せなのだと。この日常が、この仲間たちが、この平和が。すべてを幸せだと感じている。その心が、寝言から伝わってきました。


しばらくして、ガブリエル嬢が目を覚まします。


「……ん」


小さな声。ゆっくりと、まぶたが開きました。


「あら、寝てしまったわ」


「お疲れ様でした」


ノエルは、いつも通りに声をかけます。寝言のことは、言いません。聞いてしまったことも、黙っておきます。


「何時間寝たかしら」


「三十分ほどです」


「そう……」


ガブリエル嬢は、雲クッションから起き上がりました。髪を軽く整えて、窓の外を見ます。


「良い天気ね」


「はい」


「さて、午後の仕事を始めましょう」


「はい」


いつもの会話。いつもの日常。


でも、ノエルの中では、何かが変わっていました。ガブリエル嬢の本当の心を、垣間見た気がして。その優しさの深さを、知った気がして。


執務が再開されます。


書類を確認して、神託を整理して。ガブリエル嬢は、いつもの穏やかさで仕事をこなしていきました。


ノエルは、時々彼女の横顔を見ます。


さっきの寝言を思い出して、また胸が温かくなりました。意識を失った時に出る言葉。それこそが、人の本当の心なのかもしれません。


ガブリエル嬢の本当の心は、こんなにも優しい。


こんなにも、みんなを大切に思っている。


こんなにも、日常に感謝している。


その事実が、ノエルの心に深く刻まれました。


「ノエル、この書類」


「はい」


呼ばれて、書類を受け取ります。指先が、わずかに触れ合いました。


ガブリエル嬢は、何も気づいていない様子。でも、ノエルの胸には、さっきの寝言が残っています。


「……ノエル、お疲れ様……」


あの言葉。


眠っていても、自分を気遣ってくれていた。その事実が、嬉しくて。胸が、じんわりと温かくなります。


「大丈夫? 顔が赤いわよ」


「あ、いえ、大丈夫です」


ノエルは、慌てて顔を背けました。


ガブリエル嬢は、不思議そうに首を傾げます。でも、すぐに執務に戻りました。


ノエルは、深呼吸をひとつ。


落ち着こう。いつも通りに。でも、心の奥では、さっきの寝言がずっと響いていました。


窓の外で、雲が流れていきます。


午後の光が、執務室を照らしていました。静かな時間が、また過ぎていきます。


ノエルは、書類を整理しながら考えていました。


人は、意識がある時は言葉を選ぶ。でも、無意識の時こそ、本当の心が現れる。ガブリエル嬢の寝言が、それを教えてくれました。


そして、その本当の心は、こんなにも美しい。


(……本当に、尊い人だ)


心の中で、もう一度呟きます。


こうして、特別な午後が過ぎていきました。無意識が紡いだ言葉が、ノエルの心に深く残った日。それは、ガブリエル嬢の真の優しさを知った、忘れられない時間でした。

**あとがき**


眠りの中で漏れた言葉が、真実の心を映し出します。意識の外に現れる優しさこそ、その人の本質。些細な気遣いに満ちた寝言が、新たな発見を運んできました。

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