表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/100

第49話:天使の微笑みの神聖さ

雲の上の、とある穏やかな朝。


ノエルは、いつもの執務室でガブリエル嬢の雲クッションを整えていました。硬度は完璧。温かな光も、ちょうどよい角度で差し込んでいます。


「今日のおやつ、楽しみね」


ガブリエル嬢が、書類を眺めながら小さく呟きました。


「新作の雲菓子だそうよ」


「新作、ですか」


ノエルの手が止まります。


雲菓子は、天界の雲職人が心を込めて作る特別なお菓子。ふわふわで優しい甘さが特徴で、ガブリエル嬢の大好物でした。新作が出るのは、年に数回のこと。


「ウリエルが選んでくれたの」


「それは……期待できますね」


ウリエルの目利きは、天界随一。お茶会の達人である彼女が選ぶ雲菓子なら、間違いないはずです。ノエルは雲クッションの最終調整を終えて、執務机の脇に立ちました。


時刻は、もうすぐお昼。


おやつの時間まで、あと少しでした。


書類整理の合間、ガブリエル嬢は何度か窓の外を眺めます。いつもより、ほんの少しだけそわそわしているように見えました。まつげが、やわらかく揺れます。


まどろみベルが、小さく鳴りました。


「……三分だけ」


ガブリエル嬢は雲クッションに身を預けます。いつもの光景。でも今日は、すぐに目を開けました。


「やっぱり、起きていようかしら」


珍しい。


ノエルは少し驚きました。まどろみベルを使わないなんて、滅多にないことです。それだけ、新作のおやつが楽しみなのでしょう。


時計の針が、おやつの時刻を指しました。


扉をノックする音。ウリエルが、銀の盆を手に入ってきます。


「お待たせしました」


盆の上には、真っ白な雲菓子が五つ。ふわふわとした見た目で、微かに光を帯びていました。香りは優しく、甘さの中に花の香りが混じっています。


「これは……」


ガブリエル嬢が、目を輝かせました。


「雲すみれの雲菓子。今季限定の特別品です」


ウリエルが、誇らしげに説明します。


「雲すみれの蜜を練り込んで、職人が三日かけて仕上げたそうです」


「三日も……」


ガブリエル嬢の声が、感嘆に満ちていました。


ウリエルは椅子に腰を下ろします。今日は、一緒にお茶会のようでした。お茶は、いつもの光蜜水。温かい金色の液体が、透明なカップに注がれます。


「実はね、この雲すみれ、今年は特に出来が良かったそうなの」


ウリエルが、カップを手に取りながら続けます。


「職人さんが言うには、雲の流れが穏やかで、蜜の熟成が完璧だったとか」


「まあ」


ガブリエル嬢の表情が、ほころびます。


「それは期待できるわね」


「ええ。それに、この雲菓子、通常より柔らかく仕上げてあるそうよ」


「柔らかく?」


「ガブリエル様のお好みを伝えておいたの。ふわふわ食感がお好きだって」


「ウリエル……」


ガブリエル嬢は、嬉しそうに微笑みました。


「ありがとう」


「いえ、お茶会の幹事として当然のことですわ」


ウリエルは控えめに笑って、自分のカップに口をつけます。ノエルは二人のやりとりを、微笑ましく見守っていました。


「ノエルも、どうぞ」


ウリエルが、盆の雲菓子を勧めます。


「あ、いえ、僕は大丈夫です」


「遠慮しないで」


ガブリエル嬢も、優しく勧めました。


「五つあるもの。みんなで食べましょう」


「でも……」


「ノエルにも、味わってほしいわ」


その言葉に、ノエルは頷きました。断り続けるのも、かえって失礼かもしれません。


「では、ひとついただきます」


盆から、雲菓子をひとつ手に取ります。本当にふわふわで、触れただけで柔らかさが伝わってきました。


「いただきます」


三人で、同時に一口。


「……おいしい」


ガブリエル嬢の声が、静かに響きました。


その瞬間、彼女の表情が変わります。いつもの穏やかさに、心からの喜びが加わりました。目元が緩み、頬がほんのり上がる。唇の端が、優しく弧を描きます。


笑顔——。


それも、満面の笑顔でした。天使の輝きが、その表情から放たれています。陽光に照らされて、ガブリエル嬢の微笑みはさらに美しく見えました。


「……尊い」


ノエルは、思わず呟いてしまいます。


「ふふ、本当に気に入ってもらえたみたいね」


ウリエルが、満足そうに微笑みました。


「ええ、とても」


ガブリエル嬢は、また一口。その表情は、さらに柔らかくなります。


「この食感……まるで雲の上を歩いているみたい」


「でしょう? 職人さんの技術が素晴らしいの」


ウリエルが、お茶を一口飲んで続けます。


「この雲菓子、実は製法が特殊なのよ。普通の雲菓子は二日で仕上げるけれど、これは三日かけて、何度も空気を含ませながら練り上げるの」


「三日も……」


「そう。だから、この独特のふわふわ感が生まれるのよ」


ガブリエル嬢は、感心したように頷きました。


「職人さんの想いが、伝わってくるわね」


「ええ。お菓子は、作る人の心が現れるものですから」


二人の会話を聞きながら、ノエルも雲菓子を味わいます。確かに、これまで食べたどの雲菓子とも違う、特別な柔らかさでした。口の中で溶けるように消えていく感触。


「ノエル、どう?」


ガブリエル嬢が、尋ねてきました。


「はい、とても美味しいです」


「良かった」


またあの笑顔。ノエルは、その美しさに目を奪われます。


「……尊い」


二度目の呟き。でも、誰も気づいていないようでした。


「ねえ、ウリエル」


ガブリエル嬢が、カップを置いて言います。


「次回のお茶会も、この雲菓子にできないかしら」


「もちろん。でも、季節限定だから、手に入るかどうか……」


「そう……」


少し残念そうな表情。


「でも、職人さんに相談してみますわ」


ウリエルが、すぐにフォローしました。


「ガブリエル様のためなら、特別に作ってくださるかもしれません」


「本当?」


「ええ。あの職人さん、ガブリエル様のファンですもの」


「まあ」


ガブリエル嬢は、少し照れたように笑いました。その表情も、また美しく。ノエルは、ただ見守ることしかできません。


「それから、この雲菓子に合うお茶も研究してみましょう」


ウリエルが、熱心に続けます。


「光蜜水も良いけれど、もしかしたら雲花茶の方が香りが引き立つかもしれないわ」


「雲花茶……」


「ええ。少し渋みがあるから、甘さが際立つの」


「次は、それも試してみたいわね」


二人のお菓子談義は、まだ続きます。ノエルは、その様子を静かに見守っていました。ガブリエル嬢の嬉しそうな顔、ウリエルの真剣な眼差し。


「ノエルも、意見ある?」


突然、話を振られました。


「え、僕ですか」


「ええ。いつもガブリエル様のお世話をしているんですもの。好みを一番理解しているはずよ」


「そうね」


ガブリエル嬢も、期待の眼差しを向けてきます。


「あ、その……」


ノエルは少し考えて、口を開きました。


「ガブリエル嬢は、温かいものがお好きなので、お茶も温かい方が良いかと」


「なるほど」


ウリエルが、納得したように頷きます。


「雲花茶も、温かくして出しましょう」


「それと、甘さは控えめが好みだと思います」


「まあ、よく見てるのね」


ガブリエル嬢が、感心したように言いました。


「その通りよ。あまり甘すぎると、すぐ眠くなってしまうの」


「なるほど……」


ウリエルは、何かをメモしているようでした。


「次回のお茶会に活かさせていただきますわ」


三つ目の雲菓子を食べ終えたとき、ガブリエル嬢はゆっくりと光蜜水を飲みました。満足そうな吐息がひとつ。そして、またあの笑顔。


「ごちそうさま」


「お粗末さまでした」


ウリエルが、優雅に一礼します。


「また次回も、楽しみにしていてくださいね」


「ええ、もちろん」


ガブリエル嬢の微笑みは、まだ消えていませんでした。その表情を見て、ノエルはまた心の中で呟きます。


「……尊い」


三度目。


でも、声には出しません。この特別な瞬間を、静かに胸に刻むだけ。ガブリエル嬢の笑顔は、何度見ても美しく、何度見ても心を打ちました。


ウリエルが立ち上がります。


「それでは、午後の業務に戻りますわ」


「ありがとう、ウリエル」


「いえ、またお茶会でお会いしましょう」


扉が静かに閉まります。


執務室に、再び静寂が訪れました。ガブリエル嬢は、まだ微笑んでいます。その余韻が、部屋に満ちていました。


「さて、午後の仕事も頑張りましょう」


ガブリエル嬢が立ち上がります。


おやつで力をもらったのか、いつもより少しだけ足取りが軽く見えました。窓辺に向かって、書類を手に取ります。


ノエルは、その後ろ姿を見つめていました。


さっきの笑顔が、まだ目に焼きついています。あんなに嬉しそうなガブリエル嬢を見られて、良かった。心から、そう思いました。


午後の仕事が始まります。


いつもの静かな時間。書類を整理し、神託を確認し、雲クッションの状態を見る。日常の繰り返し。でも、今日は何だか特別な気がしました。


ガブリエル嬢の笑顔のせいかもしれません。


窓の外で、雲が静かに流れていました。午後の光が、執務室を優しく包みます。ノエルは書類を確認しながら、時々ガブリエル嬢の方を見ました。


また、あの笑顔が見られる日を、楽しみにしながら。


雲の上の午後は、静かに過ぎていきました。雲菓子がもたらした、小さな幸せの余韻を胸に。それは、いつもより少しだけ特別な、天界の一日でした。

**あとがき**


雲菓子と笑顔と、女子トークの午後。美味しいものは、人を幸せにします。お茶会の奥深さと、職人の想いが紡ぐ優しい時間。次はどんなお菓子が、彼女を笑顔にするでしょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ